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祈る娘  作者: オーガ
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第102話



 この通りから左に曲がって真っすぐ行くと、城門にたどり着く。

 宰相の体に響かない様にゆっくり馬車が移動していると、途中でぴたりと止まった。

 車中でクッションを引いた座席で目を瞑っていた宰相は、何事かと体を固くした。

 顔を半分包帯で覆っているとはいえ、大ぴらに姿を見せられない宰相は、そっと窓を少し開けて外を見た。

 外には馬に乗ったブリニャク侯爵がおり、じっと少し前を見ていた。


「侯爵……何かあったのか?」


 すると宰相の馬車の下に、人が駆け寄って来た。息せき切っているのは、執事長のリオネルだった。


「どうした? 何か忘れ物をしただろうか? それに……お前どうやってここに来たのだ。さきほどリリアージュ嬢と一緒に、見送ってくれたはずだろう?」


 宰相より先に、この場所に来ていたのが不思議だった。それに朝と着ている服が違っており、平民のどこにでもいる老人の姿になっていた。


「お暇を頂き、孫とゆっくりしろと言って頂きましたが、孫はとっくに成人しておりますし、領地に帰ってもやった事がない畑仕事などできません。私には旦那様のお世話をする事しか、能が無いのでございます。どうか……どうか、ご一緒させて下さいませ」


 執事長は深々と頭を下げた。見下ろした頭髪は白く、額から後頭部までは幅広く禿げ上がり撫でつけた髪の毛が少し頭頂を覆っていた。

 まじまじと見た事がない執事長の頭は、若い頃はふさふさだったなと遠い日を思い出させた。

 暇を出した上には執事長の好きな行動で良いのだが、どこに行くかも知れないあてのない旅に老齢の彼が耐えられるだろうか。


 頭を上げた執事長はさっさと馬車の扉を開けて、手に持った荷物を放り込み馬車に乗り込んだ。

 宰相があっけに取られていると、扉を閉めてブリニャク侯爵に頷いた。

 それを合図に、馬車は動き出した。


「リオネル! どうした?」


 宰相の前に背筋を伸ばした執事長が座っており、着古して良い感じに茶色の色が落ちた服の裾を引っ張っている。


「旦那様のお返事をお待ちしていても、良い返事は返って参りませんから、いつも通り勝手にさせて頂きました」


 それでも我が儘を通したと思っているのか、宰相とは目を合わせない。荷物の中から皮の水筒を取り出し主人に手渡した。


「いつグラスで水が飲めるかは、分からないのでございますから、これから水を飲む練習もいたしませんと」

 いつにない口調で宰相が水を飲む様子を見ていた。

 宰相は細い口から直接飲もうとしたが、執事長が止めた。


「口は付けず放して水鉄砲の様に、口に流し込むのでございますよ」


 その通りすると少しは口に入ったが、ほとんどは胸にまき散らし服が濡れてしまった。


「旦那様も色々、経験を積まねばならない事が多うございますね」


 馬車の外にいたブリニャク侯爵は、宰相と執事長の笑い声を聞いて、上手くいったのだと安堵した。

 コエヨが居ると言っても、やはり貴族の大身だった宰相が一人ですべてをやるのは無理なのだ。

 執事長がいればとにかく、衣食は大丈夫だろう。


 城門に近づいていくと、衛兵の詰所の横にリリアスとオテロが立っていた。

 ブリニャク侯爵がそれを見て笑いかけた。

 馬に執事長とリリアスを前後に乗せて来たオテロが、検問の為に止まった馬車にリリアスと共に近寄った。


「爺さん、達者でな。旦那さんはお体に気を付けて、また王都に遊びにでも来て下さいな……」

 衛兵の手前、うっかりした事も言えずオテロは、無難な呼び名で宰相を呼んだ。

 オテロが潤んだ目で宰相を見ていると、彼が差し出してきた手を、驚いた顔をして優しく握った。


「お前も、主人とリリアージュ嬢を大切にな」


 オテロがリリアスの腰を抱き上げ、顔を馬車の窓に近づけた。声が衛兵に聞こえない様にとの気遣いだったが、オテロの主人とラウーシュが良い顔をしなかった。


「閣下、お手紙をお待ちしています。マダムの所に送って下されば、父の所にも届けますから、訪れた場所の事を教えてください。……お、お体に……き、を、つけて……」


 真っすぐに見つめるリリアスの緑の瞳からは、大粒の涙が零れ唇が震えている。

 

 怪我人がいると聞いて出掛けて行ってから、ずっと傍について世話をしてきた人だった。

 生きる気力を無くしただ生きていただけの人と、想像の旅の話をし笑って互いに緊張がほぐれ、気の置けない関係になったのだった。


 火傷でひきつれた手をリリアスの頬に置き、まだぎこちない動きの親指で涙を拭った。


「初めてラウーシュの横にいる貴女を見て、何と気品溢れる凛としたお嬢さんだと思った事でしょう。人の目をごまかす為にご一緒しましたが、ただ美しい貴女と居たかったと言うのが本音でしたよ。その貴女がヴァランタンの娘だと言うのですから、運命は芝居のような状況を作るのだと思いました。……手紙を書きましょう。何処に行っても何年経っても、貴女と話した見知らぬ国の話を書いて送りましょう」


