第124話
ラウーシュとのダンスが終わると、侯爵が来てさっさとリリアスを連れて、玉座の方まで行ってしまった。
ホールの真ん中に取り残されたラウーシュは、歩いていく二人を見ていたが気を取り直して後を付いていった。
侯爵は、リリアスが王妃に近づくにつれ興奮していくのを感じていた。
出席者の挨拶を受けていた王達は、侯爵とリリアスが前に出ると笑って迎えてくれた。
「侯爵、今日は良く来てくれたな。息女も大変美しく、楽しみでもあり気苦労も多い事であろうな」
「陛下には、先日謁見の儀の時間を割いてくださり、誠に恐悦至極……」
親しい仲なので、ここでは侯爵は砕けた態度で形式的に頭を下げ、隣にいるリリアスの背中を押した。
「ブリニャク侯爵が娘、リリアージュでございます」
「リリアージュ、こちらに来て頂戴」
椅子に座る王妃が手を上げて、リリアスを誘った。
皆が注目する中リリアスが膝を曲げて礼をすると、王妃は見上げてその姿をじっと見つめた。
「とても美しいドレスね。貴女の髪と目の色に合った紺色と刺繍の緑色が神秘的でさえあるわ」
「お褒めのお言葉ありがとうございます。ですが妃殿下のドレスが私は、一番だと思っております」
王やブリニャク侯爵から事情を聞いて知っている王妃は、いたずらっぽい顔をして自分のドレスを撫でた。
「ありがとう。私もこのドレスが仕上がるのが、待ち遠しかったの。仮縫いの時からこの刺繍が素晴らしくて、ドキドキしていたのだから。これを刺したお針子を、宮廷に呼んで褒美を取らせたいぐらいよ」
子供を三人も産んだとは思えない程若々しい王妃は、子供の様に無邪気にリリアスに面と向かって言った。
「妃殿下のお言葉を、お針子が聞いておりましたら、涙が出る程嬉しい事だと思います。お針子の代わりに、お礼を言わせて下さいませ……」
王妃はリリアスの手を取り、
「素晴らしい刺繍の技術を持った人が、居なくなるのは残念だわ……」
そっと人に聞こえない様に呟くと、リリアスが首を傾げた。
「妃殿下……恐れながら、私は刺繍の仕事を止めるつもりはございませんが?」
――えっ?――
驚いた顔の王妃に、侯爵が慌てて頭を下げた。
「妃殿下、娘は刺繍の趣味を止めるつもりは無い、と言っているのでございます」
「そうですよ。リリアージュ様程の技術でしたら、家でお好きなだけ刺繍を刺しておられれば良いのです」
後ろからラウーシュが口を挟み、王妃が扇を開いて口元を隠して笑った、
「ラウーシュ卿は、リリアージュと息が合ってとても素敵に踊っていましたね。ドレスの開き加減も刺繍を際立たせていて、いつになくダンスに気合が入っていた事」
ラウーシュは王妃の言葉にニッコリと笑い、
「あのラベーエの主任が自ら作ったドレスですから、皆様方に是非見て頂きたく思い、リリアス嬢とついつい気合が入って踊ってしまいました」
――まあ! ラベーエの?――
聞いていた周りの女性から、驚きの声が上がった。
ラベーエの主任は、気に入った人か布地でしか洋服を作らなくなっていて、誰もが製作を依頼したい職人気質の人物であった。
まして本来は紳士服専門であり、女性のドレスを縫ったと聞いた事は無かった。
――道理で、素晴らしいと思った――
人々が褒めそやすので、リリアスはもっと注目を浴びて顔を赤らめた。
「ブリニャク侯爵の御息女が、やっと王都に来たのですから、一度私の茶会に出席して欲しいものね」
王妃自らの招待に皆は羨まし気に声を上げたが、中には王太子との事を考えてリリアスを見極めようとしているのではないかと、先の事を見越している者もいるのだった。
「まあ日時はおいおい、知らせましょう。今日は楽しんでね」
そろそろ話の切り上げ時だった。
二人は王達の前から下がり、また軍属達の輪に戻ろうとしたのだが、彼らも若い男であり、若く美しい女性を目の前にして指を咥えている訳にもいかなかったらしく、それぞれパートナーを見つけ踊っているのだった。
「あいつら……」
「しょうが無いでしょう? あんなに美しい娘さん達がいるんですもの」
しかし軍属の守りが無くなると、リリアスの周りには先程から様子を見ていた若い独身の男性が、ぞろぞろと寄って来るのだった。
「閣下、私にお嬢様をご紹介願えるでしょうか?」
