第132話
姫はオレンジ色のドレスにシフォンの薄いショールを肩に掛けて、ゆったりとした風情でソファーに腰かけていた。
毒殺未遂事件の影響で長く床に伏せっていたが、この頃床上げを済ませたようだった。
「殿下お寛ぎの所申し訳ございません。姫様には、ご快復をお祝いたします」
年上であるサバシアが二人に挨拶をし、ラウーシュはただ頭を下げるだけにした。
「丁度姫もお帰りになる所であったのだ、姫またお時間が取れればご一緒にお茶を頂きましょう」
「はい、今日はとても楽しゅうございました」
姫がラウーシュの方を向いて、
「ラウーシュ様、デフレイタス侯爵の御様子はいかがでいらっしゃいますか?」
「はっ、父も外出が出来る程には回復いたしましたが、まだ出仕には至りません。姫様がご快復なさったと聞き及び、父も大変喜んでおります」
「侯爵閣下にお会いするのを、楽しみにしているとお伝え下さいませ」
「ありがたきお言葉」
姫は侍女と共に扉に向かおうとしたが、はっと気づいたようにまた向き直った。
「殿下からお聞きしましたが、お姉さまが侯爵様御令嬢だったと。それにお隣の国の王女様だったと……ラウーシュ様はお姉様とお会いなされておいででしょうか?」
「はい、今日もお会い致しました」
姫の後ろで王太子が、ニヤニヤ笑っている。
「是非お茶をご一緒にして、お話しを致したいとお願いして下さいませ」
「確かに承りました」
姫は満足げな顔で、退出して行った。
急に華やかな空気が無くなり、男ばかりの空間になった。
「殿下申し訳ございませんが、お人払いを……」
サバシアの願いで、執事以外の使用人がいなくなった。
「先程の姫様の仰った、ブリニャク侯爵令嬢に関係する話なのですが……」
今までの経緯を知らせると、王太子は考え込んだ。
「我が国は、王族を処刑しているのだぞ。今更元貴族を処刑しても、占領地の国民を刺激するとは思えぬが?」
戦後王族を処刑し国の存続の可能性を無くしたのは、北の国の野望を消す為だった。これは当時の宰相が強く発言し、国王もそれを支持したため成された事だった。
国民は統治する王族が居なくなっても、生活を続けていくしかなく余程王族を敬愛していたなら別だが、イズトゥーリスの国民はフレイユ国の占領を受け入れた。
フレイユ国も自国と同じ条件で国民を遇したため、混乱はなかったのだ。
不満に思っていたのは、身分を剥奪された元貴族達だった。
「殿下は、その若者達を処刑せよと……」
「何事にも抜け道はある」
サバシアは混乱して、ラウーシュを見た。
「して、殿下のお考えは?」
この後王太子が王になった時、ラウーシュは宰相の地位を確立しており、二人は国を導いていく事になるのだが、その兆しはすでにこの時から見えていた。
「処刑した事にして、自国の残党と共に船に乗せて心身ともに鍛え直すのはどうだ?」
「船でございますか……」
イズトゥーリスは僅かに海に接しており、それが北の国の進出理由でもあったのだが、海洋交通はそれ程発達していない。
これからのフレイユ国発展にはそれも必要な事であったが、なかなか手が付けられない状況であった。
「船の運航に耐えられれば良し、そうでなければ自ずと死という訳でございますな」
船乗りは慢性的に人手不足で、若い労働者は貴重な物であった。大人になってからの船の労働は厳しいだろうが、それを乗り越えられれば将来も見えてくるだろう。
「貴重なご意見ありがとうございます。しかし陛下のご承認を頂かなくても、宜しゅうございますか?」
「陛下には、私がお話する。ここに宰相殿がおられるのだから、結果を承認して頂く事で良いであろう」
ラウーシュは、自分の責任の重さに驚いた顔をした。
