第135話
孤児院の木製の柵の前に、二頭立ての馬車が横付けされた。
玄関の前で遊んでいた子供が、それを見て立ち上がった。
「リリアスお姉ちゃんだ!」
四、五人の子供が、わらわらと馬車に駆け寄った。
何度も孤児院を訪れているので、すっかり馬車を覚えられている。
リリアスは子供達には美しい物を見て欲しいと思い、デイドレスの中でもデザインは慎ましいが、薄いピンク地に小花が織り込まれた可愛らしい物を着て来た。
オテロに手を掴まれ馬車から降りるリリアスを見て、女の子達は大騒ぎだった。
「きれー。お姫さまみたい」
子供の反応は単純で整った姿の男性は王子さまで、美しいドレスを着た若い女性はお姫さまなのだ。
触るのをリリアスは怒らないので土で白くなった手で、遠慮なくドレスを撫でる。まだ幼くリリアスが誰かも分からない幼児は、指を咥えてその騒ぎを見ているだけで、リリアスはそっとその子を抱き上げた。
「ララって言うの、ちょっと前にここに来たんだよ」
「ララちゃん?」
リリアスが顔を覗き込んで名前を呼ぶと、胸に顔を埋めてくる。
「マンマー」
まだ乳臭い幼児の、胸をくすぐるような匂いに、リリアスは胸が締め付けられる。
「おかあちゃんが、死んだんだって」
まだ五、六才の子供がお姉さんぶって、幼児の面倒を見ているのだが、この子達は親の顔さえ知らない孤児だ。それでも母を失った幼児を可愛がり、面倒を見ようとする。
自分達も親に甘えたい盛りの子供なのに、もっと弱い子を守ろうとしているのが健気で、この子等が幸せな生活が出来る様にと心から思っている。
表の騒ぎを聞いて男の子達もやって来た。
「リリアス姉ちゃん」
もっとも男の子達はリリアスのドレスが目的ではなく、土産にいつも持ってくる菓子が目当てであった。
オテロが馬車から大きな荷物を下ろすと、我先にと群がって持てもしないのに、箱に触ろうと手を伸ばしている。
「こらこら、落としたら困るのはお前達だぞっ」
オテロは子供達が腰の辺りに纏わり付くのを、まんざらでもなさそうに笑いながら孤児院に入っていった。
リリアスは幼児を抱きながら女の子達と、後を付いて行った。
「神様に感謝しますっ!!」
甘い菓子を目の前にして、子供達の祈りは威勢が良かった。
「おいしい」
リリアスの隣で、砂糖掛けのパンを食べているアガットは、口の周りを白くして口いっぱいに頬張っている。
「良かった。一杯あるから、慌てないで食べてね」
リリアスもパンを小さく千切って、――あーん――と口を開けて待っているララに与えている。
アガットの隣には、兄のナタンが座ってコップの牛乳を飲むのを手伝っている。病気になりやせ細っていたアガットは、すっかり幼児らしい丸っとした頬に戻り、世話をしているナタンも嬉しそうに笑っている。
アガットの病気が治っても二人の母は帰ってこず、リリアスが食べ物を運びながらアガットの体力の回復を待ち、ナタンも病が発症しなかったのを確認してから、孤児院に預けたのだった。
疫病の蔓延の影響から三十人程だった孤児は、今は倍近くに増えていた。
子供が助かっても、親が亡くなる事もあったのだ。
他の孤児院も人数が増えて大変だが、国が援助金を増やして対応しているようだった。
ここの孤児院はリリアスが育った場所という事で、ブリニャク侯爵家が援助を申し出ているので困る事は無かった。
リリアスもこうやって週に一度は来るようにしていて、すっかり新顔の孤児達とも顔馴染みになっている。
オテロは、男の子の剣の先生として大人気だった。
リリアスも、針を持てるようになった年の子に裁縫を教えて、将来それで食べて行けるようにと考えていた。
子供達もリリアスの着ているドレスに憧れを持ち、一緒に作る人形やアップリケの付いた袋などに興味を持ち作る意欲が出ているようだった。
いずれは自立しなければならない孤児達が、少しでも幸せになれる様に協力したかった。
王都の教会全体も、子供達に神の教えを学ばせる為に読み書きを教えようと、私塾の様に教会の施設を開放するようになっている。
この動きが国全体に広がれば、フレイユ国は平民も豊かな生活が送れるようになり、貧富の差が縮まる可能性が出て来たのだった。
「ナタン、しっかり勉強している?」
ナタンもすっかり顔の厳しさが取れ、年相応の表情をするようになっていた。
「ああ、俺が勉強して良い給金の所で働けるようになったら、アガットと一緒に暮らせるだろう? そしたら綺麗な服を着せて、美味しい物を腹一杯食べさせてやるんだ」
その瞳には、エイダを虐めていた時の暗く濁った物は無く、未来を見つめる輝きがあった。
「ナタンなら出来るわよ。こんなにアガットちゃんを可愛がっているんだもの、絶対幸せにしてあげられるわ」
ナタンの頭をクシャクシャと撫でると、――よせよっ――と顔を赤くしてリリアスの手を払った。
リリアスは、大きな声で笑った。
本当に久しぶりに、心から笑えたひと時だった。
*****
ジャラジャラと鎖の音が近づいてきて、裏口の扉が開けられた。
「洗濯物が乾きました」
大きな籠に一杯の下着やブラウスなど女中の物が入っていて、乾いていてもかなりの重さが有った。
ジャジャは額に汗を掻きながら、籠を裏口から中に運び部屋の作業机の上に洗濯物を開けた。
