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勇者の荷物持ち  作者: 竹内緋色
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4 勇者の荷物持ち

4 勇者の荷物持ち


 北の山々は凄かった。何がすごかったかと問われて何がすごかったとは言えないが、でも、凄かった。針葉樹が針の山みたいにそびえたって、その山自体が針みたいで、そんな針が無数にある。つまりは針の中に針がいっぱい生えているから凄いということなのだろう。

「なあ、どうして北に向かってるんだ?」

 俺とマリナはヒノカグヅチを出てからずっと北に向かっていた。そのまま行けば海に出るんじゃないかと思ったが、どうもそれはないらしい。随分と山を越えてきたが、山が終わる気配がないからだ。

「あの龍は北を見ていた。そして、あのちびっ子も北を目指す気でいた。なら、北に神樹があることは間違いないだろう。」

 勇者様はヒノカグヅチの一件以来、ずっと勇者の顔を張り付けている。そこには弱さなど欠片もないが、俺はなんだかとてもやづらくて困っていた。きっと俺はマリナに弱いままのマリナでいて欲しいのだと思ったりもした。だからといって惚れたとかそういうんじゃないんだからな。

「どうしたよ、マリナ。ヒノカグヅチの一件がそんなにショックだったのか?」

 俺はもう何も気にしてないぜという風におチャラけてマリナに言った。

「別になんとも思ってないさ。」

 マリナはとても不満そうだった。その不満はヒノカグヅチを無茶苦茶にしたウメノ一行に向けられたものじゃなくてなんとなく俺に向けられたものであることを感じ取った。

「別れなんてこのご時世、少ないもんじゃないだろ?せめて前を向かなきゃな。」

 それは明らかな言い訳で、俺が俺に言い聞かせる言葉だった。そのことを分かっていたのかいないのか、マリナは何も言わなかった。

「じゃあ、あれか。自分の国が戦争を始めたことを気にしてるんだな。」

「気にしないやつがあるか!国には私の友や家族、そしてお父様がいるんだぞ!」

 唾を飛ばしながらマリナは吐き捨てた。少しの水も惜しいこの頃、それはとってももったいない行為だった。

「お父様だけ別とか、お前はファザコンかよ。」

「なに?」

 ああ、マズった、と俺は思った。勇者様にケンカを売って無事でいられるわけがない。魔物を殺せるハリセンでボコボコにされる。そんなことは分かっていた。でも、俺はなんだか意地になって、言い返していた。

「なんだよ。このご時世にお父様、お父様って。俺には親さえいないんだ。」

 ムキになった俺は、心が素っ裸だった。だから言うつもりのなかったことを言ってしまった。

「なんだと?」

 マリナは俺の言った言葉よりも俺に反抗されたことが気に食わないみたいだった。だから、話の内容は頭に入ってきていない。そもそもポンコツ脳なのだから、いつも言葉も半分入って来ていればいい方なのだろう。

 マリナは腰にぶら下げたハリセンを抜く。その速さはハリセンの扱いに慣れてきたのか、目にも止まらぬ速さだった。そして、俺の頭を本気で潰そうと白い紙の束を振り上げる。俺は終わったと心の中で思いながらも、頭を守るために腕を頭の上に置く。こんなヤツのために死んでやるか、と俺は心からそう思ったのだ。

「!?」

 そんな時、ゴゴゴゴゴゴゴ、と地面が揺れる。揺れはだんだんとこちらに近づいてきているようだった。

「なんだ!?」

 揺れとともに柔らかい土の中から大きな巨体が姿を現した。蟹のような鋏。しかし、頭から伸びる触覚は紛れもなく昆虫のものだった。だが、大きさはとんでもない。木の高さほどに大きな体だった。

「またデカい化け物かよ!」

 これも神樹やらの影響なのだろうか。

「地棲昆虫オケランドだな。」

「お前、虫、平気なのかよ。」

 だが、マリナの体はかつてのように震えてはいない。そして、表情は勇者の顔を張り付けたままだ。

「一瞬で決める。」

 マリナは背中の大剣に手を伸ばす。大剣の刃ははじけ飛び、仲から一振りの聖剣が飛び出す。終の聖剣というやつらしい。

 マリナは力を溜めるように聖剣を天高く掲げる。それだけでマリナの周りに風が吹きすさぶ。俺はその威力に吹き飛ばされそうになり、必死で地面にすがる。だが、冬が近いせいもあって、捕まれるものもない。俺は必死に土を掴んで、そして、虚しく体は宙に浮く。

