第129話
翌朝リリアージュは、ベッドから起き上がる事が出来なかった。
ベッドで洗顔をし、朝食を取った。
「ロカンクール様も、デフレイタス侯爵様もいらっしゃるのに……」
リリアスが皆に失礼ではないかと、反省すると、
「何を仰います。夕食にご出席なさった事の方が、おかしいのですよ。あんな目に遭ったお嬢様は、大抵食事どころか熱を出して寝込んでおりますよ」
――まあ!――
リリアスが驚くと、アルレットは胸のあたりをポンポンと軽く叩いて、笑いながらお盆を下げていった。
自分も王族と貴族の血を引くお嬢様だが、育ちが違うとそれ程の違いが出るのだろうか。
本質は同じであっても育ち方で互いの能力が変わるのならば、自分は平民として育って良かったのではないだろうか。
貴族の娘だったら馬から落ちると熱を出して、寝込まねばならないのだ。それは、軟弱過ぎると思う。
体中が筋肉痛だが食欲はあるし、ベッドに横になっていても退屈でしょうがない。
「ベリー、裁縫箱を出してくれない? ついでに貴女のも持って来なさいな」
ベッドに起き上がって、裁縫箱から刺しかけの布を取りだし、ベリーをベッド横に座らせて刺繍を始めた。
「リリー様……ここ上手く刺せません」
ベリーは、以前から呼んでいたリリーという愛称でリリアスを呼んでいる。
急に長い名前も言いにくいだろうと、リリアスが勧めたのだった。
工房から貴族の屋敷に移って覚える事も多いので、一つでもストレスが増えない様にと思っての判断だった。
「カーブはもっと針目を細かくして刺すと、丸味が出るのよ。何回も刺せば、手が慣れて勝手に丸くしてくれるわ」
――そういうものか――
と思いながら、ベリーは糸を解いて刺し直した。
リリアスの手が早すぎて、自分があんなに早く正確に刺すことが、出来る様になるとは思えなくて、半信半疑であった。
リリアスが刺しているのは父の肌着で、家の紋章と綺麗な花々を回りに散らしてある、可愛らしい物であった。
ベリーは、ナイトキャップを作るべく刺繍を縁の周りに刺している。布も安い物ではないので、練習用ではなく本番用である。
リリアスが、綺麗に出来たら故郷の母に送ったらどうかと言ったのだった。
「お母ちゃんにですか?」
「ええ、貴女の作った物だったら、とても喜ぶと思うわ」
「そうでしょうか……」
口減らしに家を出されて、いい厄介払いをしたと思われて、もう自分の事など忘れてしまっているだろうと思っている。
「親元をどんな理由で離れても、親が子供を心配してないなんて有るはずが無いわ」
父が何年経っても諦めず、自分を探し続けていた事にリリアスは感謝していた。
初秋の午前の日は、穏やかに過ぎて行った。
「何が簡単に出来るだ!! 穴だらけの計画だったではないか!!」
暗い地下室に声が響く。
皆床に座り込んでいるが、殴られ蹴られて体が腫れて熱を持っている。
朝出された食事にも食欲が湧かず、端に避けられていた。
本当は夜に屋敷に忍び込み、リリアスを連れて逃げる計画だったのだが、偵察をしていた目の前にリリアスが現れて思わず攫ってしまったのだ。
貴族には護衛が常に傍に居るのが当たり前なのだが、平民になって貴族の生活に疎くなっていて、自宅でも傍にいるのを忘れていたのだ。
自分達の剣を、一瞬にして落とした男の腕前は恐ろしい物だった。
蛇に睨まれた蛙とはあの事だった。
尋問の時に知ったのだが、ブリニャク侯爵の腰巾着と言われて恐れられた、従僕のオテロだった。
皆名前だけは、戦争経験者から聞いて知っていた。
以前の暮らしに戻るという単純な発想から、フレイユ国から独立したいと、仲間を集め夢ばかり語っているうちに、本当に出来ると思うようになってしまった。
そこに王族が現れ、まさに夢が現実になると錯覚してしまった。
「俺たちは馬鹿だ! あんな計画でフレイユ国から独立できるはずが無いのに、どうしてそう思ってしまったのか……」
