第145話
オテロが先に侯爵に報告をした。
侯爵は渋い顔をして、腕を組んでいる。
「反対だ! 絶対反対! 誰とも結婚させない!」
侯爵は椅子の上で体を揺すっている。
祖国の英雄も、ただの父親だ。
やっと見つけた娘と、これから楽しい生活を過ごそうと思った途端に結婚とは、納得いかない事だろう。
オテロは、主人の気持ちも良く分かる。
落ち着かせる為に酒を用意して、勧めた。
「どうぞ、飲んだら少しは気分が良くなりますよ」
しかめっ面をして酒を煽ると、顔色は変わらないが動揺していた気持ちが、治まってきたようだった。
「お嬢様は今年十八才におなりで、貴族の御令嬢としては、婚約をしていない段階で、世間でいう所の行き遅れと申しますね」
侯爵はオテロが痛い所を突いて来たと、苦い顔をした。
今年婚約をしても婚姻は来年になるのだから、貴族社会では年増と言われる年になってしまう。
病弱で領地に引っ込んでいたという事情があっても、それ以外に欠点があるのかと、邪推されても仕方が無い年齢なのだ。
――だが舞踏会でリリアスを見た男達は、娘に疵が有るとは思うまい――と侯爵は考えるのだが、それを三十才近くになっても言える物だろうか。
「どこか遠くへいらっしゃる訳ではありませんし、他の貴族へ嫁ぐよりもずっと会いに行きやすいではないですか?」
オテロが、リリアスの婚儀を勧めるような言い方をするのが気に入らない。
「お前は、賛成なんだな?」
「いいえ。この婚姻の有利な点を、挙げているだけです。只、旦那様が大反対なされば、お嬢様も考え直すかもしれませんが、未婚の御年を召したお嬢様をご覧になる勇気が、ございますなら結構です……それよりも先に、旦那様が亡くなられるかもしれませんね。お嬢様はこのお屋敷で、お一人で過ごされるのですね」
もっともな、正論だった。
侯爵は、一言も返せなかった。
「リリアージュを呼べ」
椅子で項垂れた、国の英雄がそこに居た。
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部屋に現れたリリアスを見ると、侯爵は諦めるしかなかった。
娘が美しいのは分かっていたが、光り輝くという表現は嘘だと思っていたが、娘は本当にそうだった。
「父ちゃん、ラウーシュ様から結婚を申し込まれました」
いつもは穏やかな顔が喜びに溢れ、それにどうやって水を差す事が出来るだろう。
――それにしても、リリアージュはいつまで自分を、父ちゃんと呼ぶのだろう――と他の事を考えて現実逃避をしてみた。
「ずっと好きだって言われていたんだけど、私が中々受け入れられなくて、ずっと待っていてくれたみたい」
自分の言葉にリリアスは、恥ずかしくなり顔が熱くなるのを感じていた。
まさかラウーシュと結婚する事になるとは、初めて会った時には思いもしなかったのだ。
呆けた様な顔をしている父を見ると、これから日常が帰って来ると思っていたのに、突然娘の結婚を知らされて困惑しているというのが、ありありと見て取れて申し訳ない気持ちになってしまう。
「反対しても、いいのよ」
一応言ってみたが、父はそれを言わない気がしていた。
父は頭を横に振り、リリアスの手を取った。
「ずっと傍にいて欲しいと、言えないのが辛いな。お前は自分の力で生きて来て、その手で色々な物を掴み取ってきたんだ。ラウーシュも、その中の一つだろう。お前が良いなら、私に文句はない」
リリアスは、色々言いたいだろう父がそれを押しとどめて、結婚を認めてくれた事を嬉しく思ったし、潔い態度の父が誇らしかった。
「アルレットに聞いたけど、貴族の結婚って婚約から間が空くんでしょう? だから私も忙しくなると思うのだけど、なるべく父ちゃんと一緒にいるつもりだから」
リリアスの言葉に、父が不思議な顔をした。
「マダムジラーの所で、結婚衣装を作らなくっちゃあいけないでしょう? 毎日通っても、デザインやレースの模様にもよるけど、時間はかかるから大変なの」
「リリアージュ……結婚衣装は、ジラーに頼めば出来上がるだろう? 何も本人が作らなくても、いいんじゃないか?」
リリアスはニッコリ笑って、
「マダムの所では、お針子が結婚する時に工房の女性全員で、結婚衣装を作ってくれるの。勿論本人も参加するのよ。素敵な衣装にしたいわ」
侯爵もオテロも、どこか違っていると思うのだが、リリアスがあまりにも嬉しそうなので、口を挟めなかった。
