第141話
すっかり秋空になり日中も過ごしやすくなったこの頃、マダムジラーの店の工房裏庭に人が集まっていた。
午後の休憩の時間に裏庭で茶会の真似事をするのだが、今日集まった人が真似事で済まない者ばかりだった。
筆頭は、仕事をやりくりして必ずこの茶会に出席するラウーシュ。
庭にはレキュアが控えているが、裏庭の植垣の向こうには護衛が数人立っており、裏口にも一人店の廊下にも一人と厳しい警護が付いている。
次がオルタンシア女公爵ジェルメールとその養女のフローレンス嬢で、植垣の向こうに数人庭に侍女と警護の者が二人立っていて、それだけで庭は人で溢れている。
そこにリリアスがオテロを連れて来ており、使用人だけで六人いて茶会の参加者がぺラジーとモットを入れて六人いた。
デフレイタス家、オルタンシア家、ブリニャク家と競うように茶菓子が差し入れられて、おやつの時間の女工達は大喜びだった。
オルタンシア公爵家は屋敷の改修が始まったばかりで、女公爵親子はまだ王宮に留まっており持って来た菓子は、宮廷料理人が作った最高級の物であった。
リリアスは暇に任せて毎日ジラーの店にやってきて、自分の場所だった席でレースを編んだり刺繍をしている。時折技術的な事を聞きに女工が来るので、嬉々として教えている。
六人が席に着くテーブルセットを置くと、護衛の者との距離が近すぎて落ち着きのない茶会となっていた。
紅茶は王宮から付いて来ている侍女が入れ、ぺラジーが手助けしている。菓子は横の小テーブルに置かれていて、リリアスが好みを聞いて皿に乗せる事にした。
一々作法通りに皿を置いていく事が出来ないので、皿は手渡しというとんでもない茶会だった。
「では公爵邸の改修は秋の終わりごろには出来るのですね?」
「はい、陛下が急がせて下さってそれまでにはと。公爵家の使用人の方々も追々戻って来ていて、直った所から掃除などをしているそうですわ」
話を振ったラウーシュも、火災で真っ黒になった公爵邸を見ているので、それが元に戻っていると聞いて感慨深く、使用人もそのまま働くと聞いてほっとした。
騒動の際に逃げ惑ったただろう使用人が、嫌気を差してもう出仕しないのではないかと思っていたのだ。
「それで新たに執事長になった者が、毎日報告に来てくれるのですが、とても面白い事があったそうなのです」
改修中の公爵邸で面白い事などあるのかと、皆が不思議な顔でジェルメールを見ると、
「執事長が改めて屋敷の中を見て回ると、壁に掛けていた代々伝わる絵画が焼けたり水を掛けられて無残な物になっていたそうなのです」
ラウーシュが一度だけ見た事のある絵などを思い出したが、それは素晴らしい物ばかりだった。それらが騒動で駄目になってしまったのは、とても残念に思った。
「処分する訳にもいかないと一旦集めて、地下の物置に運び込むとそこに、屋敷にある絵画と同じ物が全部揃っていたのですって」
「偽物ですか?」
ジェルメールは困ったような顔をして、顔を横に振った。
「偽物と言ったら、模写されているのですから、贋作なのですが……描いた画家が問題なのです」
「有名な画家が描いたとでも?」
ジェルメールが頷いた。
「イーザローの宮廷でも絵が好きな貴族は知っていましたから、この国では有名かもしれません。ベルトレイという画家なのですが、作品の評価はとても高くて、いずれ描かれた作品は国の宝と言われるだろうと、噂されているのです」
「そんな有名な人が、なんで贋作なんて描いたのかね?」
ぺラジーが黙って菓子を食べていたが、偽物とか国の宝という言葉を聞くと黙っていられなかったらしい。
ジェルメールは、自分の話に食いついてくれたぺラジーに嬉しそうに笑った。
「ここだけの話ですけれど、宰相閣下は最後に王太后と共にお屋敷で死ぬおつもりだったのでしょう? その時に絵画や彫刻が壊されるのを懸念して、偽物の絵を飾っておくおつもりだったのではないかと、執事長が言っていました。閣下は……物を大切になさる方のようでしたから」
