第131話
陽の当らない飾り気のない部屋は、初秋とはいえ午後になると肌寒い。
「暖炉に火は、入れられないのか?」
「これから言い付けても、薪を持って来て火を点けるとなると、半刻はかかりますが、それより早く仕事を終わらせた方が、宜しいかと思います」
言われればその通りなので、ラウーシュは机の上の書類に目を落とした。
「何、何? 橋の痛みが酷いので補修して欲しい……」
呆れて思わず奥の机に座っている、カノーの顔を見た。
「宰相はこんな末端な仕事の裁可も下していたのか?」
「いいえ、土木や経済などの大臣がおりますから、本来ならばそちらに書類が回るのですが、一時政務が滞っておりましたから、総ての書類が今だけこちらに集まっております」
ラウーシュはうんざりした顔で、持っていた書類の束を机に投げつけた。
「陛下に宰相を言い付けられた時に、少しでも羨ましい顔をした奴に、この座をやりたいものだ」
レキュアは執事となるべく、領地や侯爵家の家計の勉強をしているから、国の大掛かりな事業も、領地経営の拡大版と思えばある程度の流れは見る事が出来る。
しかし侯爵家と違って動く金額が、想像もつかない額でこんなに使っても良いのだろうかと思う程の物だった。
――これだもの、権力を握りたいと思う者が絶えないのは分かるな――
少し数字を誤魔化せば、懐に信じられない金が落ちてくる。
だが、それをしなかったオルタンシア公爵が貯め込んだ金が、あの戦争を支えたのだから、浪費や不正が良くないのは当然であった。
レキュアとカノーと三人掛かりで溜まった書類を各方面に振り分け、見積もりや計画書を出すようにと引き渡したのは、もう薄暗くなる頃だった。
「ラウーシュ卿、ありがとうございます。これで各地方で困っている民が、生活を維持していける事でしょう」
しっかりした顔でカノーが満足げに言うと、ラウーシュは顔の前で手を振った。
「これは貴方の能力によって、終わらせた仕事だ。こちらこそ、礼を言う」
参考にとカノーが持って来た公爵の書類の束や仕事を記録した物は、整然と書かれていて参考になるどころか、政務運営の教科書のようだった。
カノーは三年とはいえ、実務で公爵から学べたのでこれからの政務にはとても役に立つ人材だった。
その上謙虚で静かで気遣いができるという、秘書の鑑の様な男だった。
帰宅するべく馬車寄せに向かっていると、廊下の奥の扉が開き大きな手が出て来て、手招きしている。
「あれは亡霊の手か?」
「王宮は歴史がございますから、出ると言えば出るかもしれませんね」
通り過ぎようと無視すると、
「ラウーシュ卿、ラウーシュ卿……」
と、呼ばれてしまった。
よく見ると、サバシア軍務大臣だった。
「何をなさっていらっしゃるのです?」
「まあまあ、こちらへ」
使用されていない部屋らしく、カーテンこそ開けられていたが、家具には布が掛けられており、かび臭さがあった。
「秘密のお話なのでしょうが、軍にお金は出せませんよ。今年は出費が多かったですからね」
「そうなのか?!」
ラウーシュの意外な言葉に、大臣は声を上げた。
「冗談ですよ」
大臣は胸をなでおろし、こちらにと手招きした。ラウーシュが傍に行くと、声を落とした。
「今日、ロカンクールが屋敷にやって来て、事情は聞いた。災難だったな」
ラウーシュはロカンクールの行動が予想外だったが、大臣の対応も早いのに驚いた。
イズトゥーリスとは昔は交流があったのだから、宰相だった彼がフレイユ国の貴族と懇意にしていたのは当たり前であった。
彼が大臣に泣きついたのも、数居る知人の中で軍人なのが大きな理由であったかもしれない。
ブリニャク侯爵とは親しい仲であるし、仕事で一緒に働いているのだから、犯罪者の若者達の助命を請うには適任者であったかもしれない。
「あの爺さん、やっぱりただの年寄りではありませんね」
大臣は今更と言う顔をした。
「長く宰相をやっていると、喰えない人物になるのかもな」
二人の頭には、自国の宰相だった人の顔が浮かんだ。
「あの方は、特別ですよ。今仕事の内容を見てきましたが、並大抵の頭ではないと思いましたよ」
――その跡なんて、自分には無理だと思う――
ラウーシュは、誰かこの仕事を引き受けてくれないかと切に願った。
「サバシア殿、上手くやれば一財産作れる美味しい仕事が有るんですが、どうですか?」
「私に金勘定は向いていない。剣を振り回していた方が性に合っている」
二人でニヤリと笑い合って、
「その喰えない老人が、何とかならないかと言っているのだが、ブリニャク侯爵の考えは?」
「厳罰でしょうね。私もあの地に残っている、イズトゥーリスを復興させたいと思っている馬鹿共の気持ちを折るには、処刑しかないと思っています」
「その考え方は、ブリニャク侯爵の受け売りかね?」
ラウーシュは首を振った。
「リリアージュ嬢を攫おうとした罪は、重いでしょう。私が、直に手を下したいぐらいですよ」
サバシアは、――ほお――と声を上げラウーシュの、リリアスへの思慕の情を微笑ましく思った。
だがラウーシュが厳罰を望んでいるならば、彼では相談相手にならないと諦めかけた時、彼が納得がいく相手を思い出したようだった。
「陛下にご相談は出来ませんが、王太子殿下でしたら非公式に、話を通す事は出来るのでは?」
自国領と言っても他国の元貴族を犯罪者として罰するのだから、微妙な問題が発生する事も考えられる。感情に任せて処罰すると、後々面倒な事にならないとも限らない。
「うむ……成る程。王太子殿下ならば、聡明であるしイズトゥーリスの貴族だった者達との関係も、考慮なさってくれる事だろう。……よし、善は急げだ。卿も一緒に来てもらおう」
帰るつもりだったラウーシュはまだ痛い脚をひきずりながら、大臣に連れられて王太子の執事に案内を請うた。
「もう夜になりますし、殿下もお忙しい方ですから、今日申し込んで今日面会とは無理ですよ……」
「そんな事はない。我々が急遽、陛下や王太子殿下に用件が出来る事もあるのだ。それを悠長に――明日お茶の時間に――なんてやっていれば、国が潰される事だってあるのだ」
大臣の言う通りで、執事がやって来て王太子との面会は許された。
「ほらな」
大臣の得意げな顔に、ラウーシュは子供のようだと、父やブリニャク侯爵に通じる茶目っ気を感じた。
執事に案内された王太子殿下の私室には、イーザローの姫が居た。
大臣もラウーシュも、これはお邪魔したのではないかと、冷や汗を掻く事になった。




