第11話
工房の女性達とも仲良くなり、リリアスは王妃のドレスの刺繍に取り掛かる事となった。
納期は秋という事で時間はあるが、だからといってゆっくりもできないのが仕事である。
作業場とは別室でドレスは制作され、ペラジー以下選抜された縫い子たちが、集まっている。
この集団は、王妃のドレス製作以外には仕事はせず、かかりきりとなる。
侯爵夫人のビーズの取り付けにも緊張感はあったが、王妃のドレス製作のそれはとんでもないものであった。
のんきなペラジーでさえ、作業中のおしゃべりがなくなった。
胸元やそで口の刺繍はドレスと供布の別生地に刺繍を施し、後でドレスに取り付けるので、緊張はするが、まだ失敗は許されるので気が楽なほうだ。
それらは他の女性たちが担当しているが、裾の刺繍は連続した大きな面積の刺繍なので、ドレスに直接さすことになっている。
それはペラジーとリリアスの担当になる。
ある程度仮の縫製をされたドレスが、しわのないように刺繍枠に取り付けられ、作業が始まった。
「なんだか、胃が痛くなってきたわ。まだ始まったばかりなのに」
リリアスが、半端のないプレッシャーを感じてペラジーに愚痴ると、
「なーんだ、リリアス。今頃かい? あたしゃ、この布が届いた時から胃が痛いよ」
二人顔を見合わせて笑った。そうでもしないと、なかなかこの生地に手がつけられない。
糸選び、作業の手順は、念入りに話し合って確認している。あとは針を動かすだけだ。
リリアスはビーズの仕事が、良い予行練習になったと思っている。
見たこともないビーズを刺す事が、新たな仕事の心構えになっている。
侯爵夫人の部屋で広げられたドレスは、見事な物だった。
それが自分の自信につながっている。
王妃のドレスを作るのには、自分を信じるほかなないのだ。
「さあ、始めようか」
とっくに、刺繍の作業に取り掛かっている女性達は、いつものペラジーの声にはない真面目さを感じて、くすくすと笑った。
ドレス製作が始まってから、一日中刺繍をしているリリアスは、時折目と身体を休ませるために中庭にある、小さな花壇を見に来ている。
誰が世話をしているのかと思っていたら、意外な人が世話をしているところに出くわした。
「おじさん……」
ひしゃくでたっぷりと花に水を与えていたのは、下男のモットだった。
「おいおい。リリアスよ。おじさんはないだろう。俺はそんなに年はとってないぞ」
黒い年季の入ったつば広の帽子をかぶり、濃い茶の作業エプロンをつけている姿は、それはそれで似合っている。
ペラジーの店襲撃事件から、二人の距離は縮まって、顔を合わせれば軽口を言うような仲になっていた。
大柄で無骨なモットが、綺麗な花の世話をしているのが、似合わなくてリリアスはクスクスと笑っている。
「外の片づけやゴミ拾いをやっているうちに、花壇の草むしりをするようになり、水やりを任されるようになったってわけだ。女は男の扱い方がうまいもんだ」
花とはいえ、世話をすれば綺麗に咲いてくれる生き物が憎いはずがない。モットは自分が奪ってきた命の代わりに、この花たちを育てているのだろうか。
「昔の俺を知る奴がこの姿を見たら、笑うだろうなあ」
うつむいて水をやるモットは、懐かしそうに語るが、その中にはこの世にはいない人もいるのだろう。
「そんなにモットさんは、強かったの?」
裏庭への出入り口の階段に腰掛けて、リリアスはモットの昔話を、聞いてやらなければならない気がした。
「強いってより、腕っぷしが強かったかな。きこりをやっていたから、足腰が強くて、殴り合いになっても踏ん張りがきいてな。もっともまわりの連中も同じような境遇だから、あんまり変わりはなかったが。だけど、そりゃあ戦うって事になったら、騎士には敵わないよ」
王都にいても騎士の姿など、遠目にしか見たことがない。人が日々戦う事に専念する姿など、想像もつかない。
「でもみんな貴族の子息様なんでしょ? 本当に強いの?」
モットは腰を伸ばして、
「ああ、強い。生まれた時から剣を握らされて、育っているからな。自分の腕の様に剣を扱うんだ。とても農家の小せがれにゃあ、かなうはずがない」
モットは遠い目で、先の戦場を思い出していた。
息づかいも、臭う体臭も驚くほど近く感じる、敵と呼ばれた同じ人間に、刃物を叩きこむ瞬間の己の獣性を。
剣から伝わる肉を切る感触を、まだ忘れる事ができないでいる。
一瞬、陽気な日の下で、美しい娘と話しながら、土を耕し花を世話しているこの時こそが、夢なのではないかとさえ思う。
金の為だけではなかったが、やはり戦場に出なければならない状況は、ないほうがいい。