 宰相はリリアスの頬に口づけた。


「貴女は私達の娘なのです。いつまでも愛おしく、守ってやりたい大切な人なのです。ですから、父を許しておやりなさい」


 リリアスははっとして、片方の黒い瞳でじっと見つめる宰相の顔を見ながら、思わず首を横に振っていた。


「そんな父を許すなんて、私……父に怒ってなんかいません」


 頬に在った宰相の手は、不本意な指摘に口を尖らせたリリアスの頭に触れた。


「どうしてヴァランタンと一緒に暮らす事が、出来ないのでしょうね? 誰もが羨む侯爵家の令嬢として、受け入れられるのですよ? ……いえいえ、仕事の話は別の問題です。貴女は孤児として生きて来ねばならなかった事が、嫌だったのでしょう? どんなに貧しい家でも、両親が揃った家庭に生まれたかったと、思いませんでしたか? それは孤児なら誰でも持つ願望だと思いますよ。貴女の我が儘ではありません」


 リリアスを抱いているオテロにも、宰相との会話が聞こえるが、今までかたくなに主人と距離を取ろうとしているリリアスが不思議だった。その理由がここで分かるのだろうかと、聞いていませんという無表情な顔で視線をリリアスの後方に向けていた。


「ところが自分が平民の娘どころか、侯爵の父と隣国の王女の母という、特別な生まれと分かってしまった。何と理不尽な事だろうと思ったのでしょうね。……分かりますよ、貴族の娘の身分で育ちたかったのではない事はね。由緒正しくしっかりとしているはずの両親が、どうして自分を孤児という境遇にしてしまったのかという怒りが、貴女の心の底にあるのではないでしょうか。だから今更、侯爵令嬢など糞くらえ……失礼、と思っているのではないですか?」


 リリアスは俯いて宰相の言葉を、噛みしめる様に頭の中で繰り返していた。


「ですがね……この世の中には、自分ではどうしようもない事があるのです。貴女を失った事でヴァランタンは、半生を無駄にしました。だが、貴女は彼の元に帰ってきた。彼の残りの人生を、豊かな物にしてやってはくれませんか?」


 オテロは思わず、リリアスの体を持つ手に力が入ってしまった。彼にも宰相の言葉がすっと頭に入ってきた。主人の苦悩の日々を見て来たのは自分であるし、リリアスが侯爵を父と呼ばない事に歯がゆい思いをしてきたのも自分だった。

 

 リリアスの頑固な気持ちの裏側にある物が何となく分かり、彼女が誘拐事件の一番の被害者なのだと、今更ながらに思い知らされたのだった。


「ヴァランタンは貴女を探す為に何年も地方を探し回り、王都に居たのは数えるほどでした。今になって私はその理由を知ったのですが、ずっと文句を言っていたのですよ。軍の重鎮が、ふわふわしていては困るのだとね。彼はただ笑っているだけでしたが、知らぬ事とは言え、酷い事を言いました。――光陰矢の如し――と元坊主が申しますがね、彼が元気でいるうちは、傍にいてやって欲しいと思わずにはいられないのです。彼は長らく一人で孤独だったのですから……」


 リリアスは新たに涙を流し、子供の様にしゃくり上げていた。オテロも顔を背けていた。


「何かありましたか?」


 馬に乗ったままブリニャク侯爵がやって来た。

 

 ――主人は、こういう所が間が悪くて気が利かなくて、駄目なのだ――とオテロは、胸の内で悪態をついていた。

 泣いているリリアスを見て、別れを悲しんでいるのだろうと一人納得し、

「なんだオテロ、お前も泣いているのか?」

 と、驚いた顔をした。


「旦那様、ちょっと離れていて下さい!」


 オテロは、手を遣えないので顔で侯爵を追い払った。侯爵は目を見張って口を利こうとしたが、宰相が頷いたので、すごすごと後ろに下がって行った。


「あんな男だが、慣れれば可愛い者ですよ」


 リリアスは泣き笑いし、

「閣下……ありがとうございます。ちゃんと父と話してみます。私、忙しさに任せて逃げていたんです。父と向かい合う事」

 

 宰相も笑って、

「では、これで本当にお別れですね」

 と、体を起こしコエヨに出発するように言った。リリアスは、宰相の手を握りその温もりを感じそっと撫でてから離した。


 馬車はブリニャク侯爵の先導で、王都の門を通り草原を走って行った。

 広い草原を抜け道が林の中に入って行き、木々が馬車に迫り陽の光もさえぎり始めた頃、道の向こうに四頭引きの馬車が止まっていた。


「閣下、何処の馬車でしょうかね?」


 御者台のコエヨが不審な声で聞いて来た。


 ブリニャク侯爵には、勿論見覚えのある馬であり馬車であった。


「なんで陛下がこんな所に……」


 ブリニャク侯爵は顔色を変え、溜め息を吐くしかなかった。



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