第123話
父の腕に掴まり、執事の案内で夜会会場に戻るところだ。
二人とも安心感と疑問と、どう納得すればいいかと不思議な感じであった。
「意外な、お話でしたね」
「ああ、本当に驚いた。姫様とは、懇意であったのか、……。私はイーザローから来た時に、謁見の間で見たきりだった。宰相も姫様を、気に掛けていたのだな」
あの時期の姫は誰の関心も呼ばず、ひっそりと入国し離宮で寂しく過ごすのが常だった。
自分が探し出した責任があるとしても、住む場所や衣服の心配をしていた宰相の気持ちを考えると、姫は本当に大事にされていたと思える。
夜会の賑やかな音が段々と聞こえてくると、そこに出る扉の所に誰かが立っていた。
中の灯に照らされた横顔は、ラウーシュだった。
「ラウーシュ様……」
知り合いの顔を見て、ほっとした気持ちになったので、今になって王太子との面会が気が張る物だったのだと気が付いた。
ほの暗い中に立つラウーシュは、リリアスを見つけて安堵した顔をして笑った。
「ここでお待ちしていれば、お会いできると思っていました。王太子殿下の執事が二人をお連れしたと、もうちょっとした騒ぎになっていますよ」
侯爵には渋い顔で、中の様子を知らせてくれた。
「構わんさ。どうせとっくに王太子殿下との事は、噂になっているのだろう?」
「ご存知なのに、何故王太子殿下の所にお出でになったのですか? 火に油を注ぐような物ではないですか」
「どうしても、確認せねばならない事があったのだ」
「……分かりました。ではその火に、水を掛けに参りましょう。リリアージュ様、私と踊って頂けますか?」
ラウーシュが腰を折って、リリアスに頭を下げると、侯爵はリリアスを連れて夜会の会場に歩いていった。
「閣下!」
「ラウーシュ、貴族息女の初めてのダンスは、男親と決まっている」
ブリニャク侯爵と息女リリアスが部屋に入ると、ざわめきが湧き視線が二人に集中した。二人が王太子殿下に呼ばれたのはすでに皆の知るところだが、侯爵は、何食わぬ顔でリリアスを広間の真ん中に連れ出した。
楽隊の指揮者が気を利かせ、簡単な踊りの曲を演奏させた。
「さあ、戦闘開始だ」
「お父ちゃんは、踊れるの?」
「当たり前だ。これでも侯爵家の当主でね……ワルツだけは踊れる」
吹き出しそうになるのを堪えて、リリアスは真面目な顔の父の肩に左手を乗せた。
「ワンツースリー、ワンツースリー……ほら、右、左、右と足を出して回転すれば、ワルツになるだろう?」
剣技の時の足さばきの解説の様に、父は軽く足を運んだ。
「とても、上手だわ。ラウーシュ様より安定感があるかも……」
「あれとは、体の鍛え方が違うからな。重心の移動が滑らかだろう?」
リリアスはコクコクと頷き、思わぬ父のダンスに嬉しく思った。
「まさか私が、娘と夜会で初めてのダンスを踊る日が来るとは、思ってもいなかった。リリアージュ……生きていてくれて、ありがとう」
リリアスの瞳から、ポロリと涙が一つ零れ落ちた。
頭を父の胸に付けて、その顔を隠した。
「私のお姫様。笑顔を見せてくれ」
零れる涙と震える唇でクシャクシャの顔を上げて、父に笑って見せた。
父は中央でクルクルとリリアスと周り、端で見ている人々の拍手喝采を浴びた。
一曲が終わり、リリアスのお披露目のダンスが終わると、様子見をしていた若い男性が一斉に二人の元に集まって来た。
「閣下是非、ご息女を紹介して下さい」
「次のダンスは、私と……」
上は侯爵家、下は男爵家の結婚適齢期の男達は、女王蜂に群がる雄蜂の様に集まった。
彼らの後ろから頭が少し高いラウーシュが、まるでステップを踏む様に分け入って来た。
リリアスがその動きに目をやっていると、周りの男達も後ろのラウーシュに気が付き、話すのを止めた。
グレーの細身のジュストコールはキラキラと輝き、リリアスの周りに集まった男性の服装とは出来が違っていた。
銀の髪を後ろで括り、上品な微笑みを湛えて右手を斜め下に下ろし、左手を腰の後ろに当てて立つ姿は、本当に典型的な貴公子だった。
