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祈る娘  作者: オーガ
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第101話



 リリアスの手の荒れが治り指慣らしもできてから、満を持して王妃ドレスの刺繍を完成させた。

 

 最後の一刺しを終えた時、リリアスから深い溜め息が吐かれた。

 このドレスを作る為にジラーの店に来てから、ラウーシュと知り合い、実の父と巡り合い貴族と国家間の陰謀を知った。


 人の一生分の事件が起こったようで、平民として生きてきたリリアスには、過ぎてしまえば現実だったのかと疑うほどの濃い時間だった。


 それでも長いドレス製作も終わりが来た。刺繍を始めた時は、終着点が見えない細かい作業だったが、やはりいつかは終わりが訪れるのだ。


「じゃああとは、仮縫いしてた箇所を縫って完成だね」

 

 縫製を担当している者がドレスを運んでいくと、リリアスの作業机のあたりは広々とした。

 椅子に気が抜けたように座ると、下働きの子が机の上を片付けようとした。


「ああ、大丈夫。私が片付けるから、休んでいいわよ」


 少女は元気に返事をして、工房を出て行った。


「長い仕事だった……」


 ぺラジーがねぎらうように刺繍糸を製作机の上から拾い上げ、後ろの棚に戻していった。

 

 ドレスは胸から腰の切り替えまで、びっしり刺繍がされ糸の重さで自立するぐらいだった。

 腰から下の部分はランダムな高さで模様が入れられ、今までの花や植物のつるといったありふれた模様ではなく、他国の色と見た事のない模様で隙間が無いほど、ち密に刺繍されていた。

 

 朱色あけいろ紅緋べにひ深緋こきひ天色あまいろ本紫ほんむらさきと、普段ならば二段階は薄くする色を、はっきりとした太陽の下でも負けない色を使った。

 それが自国にはなく、見た事もない国の模様を刺す為には、必要だったのだ。

 あのドレスを着た王妃は、上品な顔立ちと美しいが大人しい表情である人だが、きっと派手やかな模様によって陽気で浮き立つ姿を見せる事だろう。


 王妃を見知っている二人は、ドレスを着た姿が想像出来、しかも人々が驚くであろう事も分かっていた。


「あのドレスはいつ着られるんだろうね」


 社交界が停止状態であるのを残念に思いながら、早く王都がいつもの様になるようにと思っていた。




 オレンジの皮を、スッスッと小刀で剥いていく執事長の手元を見ながら、――自分がやれば確実に指を落とすだろうな――と、思いながらリリアスは宰相の傍にいた。

 オレンジの爽やかな香りが漂ってきて、スッキリとする。


 宰相の体も良くなっており、少しなら立って歩けるようにもなっていた。執事長が決して目を離さないが、幼子のように壁に手を付いて歩いている姿は、守ってあげたいと思わせる物があった。


「とうとう妃殿下のドレスも完成してしまいました……」


 残念な事の様に言うリリアスに、宰相は笑った。


「決断の時が来たのですね」


 リリアスは宰相が、オレンジの皿から口に運んだのを見て、自分も手を付けた。

 酸っぱさが強いが暑い時には丁度良く、口の中がさっぱりした。

 

 口をすぼめた顔が面白いと宰相が笑うと、執事長が、

「普段では感じませんが、そういうお顔をなさった時などは、ブリニャク侯爵様の少年時代のお顔にどこか似てらっしゃいますね」

 と、感慨深げに呟いた。


 宰相は、少年の頃のヴァランタンやシルヴァンの姿を思い出した。

 

 二人とも頭は良かったのだが、それを使う所が違っていた。誰か王の側近として働けないかと、青年になった後にも考えたが、すでに違う道を歩いていて駄目だった。

 

 それでも軍を率いて戦争を終わらせたり、国の商業を発展させたりと、自分達の気分の赴くままであったが、王や国家に貢献してくれている。

 

 自分の最大の間違いは後継者を作れなかった事だった。

 自分もまた気持ちの赴くまま国政を取り仕切り、わたくしする事は無かったが、やはり色々な者の意見などを聞き多くの担当者を作っていけば良かったのである。


 リリアスは次世代の若者で、ラウーシュなどとこれからの時代を作っていくのだ。

 彼女の渋い顔が、ヴァランタンに似ていると言った執事長の言葉が、政治にのめり込んで結婚もしなかった自分に、唯一無い物を思い出させた。

 

 しかし反省はしているが、後悔はしていない。色々あったが、なんとか国は成り立っていくだろう。

 もう自分が居なくても、誰かが国に尽くし働き盛り立てていくのだ。

 これ以上自分が、後継者達の重しになってはいけないのだ。


「リオネル……国を出る」


 宰相は決断した。


かしこまりました。早速荷物を用意いたします」

 