「どりゃああああ!」

「うわあああああ!」

 聖剣はオケランドを切り裂く。体の中に何か入れていたのか、オケランドは爆発した。そして、宙に浮いている俺はなすすべなく爆発に飲まれて宙を彷徨う。

 ああ、ポンコツ勇者よ。もうちょっと色々考えようか。

 そのまま俺は訳が分からない所まで飛ばされていった。


 俺は目を覚ました。目を覚ました瞬間、自分が生きているはずないという記憶がよみがえる。俺は地面に急降下した。なら、その行き先は死であり、きっとここは天国に違いないと思った。だって、俺が地獄に行くわけないだろ?まだ人殺しもしてないし、このご時世じゃ、こんな地獄じゃ、人の命なんて動物の肉よりも安い。

 体に痛みはなかった。ますます天国じみている。呼吸をしているが、それでも死んでいるのだろう。いや、天国ならどうなんだろうか。生きているんだろうか。ともかく、俺はどうするべきか考えてみる。辺りはまったくさっきと変わらない森の中だった。天国ならもっと天女とかいてもいいはずなんだがな。だが、今までの俺の女難の相を考えると俺は男だけの天国に行った方がいいように思えた。いや、それでは地獄か。

「サヤ・・・」

 急に死に別れた少女のことを思い出す。この世界でならサヤに会えるだろうか。サヤは俺のために命を投げ出したと思いたい自分がいた。だが、それは違うのだろうと思う。サヤは誰もが大好きで、愛していた。だから、簡単に、本当に簡単に自分を犠牲にしてしまった。

「もう、止めてくれよ。」

 俺は誰かの命の上に生きている。俺を命ながら助けたバカが他にもいたことを思い出す。初めての町で出会ったゲンクロウ。ゲンクロウもサヤも同じ様な顔をしながら死んでいった。

 でもよ、死んだら何もかも終わりじゃねえか。残された俺はどうなるんだ。まるで呪いだなと俺は思った。

「ああ、本当に地獄だったな。」

 そんな時、俺の腹が鳴る。どうも随分前から空腹だったらしい。体が食べ物を欲して震えている。天国でも腹が減るのか、と俺は不思議に思った。

「天国なんだから腹いっぱい飯を食えるだろう。」

 あんなひどい世界に住んでいたんだ。せめてそのくらいしてくれないと死んだ奴が報われないだろう。

 俺は立ち上がり辺りを見渡す。月明りで照らされているものの、辺りは暗い。つまりは夜だった。俺は食べ物を探しながら、色んなことを考えていた。別に色んなことでもなかった。たった一つのことを何度も考えていた。

 そいつはあのやるせない世界でたった一人生きて行くのだろう。バカみたいに世界を本気で救うつもりでいて、そのくせ一人では何にもできないくせに、自身もないくせに強がって。不器用で仕方なくって、でも俺はそいつのそんなところがちょっぴり好きで、そして、時折見せる年相応の弱さが俺の胸を締め付ける。俺はあいつを一人にしてよかったのだろうか。風が吹けば飛ばされてしまいそうな小さな花をとり残したままでよかったのだろうか。

「ああ、もう。やめだ。やめやめ。」

 俺は俺のことだけを考えればいい。俺には世界を救う力も、可哀想な勇者様を救う力もない。でも、それはあのバカも一緒のはずだった。アイツだって、自分を守るのに精いっぱいだ。でも、そのくせ、誰かを助けようとする。本当にバカで、いつもあのバカを見ているとイライラした。だから、今の俺はとてもせいせいしている。

「そうだよ。バカはバカでバカなんだからバカなんだよ。」

 俺の呼吸は荒くなっていた。何かに動揺するなんて俺らしくない。きっと急に天国に飛ばされて訳が分からなくなっているのだろう。

 深呼吸して冷静になると辺りがよく見えてきた。水の音がする。近くに川があるらしい。

「まあ、水くらいなら腹の足しにもなるだろう。」

 なんだか天国に来て物凄くひもじい思いをしている気もするけど、これから神様がとっても楽しい催しものを用意してくれていると考えると少しは気が晴れた。

「なんだか寒いな。」

 ヒノカグヅチで適当に衣服をパクったのだが、それでも肌寒い。天国にも冬が近づいているのだろうか。ふと、俺はアメノハバキリで失った大量の布切れを思い出す。あれは冬が来ると分かっていたから、防寒具として寒い地域で売りさばこうと思っていたのだ。毛皮もそのためだった。