「私にも、是非!」
十人近くの男性がリリアスの周りに集まり、張り付いたような笑顔を向けてくる。
そして止まる事無くリリアスを褒めそやすのだが、一つも心に響かない言葉ばかりだった。
趣味の悪い服装で囲まれて、矢継ぎ早に繰り出される言葉に頭が痛くなってきた。
「父上……頭が痛い……」
嘘ではなくずっと緊張していたので、それが解けたせいで頭が痛くなったようだ。
侯爵もリリアスの疲れは分かっていたので、帰る事にした。
「皆には悪いが娘が気分が悪くなったようなので、これで失礼する。ダンスはまた次の機会にしてもらおう」
少し顔色が悪いのが皆にも分かったのか、ダンスを誘うのを止めて道を開けた。
「皆様失礼致します」
少し笑いながら、リリアスは皆の顔を見ていったが、同じような顔をしていて見分けられる気がしなかった。最後の所にラウーシュが立っていたので、頷いて見せると彼は紳士らしい礼を取り、二人を見送った。
まだ母が帰らないので、ラウーシュもいなければならなかったのだ。
――また、そのうちに――
声を出さないで、そうリリアスに告げた。
馬車の中でリリアスは、こめかみを押さえながら文句を言っていた。
「今まで一度も会った事が無いのに、どうしてああも上手い言葉が出てくるのかしら」
「女性を褒めるのは、貴族の男の礼儀だから常日頃から誉め言葉を考えているのだ。まともに受け取っては、痛い目に遭うぞ」
――あんな甘ったるい言葉を、本気にする人がいるのかしら。それにいつも聞いているなら、真実の言葉なんて思わないかもね――
疲れでうとうとし始めたリリアスは、体を父に預けて居心地の良い場所を探し当てて、眠る体勢になった。
「オテロ、リリアスが眠った。少しゆっくりと走らせてくれ」
――はい、旦那様――
御者の隣で護衛をしているオテロは、今日のリリアスの社交界デビューが無事に終わってほっとしていた。
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ある晩リリアスが夜会に出掛けてから少しして、ブリニャク侯爵邸に客の先触れがやって来た。
執事が手紙を持って来て侯爵に渡すと、
「自国の者ではありません。言葉に訛りがございます」
と、知らせた。
侯爵が手紙を開き読んでいるうちに、顔色が変わって怖い表情になっていった。
「旦那様? 何か悪い使者でありますか?」
侯爵は手紙を執事に渡した。
見ても良いという事なので、執事も読んだが大変な内容であった。
「どうなさいますか?」
じっと宙を見ていた侯爵は考え込んでいたが、意を決したように二、三回頷き、
「使者に明日の午後お待ちしていると告げてくれ」
「畏まりました」
と、執事は下がっていった。
書斎に一人でいる侯爵は、座ったままじっと床を見ていた。
とうとう過去との対決がやって来た、と覚悟を決めたのだが、ここにオルタンシア公爵がいてくれたらと思うのは仕方のない事であった。
誰か明日一緒に話を聞いてくれる人物をと考えたが、腕に自慢の者しか頭に浮かばず、ほとほと困ってしまった。
仕方なく体を壊して休んでいるデフレイタス侯爵に、直接会いに行くことにした。
突然現れたブリニャク侯爵に怒るでもなく、デフレイタス侯爵は笑って応接室に彼を迎えた。
「お前らしい、先触れも何も無く直接やって来るとはな。何か用が出来たのだろう? こんな弱っている私の所に相談にくるのだから」
――何も言わなくても分かってくれるのが友人なのだな――と、ブリニャク侯爵はほっとしていた。
「お前に負担を掛けたくなかったのだが、相談する相手が誰も居なくてな。時間がないから前置きを省くが、明日イズトゥーリスの宰相だった男が我が家にやってくるのだ」
デフレイタス侯爵が頷いた。
「娘の事なのだな?」
「それしかないだろう。彼はとっくに隠居して、あちらの政治には一切関わりは持っていない。その彼がわざわざ遠い所から訪ねてくるのだから、リリアージュに会いに来るのが目的だろうな」
「ただ会いに来るだけか、他に目的があるのか……」
「俺だけでは、心もとなくてな。お前に同席して欲しいのだ」
デフレイタス侯爵は、とんでもない話を持って来た友人に頭が痛くなった。




