第105話
王宮は少し前に火災が起こった事など微塵も感じさせず、目に眩しいほどの白と金色がふんだんに使われていた。
何度来てもその豪華さに目を奪われる。
ジラー、ぺラジー、リリアスと、縫製の責任者のマルティーヌが、王妃のドレスが完成したので、善き日をもって参上したのだった。
王妃の居間に入り持って来たドレスをトルソーに着付け良く見える様に、後ろにさがり王妃の来訪を待った。
音もなく王妃が入りしばしドレスを眺めているのか、声も無く衣擦れの音しか聞こえなかった。
リリアス達は頭を下げて王妃の言葉を待っている。
王妃がこのドレスを見て、何と言うかが問題なので、それによって半年以上かけた時が無駄になる。
「顔を上げるが良い」
侍女が声をかけ、リリアス達は顔を上げた。
遠くのソファーに腰かけている王妃の顔が見えたが、遠目でも顔がやつれ疲れているように見えた。
無理もない事で二人の王子が暗殺されかかり、預かっている他国の姫も同じ状態だったのだ。そのうえ長く信頼していた宰相の謀反に、王宮での王暗殺未遂である。気落ちするなという方が無理な事だった。
「妃殿下にはご機嫌麗しゅうございます」
ジラーが相手の状態が良くても悪くても使う、挨拶を言った。
「ええ、お前も元気そうでなによりじゃ。楽しみにしていたドレスが出来て大変嬉しい。今までにないデザインのドレスは大変だったろうが、とても良くできている。着るのが楽しみであるぞ」
ジラー達はお褒めの言葉に顔を赤らめて、頭を下げた。王妃は優しい人ではあるが、自分が使う物にはその身分らしく妥協は一切しなかった。相手の意志なども考えなかった。
自分に国民が良い物を製作すれば、自国の物産の品質が良くなり、輸出品としての価値が上がると思っているのだった。
「お褒めのお言葉、身に余る物でございます」
王妃は頷きドレスを侍女達に下げさせ、茶の用意をさせた。滅多にない事であるが、庶民のジラー達に振る舞うつもりらしく緊張し始めた様子に可笑しそうに笑った。
侍女達の美しい所作で用意された茶のセットはサンドイッチ、焼き菓子、ケーキと豪華な食べ物も並んでいた。
リリアス達は茶さえ喉を通るかと案じていたが、王妃はもっと驚く事を言った。
「今陛下がいらっしゃる、お前達もご一緒に茶を飲むと良い」
いたずらな目で笑っているが、リリアス達は真っ青な顔になった。
淹れられた茶を飲まないのは失礼に当たるので口をつけているが、味が全然しなかった。
宰相は公爵であったがまだ身近に感じることが出来る人だったが、王妃でさえ雲の上の人という気がするのに、王では一緒の空気さえ吸う事が出来ないのではないかと思ってしまう。
静かに王妃の部屋に王がやって来た。
四人は立ち上がり練習してきた礼をとり、慣れない姿勢に足を震わせた。
「良い、やり慣れぬ挨拶は止めよ……」
王が笑っているようだった。
皆が椅子に座ると王妃の隣に座っている王は、ヒタと視線をリリアスに向けて来た。
――このご様子だと、私の正体はご存知のようだわ――
王がこの場で、リリアスと父との事を話す気なのだと、気が付いた。
王は王で、自分に見つめられても怖気るでもなく、媚びるでもないリリアスに関心していた。
赤毛と緑の目の娘は顔は父のブリニャク侯爵に似ていないのに、そのまとう空気としっかりとした目の光が彼を思い出させるのだった。
侯爵から娘がいる事を知らされ、その素性も告白されて、今日王妃の所に来るというので、非公式に会いに来てしまった。
彼女の母の若い頃の顔立ちに似ているが、大人の彼女の方が美しく思えた。この娘が孤児として平民であったとは思えない程、品のある顔で侯爵は良い娘を持ったものだと思った。
「侯爵から娘として迎えたいと言って来たのだが、お前はどうしたい?」
行方不明だった娘が見つかったという、単純な話ならば王もここまで来なかったが、一応娘の性格などを見て決めようかと思ったのだ。
王はリリアスの返事を待った。
