第130話
遅めの朝食か早めの昼食か、リリアスとラウーシュは晴れた空の下で食事を取っていた。
涼しい秋風が僅かに花の匂いを運んで来て、気持ちよい天候だった。
朝早いロカンクールにブリニャク侯爵が朝食を付き合い、二人で出掛けてしまい、デフレイタス侯爵はまだ眠っている。
そして筋肉痛がまだ残っているリリアスと、立っていると脚が笑いだすラウーシュは、体の強張りが解けてから起き出したのだった。
「あの夜は良く二人共、夕食に出られたと思いますよ」
リリアスがあれは、二人の見栄の為だったのだろうと説明した。
「誘拐されたぐらいで、弱って食事が出来ないなんて犯人に負けた気がしません? だから少しぐらい痛くても、無理して食事に出て来たんですよ」
ラウーシュはリリアスが夕食に出ると聞いたから、出ない訳にはいかないと出ただけで、意地も見栄も関係なかった。
料理長が作ったパンケーキはふわふわとしており、まるで雲のような柔らかさで仄かに甘く、彩りにちりばめられたベリーやイチジクの酸味がそれを引き立てていた。
紅茶にはミルクをたっぷりと入れ、ハムとソーセージがこれでもかとスクランブルエッグと共に出されていた。
ラウーシュは遅い食事なので、それ等をペロリと平らげてリリアスを驚かせた。
食事も終わり、紅茶のお代わりを飲む頃に、
「ラウーシュ様……昨日は助けて下さってありがとうございます。ラウーシュ様がいなければ、今頃私は旅の空の下でした……」
リリアスが神妙な顔で、ラウーシュに礼を言った。
オテロが急に咳き込んで、横を向いて顔を逸らした。リリアスは何か変な事を言っただろうかと、オテロの隣に立っているレキュアを見たが、彼も真剣な顔をしているが肩が小刻みに揺れていた。
「ラウーシュ様、私変な事を言いましたか?」
「いいえ、私に昨日の礼を言って下さっただけですよ……」
ラウーシュはニコニコ笑っているだけだ。
リリアスは、カップを手で持ちながら言いにくそうにしながらも、質問を口にした。
「昨日私を、リリアスとお呼びになりました。オテロも屋敷の方も、リリアージュと呼んでくれますが、本当の名前ではないからぺラジー達ぐらいしか呼んでくれません。どうしてあの時、リリアスと私を呼んだのですか?」
ラウーシュはみるみる顔を赤くして、固まってしまった。
オテロとレキュアは、薄い笑い顔になっている。
屋敷の手前の芝生に誂えられてたテーブルセットは、二人しか座っていないが勿論周りには侍女が数名と、執事が二人控えていてその横にオテロとレキュアが立っている。
昨日の様な心臓に悪い出来事は、二度とさせないと僅かな緊張感はあるが、ラウーシュとリリアスのやり取りに、二人は呆れていた。
「まるで砂糖菓子を食べているようだ。貴方の主人はお嬢様の前では、男としての能力を発揮できないのではないかな?」
「ええ、昨日の場面を見た時は驚きでしたが。その後の活躍を考えると、若様はリリアージュ様の事になると、別の才能が引き出されるようですよね?」
そろそろラウーシュも決断して、リリアスに迫っても良いのではないかと皆が思っているが、ラウーシュはなかなか切っ掛けが持てなかった。
「そうですね、以前からリリアスというお名前を知っていましたから、とっさに貴女を呼ぶ時に、慣れた名前の方を呼んでしまったのかもしれません。大変失礼致しました」
「いえ、そうではないんです……。私も長年呼ばれていた、リリアスの方がしっくりするんです。リリアージュは。三才の頃から決して忘れてはいけない名前だと思って、大切に頭の中にしまっておいた名前ですが、いざ呼ばれてみると違和感があるのです」
――そういう事も、あるかもしれませんね――
ラウーシュもあの時の騒動を思い出していると、嬉しい事に思い至った。
「貴女も私を、ラウーシュと言い捨てて下さった」
「貴族の男の方は、女性が思い出して欲しくない事は、無かった事にして下さるとアルレットが言っていました」
頬を赤くしたリリアスは、口を尖らせてつんと顎を上げた。
――アハハハ!――
ラウーシュの大きな笑い声は、高くなった青空に上がっていった。
ロカンクールは、昔の知人の屋敷を訪ねた。
相手はロカンクールの名前を聞いて、まるで墓場から死者が蘇って来たかのように驚いた。
「ロカンクール宰相が、どうして今頃?」
とっくに引退したと聞いていたのだが、間違いだったのだろうか。
とにかくサバシア軍務大臣は、急いで応接室に向かった。
「おお、お久しぶりですな、ロカンクール宰相」
「サバシア大臣もお元気そうで、何より。私はとっくに引退した身でありますよ。ロカンクールとお呼び下され」
引退したのは本当だったと了解したが、彼がわざわざ旧自国から出て来た理由がわからなかった。
「今はブリニャク侯爵閣下の屋敷に、泊めていただいております」
その言葉で、彼がフレイユ国に来た理由が分かった。
年を取った彼でも、旧自国の一大事にはじっとしていられなかったのだろう。
「突然訪問して、このような願いを申すのも本当に申し訳なく思っておりますが。実は……」
ロカンクールの話した事が事実ならば、サバシアには事件を起こした若者たちを救う手立てが思い浮かばなかった。
戦争後互いの国の重臣として顔を合わせ、色々な問題を話し合ってきた間柄だったが、自分が自国に帰ってきてからは、音信不通であったのだ。 今急に訪問されたのも意外であったのに、こんな厄介な話を持って来られようとは思ってもいなかった。
「私は戦争に関係する事ならば、頭も働きますが。このような罪人の話では、働く頭が有りません。……こんな時、オルタンシア公爵閣下がおられれば、どうにでもなったのでしょうけれど」
ロカンクールも戦前、戦中、戦後と、オルタンシア公爵とは頭を使って自国の利益の為に戦ってきたが、彼ほど頭が回る人物を見た事が無かった。
「本当に……。あれほど優秀で国を想っていらした方が、謀反を起こすなど未だに信じられませんな」
ロカンクールは、サバシア大臣の返事を聞いて落胆していた。
フレイユ国も今回の謀反の影響で、事務方の仕事が滞っているようで、いかにオルタンシア公爵に依存していたか、分かろうという物だった。
しかし、だからこそこの時ならば、若者達を助ける望みもどこかにあるのではないかと、うすい期待を抱いていた。
暑さゆえの短さと、ご了承下され(爺)
 