 執事長はオレンジの皮を片付けながら、ピクニックに行くと言われたかのように返事をした。


「そなたは領地に帰れ。息子も孫も待っているぞ」


 執事長は頭を下げて、部屋を急ぎ足で出て行った。


「どこにいらっしゃるのですか?」


 リリアスは驚かずに聞いた。宰相も色々考えているのは、知っていたからだ。


「遠くの国に妹が嫁いでいるので、まず会いに行ってみるかな。気ままな旅をしてみようと思う。貴女が話してくれたように、住んでみたいと思う場所を見つけてみるのも良いかもしれない」


 宰相の顔はすっかり落ち着いた物になっていた。


 その日のうちにブリニャク侯爵とデフレイタス侯爵がラウーシュと共に店にやって来た。

 二人とも宰相の話を執事長からの伝言で知り、慌てて訪ねて来たのだ。

 宰相の顔を見て、二人は決意の固さを理解した。政治家らしく感情を顔に出さない人だが、今はもう普通の人のようだった。


「陛下に何かご伝言はありますか?」


 宰相が国を出てからならば、差支え無いだろうと思ったのだ。王は自分の行いを反省しているし、亡くなったと知っていても宰相には謝りたいと、口には出さないが思っているはずである。


「陛下は、反省なさっているだろうから何も言う事はない。私はただ黙って消えていく」


 宰相がこれほど言うならもう誰にも止める事は出来ない、侯爵達に出来る事は旅の準備の援助ぐらいだった。


「私が、閣下の行きたい所まで護衛を務めましょう。それがなにより安全でありますよ」

 ブリニャク侯爵が、自信満々に引き受けたが宰相は断った。


「貴方の護衛など、鐘や銅鑼を鳴らして歩いているような物です。私を見世物にしたいのですか?」

 

 デフレイタス侯爵は皮肉気に笑って、ブリニャク侯爵を見た。


「では私に、旅の資金を用意させて下さい。それに旅行に快適な馬車も用意できますので、お使い下さい」


 宰相はそれも断った。


「二人の気持ちはありがたいが、私は誰に気兼ねするでもなく勝手気ままに旅をしてみたい。王宮に居座って頭でっかちになっていたのを、今頃やっと気づいたのだ。色々経験をしてみたいのだ。それに資金は執事長が屋敷から逃げ出す時に、私の金庫から色々運び出したようで沢山あるらしい」


 さすが公爵家の執事長で、色々な想定をして財産などを持ち出す訓練をしていたらしい。落ち着いた好々爺のような人物だが、やはり公爵家の執事長は一筋縄ではいかない。


「ですが、お一人ではあまりにも不用心ではないですか?」


 ラウーシュも心配げに言ってくる。


「コエヨが付いて来てくれる。あれは契約で仕事をしていているので、却ってその方が信用できる。それに結構な時間、護衛をしていてくれているから、気心も知れているのだ……私の命の恩人でもあるしな。二人連れの旅には良い関係であろう?」


 宰相は、一人で暮らしたことも生活する術も知らないのに、供と二人で旅をすると言う。

 それがどんなに大変なのか想像しているだろうが、――現実はもっと過酷である――と知っているのは、デフレイタス侯爵親子以外の人達であろう。


 それでも宰相がこれからの余生を、苦労も楽しんで生きていけるのならと、皆は心から応援しているのだった。


 



 宰相の決断から一週間後、旅の準備も終えて旅立ちの日は来た。

 

 早朝コエヨが御者台に座り、皆と宰相の別れが終わるのを待っている。

 

 ブリニャク侯爵とラウーシュは、城門を出てある程度まで一緒に行くことになっている。

 宰相は髪も染めている上に、顔を包帯で巻いているので正体はばれないだろうが、ブリニャク侯爵が付いていれば怖い物無しである。


 デフレイタス侯爵は、体力がまだ戻らないのでジラーの店の前で別れを告げる事になった。


「閣下……今までの御無礼を、申し訳なく思っております」


 へそ曲がりで素直でない性格のデフレイタス侯爵は、それを言うのが精一杯であった。

 心から宰相を尊敬していると言葉にできるのなら、とっくに言っている。


 宰相も彼の性格を良く知っているから、頷いてそれを受けた。


「子供の頃からの友人なのですよ、貴方が本当は純粋で曲がった事が大嫌いなのは良く分かっています。素直になった方がどれ程生きやすかったかは、貴方が一番ご存知な事でしょう。でもそれが貴方なのですから、謝る必要は無いのです。素直になれなかったのは、お互い様でしょう……」


 驚いた顔で宰相を見るデフレイタス侯爵に、満面の笑みで応えた。

 うっすらと侯爵の瞳に膜が張ったのは、宰相にしか見えなかった。


「ではリリアージュ嬢も元気で」


 静かに馬車の中から手が振られ、それは馬車が遠くに行ってしまうまで見えていた。


「とうとう行ってしまわれた……」


 リリアスが悲し気に呟くと、その場に残っていたデフレイタス侯爵はリリアスの手を取り、慰めの言葉を掛けようと思ったのだろうが、口が利けずに俯いているだけだった。


 宰相の最後に言った友人という言葉は、デフレイタス侯爵には意外でありとても嬉しい物であった。



 

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