「くそっ。俺は手に入れたものをすべて失う運命なのか。」

 だが、きっと天国にはそんなものはいらない。争いも辛いことも何もない世界。だから、商売だって必要ない。

「でもそれって面白くないな。」

 それは贅沢が過ぎる話だろう。しかし、俺はあの地獄よりほんのちょっといい世界が見てみたかっただけで、勇者様はきっとそれを望んでいたことに気が付いた。

「誰も彼もの願いを背負って。でも、お前の本当の願いは何だったんだろうな。」

 今は遠くなった彼女を思い出し、俺はマリナのことを全く知らないことに気が付いた。知りたくもないと考えていたけれど、今さらながら、マリナのいた世界が名残惜しい。

「ないものねだりはしても無駄っと。」

 俺は歌うように言いながら、川の水を飲む。ひんやりと冷たいが美味しい。でも、何かが物足りない。俺とマリナは水を争うように飲んだ。本当に愚かな話だった。いっぱい水が流れている川でも意地になって独占しようとした。今となっては本当に馬鹿々々しい。でも、そんなことを思い出すととても胸が苦しくなる。

 水がじゃぶじゃぶと荒立つ音が聞こえた。

「だ、誰だ。」

 魔物だろうか、と俺は慄く。マリナがいれば大抵の魔物はなんとかなったが、今の俺では何もできない。天国に魔物のような物騒な生命体がいないことを願うだけだ。

 そのナニカは俺の方に向かってきていた。本格的にヤバい。逃げれば、飢えた魔物は俺を襲う。でも、逃げなければ襲うだろうし。俺は死にかけた時の恐怖を思い出してその場から動けなかった。

 月明かりがナニカを写す。

 それは月明りの中妖艶に輝いていた。陶磁器のような滑らかな色。見たこともない丘陵。そして、色素の薄い髪と見たこともない色の瞳。

 つまりは人間だった。裸の。女の。

「・・・なるほど。サービスなのね。」

 だが、俺はこの状況をどうすればいいのか分からなかった。襲えばいいのか?それとも襲われるのか?マリナなら俺の目が見えなくなるまでボコボコにしただろう。だが、目の前の女は俺を赤い瞳でじっと見つめたまま動かない。

