第146話
ブリニャク侯爵令嬢リリアージュとデフレイタス侯爵子息ラウーシュの婚約が発表されたのは秋も半ばの事で、大方の予想通りであったので騒ぎにはならなかった。
両家の繋がりや、リリアスが宮廷の舞踏会に初めて出席した時の状況を考えると、やはりというのが貴族達の感想であった。
まだ仮という冠が付くが、ラウーシュが宰相の地位に就き、妻に武の代表格のブリニャク侯爵の息女を娶る事は、彼の立場を強固な物にしている。
これからの若手の台頭の象徴として、ラウーシュは政治舞台に上がっていくのだった。
リリアスは、緊張して鏡の前に立っていた。
秋らしい今紫色のドレスはローブの襟元から裾まで同色に染められた幅広のレースで飾られ、胸当ては薄紫の生地に薄いレースと赤い実と緑の蔓の刺繍で飾られルビーが彩りに付けられており、胸元は広く開けられている。
肩もぎりぎりまで開けられ、未婚の女性が見せられる限界までとなっている。
リリアスはここまで肌を晒した事がないので、恥ずかしいのとラウーシュがどう思うかと心配であった。
「本当にこれで構わないの?」
ドレスだけを見るとレースの豪華さや、スカートのフリルの美しさで、見とれるがいざ自分が着るとなるとまた別の話である。
「勿論でございますよ、大変お似合いでございます」
後ろで着付けの手伝いをしていたベリーも、鏡の中でうんうんと頷いている。
髪型はラウーシュの背丈に合わせなるべく高く結い上げ、それ以外は小さくまとめた。頭の正面には、銀の大きな髪飾りが付けられ多くのダイヤモンドが輝いていた。首に掛けられたネックレスも涙型の大きなダイヤモンドが中央にあり首回りもダイヤが連なっていた。
「お嬢様ラウーシュ様がおいでになりました」
リリアスは重いドレスの裾を捌きながら、ラウーシュが待つ玄関へと向かった。
ラウーシュもリリアスと同色のジュストコールを着込んでおり、彼の髪色はどの色とも相性がいいので、立ち姿と相まってとても美しかった。
階段から降りてくるリリアスを見て、彼の瞳は輝き口元には笑みがこぼれていた。
「目が潰れそうだ」
ラウーシュは婚約が決まってから、今まで言わなかったリリアスへの誉め言葉が大袈裟になってきている。
「潰れたら困ります」
照れてぶっきらぼうになったリリアスの手を取り、口づける。
今宵が今年最後の社交界の舞踏会だ。
婚約を交わしてから最初の公の場であり、二人の婚約を披露する場でもあった。
「そんなに固くならないで。今の所貴女より格が上の方は妃殿下ぐらいですからね」
だから困るのだとリリアスは思う。
かなリ格上の令嬢の礼儀作法が悪ければ、父や婚約者となったラウーシュへの、蔑みとなってしまうのではないかと心配なのだ。
「貴女がどんな失敗をしても、私や御父上に表立って嫌味や攻撃を仕掛けて来る者はおりませんよ」
リリアスの腕を取って歩くラウーシュの顔は、自信に満ちて頼もしく思えた。
「今日で皆自分の領地に帰り、社交シーズンは終わりです。あとはのんびりと過ごすのです。去年は寒くなる頃に王都を立ち、南の国を回り今年の春に帰国しました。思えばちょうど良い機会に旅行してきたと思います。もうあのような時間は取れないでしょうから」
その時ラウーシュは、ビーズと出会い持ち帰って来たのだった。
「あのビーズを作っている所を見てみたいですね」
きっと色とりどりのビーズが、職人の手で作られているのだろうと思うと、リリアスの心は踊った。
「結婚したら、一緒に行ってみましょう。長くは無くとも時間は取れますから」
リリアスはこの時改めて、結婚とはいつも一緒にいる事なのだと自覚した。
「ラウーシュ様、ずっと一緒に居ましょうね。そして二人で、色々な場所に出掛けたいです」
ラウーシュは目をつむり、苦し気な顔をして胸を押さえ、馬車の壁に体を預けた。
「レキュア、私は死んだのか?」
隣のレキュアは笑って、心配げな顔になったリリアスに、
「ただの恋に浮かれた男の、戯言だと思って下さいませ」
と、主の騒ぎっぷりを斬り捨てた。
リリアスは、ラウーシュとの距離が縮まっている事を感じていた。
自分の身分が分かる前は、かなり身近に感じていたラウーシュが、急に距離を取っていると感じていたのだが、今は婚約者になっている。
ラウーシュの興奮がリリアスにも伝わり、彼の愛情を感じる事が出来る。
「勿論! 多くの知らない土地に旅しましょう。貴女が行ってみたいと思った所に、お連れしますよ」
リリアスは、ふいにオルタンシア公爵との会話が蘇った。
「あの暑い風の無い夜、公爵様とどこか知らない土地に行ってみようかというお話をしました」
ラウーシュはぎょっとした顔で、リリアスを見た。
「皆様に、看病をして公爵様を宮廷にお戻しする様に、説得して欲しいと言われた夜の事です。宮廷に戻るのが嫌なら、好きな土地を探してみてはどうかと言ってみたんです。私も着いて行ってみたいと、お願いしてみました」
「どうして、そんな?」