「ああ、再三ロカンクール様が、現実を見ろと仰っていたのに、――耄碌した年寄りが説教を――と馬鹿にしていたな」
ロカンクールが侯爵を説得できなければ、自分達の処刑が決まるとがっくりと頭を下げていた。
「ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ……!!」
地下牢の奥から突然、カンタンの馬鹿笑いが響いて来た。
青年達は、昨日地下牢に入れられてから、奥の牢にも人の気配がしていたのは分かっていた。食事も自分達と奥にも配膳されていたから、罪人がいるのだろうとは思っていた。
ずっと静かだったのが急に笑い出したので、気がふれたのかとぎょっとした。
「何が可笑しい!!」
青年は牢の鉄棒に顔を押し付けて、廊下の奥に怒鳴った。
「ふっ、ふっ、ふっ!!」
奥に居るカンタンの笑いは止まらず、聞いていた青年達はイライラを募らせた。
「ひよっこ共の話を聞いていると、甘ったるくって笑わずにゃいられねえなあ」
「罪人のお前に、笑われる覚えは無い!」
「お前達だって、ブリニャク侯爵の娘を攫った大罪人だろうが。そっちこそ笑わせるなよ」
結果からするとその通りで、青年達は返す言葉が無かった。
「お貴族のぼんぼんが、良い暮らしをしたいばっかりにお国再興なんて馬鹿らしいぜ、まったくよう。まだ、良い女抱くために、押し込みをやったってえ方が、現実味があるってもんよなあ」
カンタンは、まだ乾いた笑いを続けていた。
「お前も罪人だろう。一体何をやって、ここに入れられたのだ」
笑い声が止んだ。
青年達は、口にも出せない恐ろしい罪なのかと、身を寄せ合った。
「……俺ぁなあ、ブリニャク侯爵の娘を攫って、王都に捨てた罪で捕まったんだよ」
「はあ?!」
青年達はカンタンの言葉が理解できなかったが、娘を攫ったという言葉で、自分達と同じ罪であるとは理解できた。
「姫様は、お前に攫われた事があったのか?!」
長い沈黙の後、カンタンが口を開いた。
地下牢にいたジャジャが、尋問と言って連れ出されてから戻ってこなかったので、処刑されて次は自分かとびくびくしながら過ごしていたが、その日は来なかった。
ずっと一人だった牢で、久しぶりに聞く人の声に聴き耳を立ていると、男達の犯行が分かった。
馬鹿々々しいほどの単純な動機と、穴の開いた計画で若者の暴走としか思えない犯行だ。
大の大人を、そうそう攫える訳が無いのだ。
同じことを自分はやった。
馬鹿な若者の犯行は愚かで単純で聞いていても、笑えるほどの物だった。
自分がやった犯行は、笑える物だろうか?
「俺は、あんた達が言う所の第一王女が、隠れ住んでいた家の下男だった。その王女が、三才になった娘を残して死んじまった。旦那はなかなか帰って来ねえ、そりゃそうだ戦争の真っ最中だったんだからなあ。それで俺は、裕福な家の財産を狙って娘毎盗み取ったって事だな……」
若者達からは、反応が無い。
「邪魔になった娘を俺はこの王都に捨てたんだが、娘は立派に育って、この夏王都でブリニャク侯爵の娘だと分かって大騒ぎだってよ。おめえ達はその娘を、攫おうとしたのさ……」
「……では姫様は、この王都でどのようにお暮しになっていたのだ」
「孤児になって、裁縫かなんか手に職を付けて喰ってたみたいだぜ。娼婦になんかならなくて良かったよなあ、なってりゃあお父ちゃんだって、娘に家を継がせ難いだろうぜ」
若者達は絶句していた。
自分達も戦後平民として辛い生活を送ってきたが、まさかセルウィリア王女の息女が、孤児として生きていたとは思いもよらなかった。
だからあの時の言葉になったのだろうと、今やっと姫の言った意味が分かる気がした。
若者達はそれ以降黙ったまま、座り続けていた。
カンタンは床に大の字に寝転んで、自分が話していた事を頭の中で繰り返していた。
昼食は出されず、午後の早い時間に夕食が配られたが、誰も手を付けられなかった。
明り取りの頭上の窓から、秋の虫の音が聞こえてきた。
 




