表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈る娘  作者: オーガ
11/151

第11話


 工房の女性達とも仲良くなり、リリアスは王妃のドレスの刺繍に取り掛かる事となった。

 納期は秋という事で時間はあるが、だからといってゆっくりもできないのが仕事である。

 

 作業場とは別室でドレスは制作され、ペラジー以下選抜された縫い子たちが、集まっている。

 この集団は、王妃のドレス製作以外には仕事はせず、かかりきりとなる。


 侯爵夫人のビーズの取り付けにも緊張感はあったが、王妃のドレス製作のそれはとんでもないものであった。

 

 のんきなペラジーでさえ、作業中のおしゃべりがなくなった。

 

 胸元やそで口の刺繍はドレスと供布の別生地に刺繍を施し、後でドレスに取り付けるので、緊張はするが、まだ失敗は許されるので気が楽なほうだ。

 それらは他の女性たちが担当しているが、裾の刺繍は連続した大きな面積の刺繍なので、ドレスに直接さすことになっている。

 

 それはペラジーとリリアスの担当になる。


 ある程度仮の縫製をされたドレスが、しわのないように刺繍枠に取り付けられ、作業が始まった。


「なんだか、胃が痛くなってきたわ。まだ始まったばかりなのに」


 リリアスが、半端のないプレッシャーを感じてペラジーに愚痴ると、


「なーんだ、リリアス。今頃かい? あたしゃ、この布が届いた時から胃が痛いよ」

 

 二人顔を見合わせて笑った。そうでもしないと、なかなかこの生地に手がつけられない。


 糸選び、作業の手順は、念入りに話し合って確認している。あとは針を動かすだけだ。

 リリアスはビーズの仕事が、良い予行練習になったと思っている。

 見たこともないビーズを刺す事が、新たな仕事の心構えになっている。

 侯爵夫人の部屋で広げられたドレスは、見事な物だった。

 それが自分の自信につながっている。

 王妃のドレスを作るのには、自分を信じるほかなないのだ。


「さあ、始めようか」


 とっくに、刺繍の作業に取り掛かっている女性達は、いつものペラジーの声にはない真面目さを感じて、くすくすと笑った。


 ドレス製作が始まってから、一日中刺繍をしているリリアスは、時折目と身体を休ませるために中庭にある、小さな花壇を見に来ている。

 

 誰が世話をしているのかと思っていたら、意外な人が世話をしているところに出くわした。


「おじさん……」


 ひしゃくでたっぷりと花に水を与えていたのは、下男のモットだった。


「おいおい。リリアスよ。おじさんはないだろう。俺はそんなに年はとってないぞ」


 黒い年季の入ったつば広の帽子をかぶり、濃い茶の作業エプロンをつけている姿は、それはそれで似合っている。


 ペラジーの店襲撃事件から、二人の距離は縮まって、顔を合わせれば軽口を言うような仲になっていた。

 大柄で無骨なモットが、綺麗な花の世話をしているのが、似合わなくてリリアスはクスクスと笑っている。


「外の片づけやゴミ拾いをやっているうちに、花壇の草むしりをするようになり、水やりを任されるようになったってわけだ。女は男の扱い方がうまいもんだ」


 花とはいえ、世話をすれば綺麗に咲いてくれる生き物が憎いはずがない。モットは自分が奪ってきた命の代わりに、この花たちを育てているのだろうか。


「昔の俺を知る奴がこの姿を見たら、笑うだろうなあ」


 うつむいて水をやるモットは、懐かしそうに語るが、その中にはこの世にはいない人もいるのだろう。


「そんなにモットさんは、強かったの?」

 

 裏庭への出入り口の階段に腰掛けて、リリアスはモットの昔話を、聞いてやらなければならない気がした。


「強いってより、腕っぷしが強かったかな。きこりをやっていたから、足腰が強くて、殴り合いになっても踏ん張りがきいてな。もっともまわりの連中も同じような境遇だから、あんまり変わりはなかったが。だけど、そりゃあ戦うって事になったら、騎士には敵わないよ」