「ああ、もう少しで食事の時間だから早く畳むんだよ」
洗濯女中は、チラッとジャジャを見て直ぐに火熨斗がけを続けた。
ジャジャはブラウスなど火熨斗が必要な物はとりわけ、下着などの物を机の上で畳み始めた。
白いブラウスに足首より少し上の丈の黒いスカートに、腰にエプロンをしている。
娼館に居た時は真っ白で綺麗な手だったが、今は洗濯仕事のせいであかぎれができて荒れていた。
スカートの裾から覗いた両足首には、黒い鉄の輪が付けられそこに太い鎖が繋げられており、肩幅ぐらいにしか開かない様に長さが調節されていた。
そのせいで走って逃げても上手く足が開かず、直ぐに捕まってしまうのだ。
ジャジャは地下牢から出され鎖を付けられて、ブリニャク家の洗濯女中に付いて、屋敷の使用人の衣類の洗濯をさせられていた。
どうしてそうなったかは、ジャジャは聞かされていなかった。
ブリニャク家の使用人も、ジャジャが罪人という事は聞かされており、処分が決まるまで屋敷で働かせるとだけ言われていた。
朝から洗濯を始めて搾り干場に干し、乾いたら取り込んで畳んで棚に仕舞うまでが一日の仕事だった。
井戸の傍で一日中盥で汚れ物を洗うので、腕や腰が痛くなり辛いものだった。今まで体を使う労働をしなかったので、筋肉も体力も無くジャジャには過酷な仕事であった。
食事はこの家事室に運ばれて一人で食べてから、あてがわれた小部屋に下男に付き添われて戻り、表から鍵を掛けられ朝まで寝るという生活であった。
だが毎日続けていると体力が付いてきて、仕事の流れもでき要領が分かり始めると段々遣り甲斐がでてきていた。
洗濯物を石鹸をつけて擦ると、汚れが落ち白くなり綺麗になると達成感が湧いてくるのだ。
ジャジャは忘れていた昔を思い出した。
田舎で乳母のスルヤと一緒に、奥方とリリアージュの世話をしていた時は、
毎日洗濯と掃除をし一日中働いていたのだった。
雨の日は洗濯物が乾かないから、竈の火がある台所で紐を渡して干したものだった。
火熨斗が当てられた、洗濯物が乾く匂いが好きだった。
「終わったかい?」
「はい……」
洗濯女中は四十台の少し太った人で、ぶっきらぼうな話し方をするが、ジャジャが罪人であっても扱いは他の女中達への態度と変わらなかった。
だからジャジャも、素直に返事をする事が出来るのだった。
足に鎖を付けて歩くジャジャは、他の使用人に見られない様にしているが、時々出会ってしまうとやはり怯えた顔をされてしまう。
しかしそれでもこの屋敷の使用人達は、ジャジャに対して毒づいたり嘲りの態度はしなかった。それだけ感情を抑える事が出来る、質の良い使用人達なのだと言えるのだろう。
――それでも私が、この家のお嬢様を攫った咎人だと分かったら、罵られたり暴力を受けたりするのだろう――
そう考える事を止められなかった。
一人で夕食を取っていると、家事室に来た事がないオテロが入って来た。
ジャジャは驚いて、持っていたフォークを取り落とした。
「食事が終わったら、旦那様からお話がある」
オテロは、ジャジャに対してはいつも厳しい顔をしているが、それは当たり前でもう気にはならなかった。
部屋の入口で腕を組んで立っている、オテロの視線を受けて食事を取るのは緊張するもので、もう食べ物の味は分からなかった。
ジャジャがフォークを置くとオテロが部屋を出たので、慌てて立ち上がり後ろを付いて行った。
ジャラジャラと鎖の音が廊下に響き、罪人の自分がここに居るのだと教えている気がして、落ち着かなかった。
廊下の様子も、今までジャジャが居た場所とは明らかに造りが豪華になっていて、自分が歩いてはいけない所なのだと分かってきた。
「旦那様」
オテロが声を掛け大きな扉を開けると、先にジャジャを通した。
見た事もないほど広い部屋は窓から沈みかけた西日が入り、黄金色に輝いていた。
ブリニャク侯爵は、奥にある大きな机の椅子に腰かけていた。
紺色の服を着ている侯爵は、その身体から平民には直視できない程の威厳が溢れていて、ジャジャは思わず膝を付いて額ずいてしまった。
「女……これからお前に処罰を言い渡す」
ジャジャは、急に訪れた自分の運命の行方に想像がつき、体が震えるのを押さえられなかった。
「顔を上げよ」
人に言う事を、聞かせられる声だった。
奥から侯爵が立ち上がり、平伏すジャジャの所まで歩いてくる。
「カンタンの口車に乗り、リリアージュを誘拐した。この罪は死に値する……顔を上げよ! 女!」
震えながらジャジャは、顔を上げた。
涙も鼻水も開けた口から流れる涎も、手で拭う事もせずジャジャは侯爵を見つめている。
まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
侯爵に捕まってから、自分の罪を考えていた。
あの幼子を連れて村を出てから、ひと時も心が安らぐ事は無かった。
カンタンと幸せになれると思っていたのに、地獄に落とされたのだ。
人の物を奪った罰が、あの時から始まったのだ。
そして今犯した罪の償いを、これから払う事になるのだろう。
「女……お前は国の法に則って、絞首刑に処される」
ジャジャの目の前は、真っ赤に染まっていった。
遅くなってしまい、申し訳ありません。