真摯に話を聞いてくれている、綺麗な瞳の娘が、自分達が終わらせた戦争のお蔭で幸せに暮らせていられるなら、それで良かったとしよう。
そう思うと、この娘に話さなくてはならないことを、思い出した。
モットが少しリリアスから目をそらし、言いにくそうに、
「あれから何回か、ペラジーの店に顔をだしたんだが……」
リリアスは、はっとしてモットを見た。
「やっぱり、若旦那が抜けたのは痛いみたいで、夜はいいが昼は手が足りないみたいだな」
昼はペラジーも工房であるし、居酒屋より飯屋の方が手間がかかるから、ベゾスがいなくなれば、手が足りなくなるのはあたりまえだ。
リリアスは顔を暗くした。
「ペラジーは何も言ってくれなくて」
「お前に負担を感じさせたくないんだろう。それに今は、大変な仕事をしているんだろう?」
「それはペラジーだって同じだわ」
リリアスは今度の休みに様子を見に行こうと思った。
エイダは家の近くの路地で、人形を抱えて石畳に落書きをして遊んでいた。前は祖母が仕事の合間に、遊び相手になってくれていたが、父親がいなくなってから祖母も忙しくなり、相手をしてくれなくなった。
家にいても、いつも一緒にいた父親がおらず、つまらないので外に出ることが多くなっていた。
エイダには、近所に同じくらいの子供がおらず、遊び相手もいないので、こうやってひとり遊びをするしかなかった。
手元に黒い影が落ち、エイダはゆっくり頭を上げると、二、三人の大きな少年達が見下ろしていた。
「お前、食堂の娘だろう? この間父ちゃんが、浮気したせいで追い出されたっていう」
エイダは意味が分からず、黙っている。
少年たちは十才ぐらいで破れたシャツに、膝がぬけたズボンをはいて、足は裸足だった。
エイダは薄いピンクのブラウスに、ギャザーのたっぷり取られた赤いスカートに、前立てのある白いエプロンをしていた。
よそから見たら、いい所の娘にからむ貧民街の少年という構図だろう。
「店もつぶれて、お前なんかあの家に住んでいられなくなるんだぞ」
少年達はエイダの頭を小突きながら、はやし立て始めた。
「やだ!」
手で頭をかばいながらも、エイダは反論するすべを知らない。
「父親がいない家は、貧乏になるんだ」
それはまるで自分の境遇を言っているようで、少年は笑いながら、
「お前もこんなきれいな服なんて、着られなくなるし、どこかに奉公にだされるんだ」
「ちがうもん、とうちゃんかえってくるもん。エイダがいい子にちてたら、すぐかえるっていったもん」
エイダは父親が出かける時に言った事を忘れずに、いつも口にしている。
「かえるもん……」
いつもなら大声で泣きだして、母や祖父母に構ってもらおうとするのだが、少年達のいう事が嘘のようにも思えず、しゃがんだまま黙って涙が溢れそうになるのを我慢していた。
「いいもの、持ってるじゃん。よこせよ」
ぎゅっと握っていたエイダの人形を少年は取り上げ、足を持ってぶらさげた。
「や! あたちの! かえちて!」
立ち上がって少年から人形を取り戻そうとしたが、手が届かなくて、目から涙がこぼれた。
――こっちだ、こっちだ――
と、人形を高く飛ばしながら、それを追いかけるエイダを、少年達は蹴ったり叩いたりしていた。
小さな身体を懸命に動かして、人形を取り返そうとしているエイダを、少年達ははやしたてる。
エイダは、体力を使い果たし、ふらふらになって今にも転びそうだ。
「あんた達なにしてるの!!」
少年達は大人の声にぎょっとなって、振り返った。近所の女子衆なら、面倒な事になると思ったのだが、そこに立っていたのは見たこともない女だった。
「その人形は、エイダちゃんのでしょう? 返しなさい」
人形を持った少年は、この女がエイダの知り合いと知り、
「今エイダから、俺が貰ったんだ」
「そんなわけないでしょ」
「俺の妹にあげるって、くれたんだ、なあ? エイダ?」
エイダは訳が分からず、
――わぁん~!!――と、泣き出した。
女は慌てて側に駆け寄り、ハンカチを出して、エイダの顔を拭いてやった。
「大丈夫? あげたんじゃなくて、取られたんでしょ?」
女が確認のために声をかけて、エイダの顔を覗くと、エイダの泣き声がピタッと止まった。
そして目を真ん丸にして、真っ青な顔になった。
「おに!! おにだ!! あかおに!!」
エイダは悲鳴を上げながら、店の方に駆け出した。
「エイダちゃん?」
女は、心配げな顔が、驚く顔になり、エイダの後ろ姿を呆然と見ているだけだった。
すぐに我に返り、エイダを追いかけようとすると、少年達もバラバラに、小路の中に逃げて行った。