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「あれほど結婚は許さないと、言ったではないか!!」
持った扇で掌を叩き、デフレイタス侯爵夫人は激高していた。
侯爵は離れた椅子に腰かけて、酒をちびちびと飲んでいる。
「反対の理由が分かりません。父上の親友のご息女で、母上は隣国の王女殿下だったのですよ? 家柄血筋とも、文句の付けようがない方ではないですか。フローレンス姫との婚姻と、変わりないのではないですか」
「姫は王家の血を引いている」
「でも今は公爵家の養女という立場で、王家の血筋の話は持ち出せませんよ?」
「それでも実際には王家の出であるし、王家もそれを知っている。それだけで充分な事だとは思わぬか?」
「母上は、王家の血筋が大事なのですか?」
「そなたも宰相という重要な役を頂き、姫と結婚すれば公爵という地位にも上り詰める事が出来るのかもしれぬのだぞ?」
ラウーシュは父を見たが、呑気に酒を啜っている。
「父上も同じお考えですか?」
王を崇拝している父が、王の姪を嫁にと思っているのは充分考えられる。それに母が言ったとおり姫と結婚すれば、オルタンシア公爵家が手に入る可能性もあるのだった。
「デフレイタス侯爵家には、深謀遠慮という言葉は似合わない。ただ好きな事をしていられれば良いとは、思わないか?」
夫人は身を乗り出して、反論しようとしたが侯爵が手で止めた。
「ヴァランタンの娘が、気に入らない理由はなんだね?」
「私もセルウィリア王女殿下を、知っていますからそのお嬢様に、文句はございません。ですがイズトゥーリス王家の血は、後々騒動を引き起こさないかと思っているのです。我が家にその憂いを、持ち込みたくはございませんの」
母の心配も理解できるし、大体その騒動が起こったばかりだったのだ。
将来的に何も起こらないとは言えないのが歯がゆいが、それを考慮してリリアスと結婚しないという選択肢はない。
「リリアージュ様を我が家に御迎えしても、誰にも文句は言わせませんよ」
いつにないラウーシュの毅然とした言葉に、二人は驚いた。
「宰相を仮にお受けしましたが、父上は仕事に戻る気は無いのでしょう? 仰った様に、好きな事をしていられれば良いというのは、今のお気持ちなのでしょう?」
体は良くなっているのに、未だに療養中と言って出仕しないのは、ラウーシュが宰相を受けてしまったのも原因だが、色々な事があってもはや自分達の時代も、幕が下りる頃だと思っているからだった。
王太后が死に、オルタンシア公爵が舞台から去り、王太子もそろそろ婚姻を考えているこの時が、自分が引退をする時期なのだと思ったのだった。
「まあ、宮廷で仕事らしい仕事をしていたと、私は思っていないが、それでも陛下の為にならと出仕はしていたのだ。だがな、もう気力がなくなった。年を取ったというのではなく、好きな事にだけ時間を割いていたくなったのだ」
ラウーシュはこの言葉が、デフレイタス侯爵家の当主らしいのだなと、笑いながら受け入れた。
真面目な政治活動や権力争いに興味が無いと言えば、貴族らしく無いかもしれないが、好きな事だけをしていたいというのは、もっとも貴族の嗜みの様な気がするのだ。
それが出来るだけの財力があるのだから、父には残りの人生を好き勝手に生きて欲しいと思う。
「父上には申し訳ありませんが、私はリリアージュ様を妻にするために、これから自分の地位の安定を図りたいと思っています。不正をするつもりも有りませんが、オルタンシア公の後を継ぐつもりで、政治活動を致しますよ」
ニヤッと笑ったラウーシュは、もう衣装道楽の呑気な侯爵子息ではなく、強かに爪を砥ごうとしている、若獅子の顔をしていた。
「ほお……あまり力まずに、やってみる事だな。ミシェル、どうかね? ラウーシュに任せて見ては?」
――まあ――
久しぶりに人前で名前を呼ばれた夫人は、扇で口元を隠し肩を揺らした。
「お前がそこまで言うのなら……私は構わぬが、父上に面倒事を持ってくるのは、許しませんよ。当主となった暁には、お前が全ての責任を取るのですよ」
「分かりました。全て私にお任せ下さい。リリアージュ様にも、お二方にもご不自由はお掛け致しません」
後のフレイユ国最強の宰相が、誕生した瞬間であった。
本当かな?(笑)