 王都にいても騎士の姿など、遠目にしか見たことがない。人が日々戦う事に専念する姿など、想像もつかない。


「でもみんな貴族の子息様なんでしょ? 本当に強いの?」


 モットは腰を伸ばして、


「ああ、強い。生まれた時から剣を握らされて、育っているからな。自分の腕の様に剣を扱うんだ。とても農家の小せがれにゃあ、かなうはずがない」


 モットは遠い目で、先の戦場を思い出していた。

 息づかいも、臭う体臭も驚くほど近く感じる、敵と呼ばれた同じ人間に、刃物を叩きこむ瞬間の己の獣性を。

 剣から伝わる肉を切る感触を、まだ忘れる事ができないでいる。


一瞬、陽気な日の下で、美しい娘と話しながら、土を耕し花を世話しているこの時こそが、夢なのではないかとさえ思う。


 金の為だけではなかったが、やはり戦場に出なければならない状況は、ないほうがいい。

 真摯に話を聞いてくれている、綺麗な瞳の娘が、自分達が終わらせた戦争のお蔭で幸せに暮らせていられるなら、それで良かったとしよう。


 そう思うと、この娘に話さなくてはならないことを、思い出した。

 モットが少しリリアスから目をそらし、言いにくそうに、


「あれから何回か、ペラジーの店に顔をだしたんだが……」


 リリアスは、はっとしてモットを見た。


「やっぱり、若旦那が抜けたのは痛いみたいで、夜はいいが昼は手が足りないみたいだな」


 昼はペラジーも工房であるし、居酒屋より飯屋の方が手間がかかるから、ベゾスがいなくなれば、手が足りなくなるのはあたりまえだ。


 リリアスは顔を暗くした。


「ペラジーは何も言ってくれなくて」


「お前に負担を感じさせたくないんだろう。それに今は、大変な仕事をしているんだろう?」


「それはペラジーだって同じだわ」


 リリアスは今度の休みに様子を見に行こうと思った。




 エイダは家の近くの路地で、人形を抱えて石畳に落書きをして遊んでいた。前は祖母が仕事の合間に、遊び相手になってくれていたが、父親がいなくなってから祖母も忙しくなり、相手をしてくれなくなった。

 

 家にいても、いつも一緒にいた父親がおらず、つまらないので外に出ることが多くなっていた。

 エイダには、近所に同じくらいの子供がおらず、遊び相手もいないので、こうやってひとり遊びをするしかなかった。


 手元に黒い影が落ち、エイダはゆっくり頭を上げると、二、三人の大きな少年達が見下ろしていた。


「お前、食堂の娘だろう? この間父ちゃんが、浮気したせいで追い出されたっていう」


 エイダは意味が分からず、黙っている。


 少年たちは十才ぐらいで破れたシャツに、膝がぬけたズボンをはいて、足は裸足だった。

 エイダは薄いピンクのブラウスに、ギャザーのたっぷり取られた赤いスカートに、前立てのある白いエプロンをしていた。

 よそから見たら、いい所の娘にからむ貧民街の少年という構図だろう。


「店もつぶれて、お前なんかあの家に住んでいられなくなるんだぞ」

 

 少年達はエイダの頭を小突きながら、はやし立て始めた。


「やだ!」

 

 手で頭をかばいながらも、エイダは反論するすべを知らない。


「父親がいない家は、貧乏になるんだ」

 

 それはまるで自分の境遇を言っているようで、少年は笑いながら、


「お前もこんなきれいな服なんて、着られなくなるし、どこかに奉公にだされるんだ」


「ちがうもん、とうちゃんかえってくるもん。エイダがいい子にちてたら、すぐかえるっていったもん」

 

 エイダは父親が出かける時に言った事を忘れずに、いつも口にしている。


「かえるもん……」


 いつもなら大声で泣きだして、母や祖父母に構ってもらおうとするのだが、少年達のいう事が嘘のようにも思えず、しゃがんだまま黙って涙が溢れそうになるのを我慢していた。


「いいもの、持ってるじゃん。よこせよ」


 ぎゅっと握っていたエイダの人形を少年は取り上げ、足を持ってぶらさげた。


「や! あたちの! かえちて!」


 立ち上がって少年から人形を取り戻そうとしたが、手が届かなくて、目から涙がこぼれた。


 ――こっちだ、こっちだ――

 

 と、人形を高く飛ばしながら、それを追いかけるエイダを、少年達は蹴ったり叩いたりしていた。


 小さな身体を懸命に動かして、人形を取り返そうとしているエイダを、少年達ははやしたてる。

 エイダは、体力を使い果たし、ふらふらになって今にも転びそうだ。


「あんた達なにしてるの!!」


 少年達は大人の声にぎょっとなって、振り返った。近所の女子衆なら、面倒な事になると思ったのだが、そこに立っていたのは見たこともない女だった。


「その人形は、エイダちゃんのでしょう? 返しなさい」


 人形を持った少年は、この女がエイダの知り合いと知り、


「今エイダから、俺が貰ったんだ」

「そんなわけないでしょ」

「俺の妹にあげるって、くれたんだ、なあ? エイダ?」


 エイダは訳が分からず、


 ――わぁん~!!――と、泣き出した。


 女は慌てて側に駆け寄り、ハンカチを出して、エイダの顔を拭いてやった。


「大丈夫? あげたんじゃなくて、取られたんでしょ?」


 女が確認のために声をかけて、エイダの顔を覗くと、エイダの泣き声がピタッと止まった。


 そして目を真ん丸にして、真っ青な顔になった。


「おに!! おにだ!! あかおに!!」


 エイダは悲鳴を上げながら、店の方に駆け出した。


「エイダちゃん?」

 

 女は、心配げな顔が、驚く顔になり、エイダの後ろ姿を呆然と見ているだけだった。

 

 すぐに我に返り、エイダを追いかけようとすると、少年達もバラバラに、小路の中に逃げて行った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