「オルタンシア公が良く言っていた。民の上に立つ事は、自分を試されているのと同じ事だと。自分を律して精進すれば民は黙って付いて来る、しかし怠惰に流されれば見捨てられるとな。統治する責任は果てしなく重いが、それでもどうしても嫌になったら、王を辞める事もできるのだと教えてくれた」
賢王と呼ばれる父と自分を比較して、卑下しそうになる王太子にオルタンシア公爵は、いつでも何気なく元気が出る言葉で励ましてくれていた。
その宰相が謀反人の汚名を着て国から消えてしまった事が、王太子にとっては悔やまれる事であった。
「では大臣と共に、ロカンクール殿に裁定を伝える事にいたします」
「ラウーシュ卿、励めよ」
ラウーシュは、王太子の言葉が痛いほど胸に刺さり深々と頭を下げた。
サバシア軍務大臣とラウーシュはその足で、ブリニャク侯爵の屋敷に出向き面会を求めたが、ラウーシュは午後ここから出仕したので、戻って来た彼に執事は帰宅の挨拶をした。
「お帰りなさいませ。ラウーシュ卿」
サバシアは、怪訝な顔でラウーシュを見た。
「事件の有った日から父が体調が優れないので、泊めてもらっているのです」
「おお、ではデフレイタス侯もおいでなのだな、体調が宜しければ後にご挨拶させて頂こう」
ブリニャク侯爵とリリアスとロカンクールが同席した中で、王太子の意見を披露した。
ロカンクールは彼らの命が助かるならば、どの様な事も受け入れるつもりであったし、リリアスも怖い思いはしたが王太子の提案ならばと反論する事は無かった。
しかし、ブリニャク侯爵である。
「何故処刑されない!」
自宅で娘を攫われるという屈辱的な目に遭って、父は怒っているのであった。
「閣下、船に乗る事は処刑より辛い事が待っておりますよ」
ラウーシュが、意見を言うと侯爵は一応黙って聞く態度を見せた。
「商人の話を聞きますと。船は慣れないとまず船酔いにやられ、物が食べられず酷い状態になると、亡くなる者も出るそうなのです」
――ほお!――
侯爵が嬉しそうな顔をした。
「それに船乗りは子供の頃から乗船し、少しづつ仕事に慣れていくのですが、大人になってからの船乗りは大変なようですよ。海が荒れても帆を畳むのに雨風吹き荒れる中、二十メートルも有るマストに登るのです。不運な者は落ちて命を失ったり、不具者になってしまうのです」
――なんと!――
「それに夜の見張り番の時にも荒れていると、朝になって姿を消している事などもあるそうです。波にさらわれてしまうのです」
「それでよかろう! ロカンクール殿いかがか?」
「命さえ助けて頂けるなら、否なはございませんよ」
若者達は屋敷内に呼ばれ、ブリニャク侯爵からその裁定を聞かされた。
処刑だと思っていた彼らは、海の過酷さを知らず感謝した。
「私達に、寛容なご裁定を感謝いたします。自国の仲間の事ですが、彼らの名を申す事はご容赦頂きたいのです。彼らも私達が処刑されたと聞けば、反抗はしないと思うのです。もし彼らが抵抗運動をしたならば、その時は彼らを捕まえても構いません。彼らの名前は、書面に致しますので、ロカンクール殿に預かって頂く存じます」
彼らは、頭を床に付けて願い出た。
ブリニャク侯爵は彼らが仲間を売らなかった事に感心し、その願いを受け入れた。
「お前たちの仲間は、助命の事を知らない。故に身を慎まず抵抗運動をした時には、本当にフレイユ国に仇する者達として処刑するがそれで構わぬな?」
「構いませぬ」
若者達はその後、ひっそりと国の衛兵に監視されながらロカンクールと共に故郷に戻り、フレイユ国の責任者により表向きは処刑を公表され、誰に会う事も許されず、大型戦艦の乗組員として海原に出航して行った。
唯一事情を知るロカンクールが、後に彼らの親を訪ねその経緯を知らせたのだが、元貴族であった親達は王族に対する息子達の蛮行を憤りつつも、生きている事に内心では喜んでいたのだった。
この一件は極秘にされ、彼らが故郷に戻るまで伏せられたが、海から帰って来たのは二名だけであった。