吝嗇家と言わないのが貴族の嗜みである。
「でも、結局本物が焼けて、偽物が残ったってことだろう? 一体どうなってんだい?」
ぺラジーの疑問は皆の物だった。
「シメオン・ベルトレイの作品は、模写でも本物より価値があると閣下が判断なさった、という事でしょうね」
「そうなのかい?」
「どうだろうな?」
まったく門外漢のぺラジーとモットは、本物より偽物のほうが価値がある事を理解できなかった。
ぺラジーやモットは頭を捻るが、ラウーシュには分かる気がした。
昔の名作であってもそれを凌駕する才能が、ベルトレイには有ったと言う事なのだろう。
「お屋敷が完成しましたら、是非その作品を見せて頂きたいものですね」
「ええ、皆様をご招待いたしますわ。娘が大変お世話になったと聞き及んでおりますもの」
ジェルメールは幸せそうに笑って、隣のフローレンスの手を握った。
「あと、乳母のコリンヌが陛下から直々に感謝のお言葉を頂いて、男爵の称号を頂いたのです」
「それは誠に目出度い!」
オテロが声を上げると、皆が見たので自分の無作法に身を縮めて一歩後ろに下がって、木にぶつかっていた。
「そうなのです、長年母をかばいながら育ててくれた上に、教育を受けさせて貴族の嗜みも教えてくれたのですもの。感謝しか有りませんの。コリンヌが褒美を与えられるのは当然だと思いますわ」
乳母のコリンヌに育てられたフローレンスも、その教育を受けた者として男爵の叙勲はとても嬉しい事だった。
コリンヌもこれから貴族として過ごしていかねばならないので、その準備の為にジェルメール達に付いては来られなくなったのだった。
しかも五十過ぎの独身女性が叙勲したので、貴族達はまたまた騒がしい事となり、コリンヌが貴族としての体裁を整えるための準備を手伝いたいと、申し込みが殺到しているのだった。
貴族の名前が今余っている状況で、それを狙っている者は多い、ジェルメールもコリンヌもこれから、忙しい宮廷生活をせねばならなくなるだろう。
ラウーシュと共にジェルメール親子が王宮に帰り、リリアス達は護衛達がいなくなってほっとしていた。
狭い庭や店の廊下に護衛が立つとやはり物々しく、いかに貴族の洋服を作っている店だとしても、堅苦しい気がした。
ぺラジーは、相変わらず鬼の様に一心不乱に針を刺しているリリアスを見て、言葉使いや所作などは段々貴族らしくなってきているのに、この時は職人でしかないなと思う。
リリアスはジラーの仕事をたまに手伝うが給金は貰わず、それを孤児院に寄付してくれと申し出ており、本当に趣味の様な事になっていた。
――はあ……――
ひと段落ついたリリアスが頭を上げ、息を吐いた。
「なんの、溜め息だろうね」
リリアスはぺラジーの変わらない洞察力に、肩を竦めた。
「姫様は公爵家のご息女になって、王太子殿下との婚儀が出来る様になったの。後は姫様のお気持ち次第なのね……」
「若様は振られたんだ」
ぺラジーは、――ハハッ――と笑ったがリリアスが真剣な顔なので、直ぐ顔を引き締めた。
「ラウーシュ様は、もともと婚姻に関心が無かったから、そういう物かとお引き受けしたらしいけど、結局は収まるところに収まったって感じね」
リリアスは中途半端なラウーシュと自分の関係に、少し苛立ってきていた。
彼が――好きだ――と言ったのは、いつの事だったろうか。
ダンスを教えてくれたり、宮廷での舞踏会でも踊ってくれたが、この頃は積極的な言葉を言わなくなっていた。
宰相としての仕事が忙しくても、休憩時間の茶会には来るのに取り留めのない話だけをして帰って行く。
もうリリアスへの気持ちは無くなって、仕事に集中しようとしているような気がするのだった。
それならそれで、リリアスもジラーの所で刺繍をしたり、孤児院で洋裁を教えたりとする事はあるのだが、時々寂しいような虚しいような気持ちになるのは何故なのだろうと思うのだった。
そういう時に、深い溜め息が出るのである。