「リリアージュ様、お約束通り次のダンスは私と踊って下さいますね?」
一度に現れた男性の集団に驚いていたリリアスは、スッと上げられたラウーシュの手に縋るように手を乗せた。
ラウーシュが、女性と踊るのは珍しい事ではない。品の良い、ドレープの美しいドレスを着ている人が相手ならば。
リリアスの手を取り、颯爽と広間の中央に歩き出すラウーシュの姿に、若い娘達からは黄色い声が上がった。
紺のドレスに布が垂れる程多くの刺繍をされたドレス姿のリリアスが、グレーの少し地味な色のラウーシュと向かい合って組むと、そのコントラストが静寂な夜の雰囲気を表しているようで、溜め息が出る程美しかった。
「どうですか? 貴女を目当てに、集まった男性達を見て」
集まった男性達は、にこやかに優し気な笑みを浮かべてはいたが、目は笑っておらず胡散臭げな顔に見えた。
それに着ている洋服が、残念だった。
仕立ては良いのに生地選びや装飾にセンスがないのだ。一流の工房が作っているはずなのに、あのデザインは無いだろうと思った。
派手でキンキラで目が痛い。
「お店は一流のはずですのに、どうしてあんな洋服が出来上がるのですか?」
ラウーシュは我が意を得たりと、にっこりとした。
「私は、毎日ああいう服を見せられているのです。仕立ては一流でも、作らせる客の好みが反映しますからあの出来なのです」
「皆様夜会と思って、張り切ってしまったのですね?」
彼らはリリアスに気に入られようと、気合が入ってあの服装になったのだが、それは知らなくても良い話だ。
「私と一緒なら、いつも綺麗な服を見る事が出来ますよ。それに貴女のこのドレス……言葉も無いほど美しい。ジラーの所ですか?」
「ラベーエですの」
リリアスは、誇らしく少し気取って店の名を告げた。ラウーシュの反応が想像できるから、可笑しくて笑ってしまった。
一瞬ラウーシュの動きが止まった。
「まさか! 紳士服の店ですよ?」
リリアスはニッコリ笑った。
「縫製の主任が、私の子供の頃の服を作った方で夜会デビューのお祝いに、手ずから作って下さったのですって」
ラウーシュは少しリリアスの体を離し、ドレスを見下ろした。細密な刺繍は誰が刺したのかと気になっていたが、まさかラベーエの主任とはと驚愕した。
「貴女は、なんと強運の持ち主なのだろう」
誘拐されて教会に置き去りにされた者が、強運なのかと思うのだが、ラベーエの主任と懇意というのが、ラウーシュにとっては素晴らしい事なのだろう。
ラウーシュはリリアスの腰を引き寄せ、王や王妃、居並ぶ貴族諸侯の見る中、リリアスがドレスを摘まみ豪華な刺繍がされたドレスを見せるように、広間を回りながら踊った。
「見て! ラウーシュ様の嬉しそうなお顔を。今まであの様に笑いながら、踊られる事があったかしら」
「……ええ、本当に。踊られる時は相手を回して、ドレスの翻えるのを見る事だけを楽しみにしてらした方なのに、今はリリアージュ様しかご覧になっていないわ」
今までさんざんドレスのセンスを貶されてきた女性達は、悔しがるどころか初々しいラウーシュの火照った顔を見て、やっと彼にも春が来たのだと歓迎したのだった。
「まあまあ、奥様。宜しゅうございましたわねえ。ブリニャク侯爵閣下と実質的な御縁がお出来になって。世が世なら王女殿下でらっしゃいますもの、侯爵家にとっては不足はございませんでしょう?」
デフレイタス侯爵夫人の知人の女性が、ラウーシュの踊る姿にいつもと違う雰囲気を感じ、早々に母の夫人に祝いを述べて来た。
誰が見ても恋するラウーシュの姿に、リリアスの婚姻相手が王太子ではなくデフレイタス侯爵子息でないかと、皆思い始めていた。
それ程二人の踊る姿が息がぴったりで、総てがお似合いであった。
「ありがとうございます。……ですが、こういった事は当事者同士では無く、政治的な事もございますから、蓋を開けて見ませんと分かりませんもの……」
侯爵夫人の含みを持った言葉は、周りに居て聞き耳を立てていた宮廷雀にも良く聞こえていた。