「私は貴族になるつもりはありませんでした。平民として、裁縫師の仕事で一流になりたいと思っておりました……」
「うん? それが変わったのか? またどうして?」
「ある方が……火傷を負って顔の半分に怪我をして、体の骨を折った方なのですが、父を許して残り少ない人生を楽しませてやりなさいと、仰って下さったのです」
王は目を見開いた。
「お前は、その男の看病をしたのか?」
「はい……もう終わった事ですから、申し上げますが。このマダムジラーが快くその怪我人の治療にご自宅を貸して下さいました。何も聞かずにです。とても感謝しています」
王はため息をついて、体の力を抜きカップに手を付けた。
「そうか……どうしていたのかと思っていたのだが、お前たちが面倒を見ていてくれたのか……。心から礼を言うぞ」
頭こそ下げなかったが、王は心からと思える謝辞を告げた。
ジラーは慌て、ぺラジーとマルティーヌは誰の事かは想像がついたが、あえて黙っていた。
「勿体のうお言葉でございます」
ジラーが頭を下げ、
「私達がおりましても、宜しゅうございますか?」
と、誰に問うでもなく聞いた。
「いずれ分かる事ではあるのだが、この娘はブリニャク侯爵が、行方不明になってからずっと探していた実の娘なのだ」
マルティーヌは腰が抜けそうなほど驚き、思わずぺラジーに抱き着いてしまった。ぺラジーは彼女の背中を撫でて落ち着かせたが、さすがにジラーは平静を装う事が出来た。
「お前の返事が聞けて良かったぞ、これから色々手続きがあるのだろうからな。秋の社交界の開催までにはっきりさせるつもりらしいぞ」
王が面白そうに言うので、リリアスは父の魂胆に気が付いた。
「父は、ダンスもできない私を、社交界に出すつもりなのでしょうか?」
少し怒りが籠ったリリアスの言葉に、王が背筋を伸ばした。
「まあ、やっと見つかった娘を、見せびらかしたいと思う親心を分かってやるのだな」
にこやかに笑いながら王は席を立ち、護衛や執事達を引き連れて部屋を出て行った。
王を送った部屋では、王妃がバタバタと扇子を仰ぎ王が残していった話題の顛末を知りたがった。
リリアスは母の素性を言う事が出来ず、とある貴族の娘でもう亡くなっているとだけ伝えた。
王妃には貴族の名前がすべて頭に入っているから、その頃亡くなった貴族令嬢を見つける事は簡単だったが、どこにもそのような令嬢はいなかった。リリアスの母の正体は分からないが、今ここで話せない人なのだろうと理解した。
「では秋の社交界の時には、そなたに会えるのを楽しみにしているぞ」
王妃の言葉で四人は引き上げ時なのだと察して、部屋を辞した。
帰りの馬車の中は大騒ぎだった。王宮に上がり王妃にドレスの検分をされ、王とお茶をした上にリリアスがブリニャク侯爵の娘だと分かったのだから、緊張から解放されたマルティーヌの感情の爆発は尋常ではなかった。
「ひどーい!! もっと早くに教えてくれたら、色々考えなくて良かったのに~」
マルティーヌはもっとも緊張が酷かったので、リリアスに掴みかかって揺さぶっていた。
ぺラジーは知っていたし、ジラーも貴族に縁があると知らされていたから、それ程の衝撃ではなかったが、父親がブリニャク侯爵というのは驚きであった。
マルティーヌもリリアスが貴族の娘だろうとは、皆で噂し合っていたがまさか侯爵家の令嬢だとは思わなかった。
女が大勢集まる仕事場でこれほど噂話のし甲斐がある話題はなかったので、色々詮索し合ったのだが、真実を知るすべがなく皆悶々としていたのだ。
それがやっと今真実を知る事ができて、感情が大爆発したのだった。
帰ってから茶の話題には事欠かないし、皆が知りたかった事を真っ先に知って、勿体ぶって話すことが出来るのがとても嬉しいマルティーヌであった。
反対に落ち込んでいるのは、リリアスであった。
父と暮らす事を決めただけの段階で、王に娘の存在を話し社交界の事まで考えている父に、少し怒りが湧いていた。
これからどうやって話し合おうかと考えるのだった。