ラウーシュは、リリアスが国を出たいと思った事に衝撃を受けていた。実の父親が分かり、何不自由のない生活が保障されていた時なのにだ。
「色々面倒だと思っていたのが、理由でしょうか。侯爵令嬢の立場と、裁縫を続けたいと思っていた気持ちの葛藤の所為だったのでしょうか……。現実から逃げたかっただけなのでしょうね」
吹っ切れたようにリリアスは笑ったが、聞いていたラウーシュやオテロの内心は冷や汗ものだった。
その気になればリリアスは、何処にでも行けたのだから。
「公爵様は、今頃どの地におられるでしょうね? 他国のお妃様になられた、妹様の所にいらっしゃったでしょうか……」
約束した手紙はまた来ていないが、リリアスは待つ楽しみもあるのだと知っている。
ラウーシュはブリニャク侯爵と見た、公爵が乗った馬車が丘を越えて行く様子を思い浮かべていた。
「きっと、執事長と共に楽しい旅を続けている事でしょう。旅行に行けば、どこかで偶然出会うかもしれませんね」
リリアスは、その言葉に声を上げた。
「本当ですわ! 是非、是非、出来る限りの土地に行ってみましょうね」
ラウーシュと二人でと、これからの事を考えると嬉しくなってリリアスは子供の様に、馬車の中で飛び跳ねた。
「お嬢様、はしたないですよ。私が居ない間にも、もう少しお上品になっていて下さらなければ、アルレット達が悲しみますよ」
「オテロはどこかに出掛けるの?」
オテロは軽く頷き、
「所用で出かけますが、護衛の者には腕の立つ者を付けますのでご心配なく」
所用の理由を言いたくなさそうなので、リリアスはあえて聞かなかったが、少しの間でもずっと苦労を共にしてきたオテロが居ないのは寂しく思った。
「早く帰って来てね、傍に居ないとオテロが心配だわ」
意外なリリアスの言葉に、オテロは不意を突かれて困った顔をした。オテロが一人で戦場を歩いても心配はないのだが、リリアスにはそんな事は関係なかった。
「お嬢様に、長くご心配はお掛け致しませんよ。すぐ帰って参ります」
リリアスの護衛のオテロが傍を離れる用件とは何だろうと、ラウーシュも疑問に思ったが、彼はここで話す気がないようでそれを察して黙っていた。
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「先を越されてしまった」
王太子が無念そうにラウーシュに言ったが、王太子の婚約は相手の返事待ちなので、そう遠くは無いはずだった。
再来年には婚儀が、成されるだろう。
「貴女は、知っても構わないだろう。殿下は姫様に婚約の申し込みをしているのだ」
リリアスは、驚きの顔で王太子を見て礼を取った。
「よいよい、そなた達の方がよっぽど目出度いのだ。リリアージュ嬢、婚約おめでとう。この男は特に取り柄はないが、衣服には金を惜しまないから精々金を使わせてやりなさい」
「ありがとう存じます」
姫が王太子妃になると聞いて、心が躍った。
初めの話では第二王子殿下の妃にという話であったが、このような事になっているとは知らなかった。
笑ってラウーシュを見ると、彼も嬉しそうだった。
「この話がまとまれば、話題は国中に伝わり、公爵の元にも届くはず、きっとお喜びになるでしょう」
――うんうん――
と頷いていると、広間に音楽が鳴り響きだした。
「さあ、両陛下の最初のダンスの後に、私達も続きましょう」
ラウーシュがリリアスの腕を取り、王太子と共に歩き出した。
今年最後の宮殿での舞踏会には大勢の人々が集まり、今年起こった様々な厄災を洗い流すかのように、陽気な音楽に合わせて踊り始めていた。
王太子とラウーシュとリリアスが、踊りの場に近づくと人々は礼を取り道を開けてくれた。
王太子は最初に踊ると決まっていた王族の縁戚の女性の手を取り、踊りの渦の中に入って行った。
リリアスとラウーシュも後に続き、その豪華なドレスを翻させて、周りの男女の溜め息を誘った。
「とてもお上手になられた」
「ラウーシュ様の教えが宜しかったのです」
そう言って見つめ合うと、暫し無言であった二人は、突然笑い出した。
傍で踊っていたカップルは、驚いて二人を一瞬見たが踊りの波に呑まれ離れていった。
「リリアージュ……」
「ラウーシュ……」
大きな声で笑いながら二人は、ここにきてやっと侯爵令嬢と侯爵子息という立場ではなく、ただの男と女の間柄でいられるようになったと感じたのだった。
今まで関係した事件を考えれば、もっと早くに遠慮のない関係になれたのだろうが、リリアスの覚悟とラウーシュの踏ん切りが無く、いままで他人行儀な対応になっていたのだった。
その姿は踊りの渦に隠されて、周りで見ている人々の目にはあまり付かなかったが、一段高い所に座っている両陛下や勿論ブリニャク侯爵やデフレイタス侯爵夫妻には見られていた。
貴族らしからぬ笑い合う様子に皆が呆れていたが、二人がここに来るまでの苦労を知っている者には、晴れ晴れとした姿に映った事だろう。
行儀の悪く見える侯爵令嬢と子息は、それでも愛情溢れる仲の良い夫婦になるだろうと、思えるのであった。
* 次回が最終回となります。