「ええっと・・・おはろー?」

「・・・」

 沈黙が辛い。襲うに襲えない。

「ええっと、月が綺麗ですね。」

「・・・」

「その、ここは天国で間違いないでしょうか?」

「ここは神樹の森の近く。」

「じゃあ、天国じゃないんですね。あはは。」

 俺は急いで女に背を向ける。目のやり場に困るし、こう堂々とされるとなんだか安売りされているようで、すごく悲しい。

「服とか着てみるとかどうでしょうか。」

「・・・」

 女は動く気配がない。そうやってずっと過ごしていると、俺は再び女の裸体が見たくなった。きっと一生拝めないものだろう。そう思って俺は後ろをそうっと振り向く。

「え?」

 俺の体に戦慄が走る。女はすでに服を着ていた。

「どうして服を着たんだよ。」

「脱げばいいのか?」

「いいえ!結構です!」

 俺は残念だったが、でも、そんなに簡単に見れてしまうとなんだか切ない。

「ところであなたは一体?」

「私はジェネティック・ドール三号検体トロン。」

「はあ。」

 異国の言葉は分からなかった。この辺りでは見慣れない服装をしているので、聖圏の人間かもしかすると西の大陸の人間かもしれなかった。

「あの、俺はカスって言います。ところで、俺は腹が減ってしまって。どこかに食べ物とか落ちてないですかね。」

 妙に緊張して俺はおかしな言葉を発する。

「落ちてはいないが群がっては来ている。」

「へ?」

 気が付くと俺たちは魔物に囲まれていた。熊のように大きな体をした魔物だった。体からは普通の熊ではあり得ない凶暴な凶器がはみ出している。

「ヤバくないっすか?」

 そう尋ねた時には全てが終わっていた。起こった変化は、次々に倒れて行く魔物と、水しぶきを上げるトロンの足元の水面だった。

「ええっと・・・魔法?」

 そうとしか思えない出来事が起こっていた。

「私も栄養を欲している。」

 そう言ってトロンは熊の魔物に向かっていき、素手で豪快に肉を引きちぎり始めた。

「いやあ、あの、その・・・」

 魔物の肉を辺りに散らしながらむしゃぶりつく様は魔物以上の魔物としか思えなかった。

「どうした。勝手に食べればいいだろう。一人で一体も食べられないだろうし。」

「いや、不味くないのか?そもそも腹は壊さないのか?」

 魔物の肉には呪いがあるので普通の人間は生で食べない。今まで生で食べるのを見たことがあるのはウメノくらいである。

「心配には及ばない。私には丈夫な消化酵素がある。味は分からない。」

「つまり味音痴なわけね。」

 魔物の肉なのだからどれだけ上手く調理しても味が知れている。噂ではとんでもなく美味しい魔物もいるそうだが、並大抵の魔物はそうもいかない。

「どこに行くんだ?」

「どうにかして火を起こすよ。俺は生では食えない。」

「また魔物に襲われるぞ。夜は魔物が活発になる。」

「そうだな。じゃあ、俺を守ってくれるか?」

「承知した。」

 俺はトロンの言葉に驚いた。それほど簡単に安請け合いしてよいのだろうか。

「今は目標が近くにいない。ただ栄養摂取を目的とするだけだ。」

「要するに暇だと。」

 回りくどい奴だなと思いつつ、心強い用心棒が現れたことに内心ほっとしていた。


 火はトロンが起こしてくれた。力だけはあるにもかかわらず、器用さはマリナ以上に皆無なので、一々細かく教えなければならなかった。自分でやった方が楽なのではないかと思ったが、一度コツを掴めば簡単にトロンは火を起こすことができた。俺は無理矢理肉を引きちぎり、木の枝に肉を刺して焼く。俺の分とトロンの分も用意した。

「ほら。食えよ。」

 俺はトロンに焼いた肉を渡す。

「これは一体?」

 焼いた肉を始めて食うみたいにトロンは珍しそうに眺めていた。

「毒なんかは入ってねえよ。多分。」

「大丈夫だ。カスに不審な点は見られなかった。魔物のデータはインストールしてあるので、毒が入っている心配はない。」

「そうか。」

 トロンは肉を口に運ぶ。俺も同じく肉を食べた。肉は柔らかくなく、よく噛まないと喉に引っかかりそうだった。そして、とてつもなく呪い臭い。まるで死体をそのまま食べているような感覚だった。

「美味くはないよな。」

 だが、食べなければ生きて行けない。俺は薄々、ここはやっぱり現実の世界で、飢え苦しんでいる地獄のままなのだと理解し始めていた。そもそも、天女がこんな不思議なヤツであるはずがない。

「味は分からないが、脂分を落とすと効率が悪い。ただでさえエネルギーが不足しがちだ。」

「そうかよ。」

 生の肉がいいとは本当に変わった奴だと俺は思った。

「だが、礼を言う。ありがとう。」

 マリナはあまり礼を言ってくれなかったので、俺は少し恥ずかしくなる。

「まあ、生肉の方がいいのなら無理に食う必要はないぞ。」

「こちらの方が臓器にかかる負担は少ない。大量に食べれば問題ない。」

 そう言ってトロンは立ち上がり、魔物の亡骸から肉をむしる。そして、俺を真似て木の枝に肉を刺して火に近づける。

「そうそう。よく分かってるじゃないか。」

「一度覚えたことは忘れない。」

 めらめらと燃え盛る炎を見ながら俺はこれからどうするのか考えた。ずっとこんなところにいては魔物の餌食になる。ならば、トロンについて行くしかない。

「なあ、トロンはここで何をしていたんだ?この辺りに住んでいるってわけじゃないだろう?」

 トロンはじっと肉を見つめながら答えた。

「目標を追ってここに来た。だが、見失った。」

「その目標って?」

「それは機密事項である。」

「そうか。」

 何度言っても無駄であるのはトロンの態度を見て分かった。それに、聞かれたくないことを聞いて嫌われては死活問題だ。

「これからその目標を探すのか?」

「ああ。だが、あてはない。」

「じゃあ、俺と一緒に行かないか?」

「私は私の目的を優先する。」

「それでも構わない。一緒に行く道すがら、探せばいいだろ?」

 トロンはしばらく考えていた。そして、肉を口に運ぶ。

「いいだろう。だが、どこに行く?」

「北だ。」

 俺ははっきりとそう言った。

「そうか。なら、そうしよう。」

 俺は言った後で、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。北には神樹がある。そこにはマリナがいる。そして、危険が待っている。だから、俺は南を目指すべきだったのだ。

「はあ。すまねえな。俺は眠い。だから寝る。」

「魔物が寄ってくるから火は消そう。」

 そう言ってトロンは足で火をかき消す。

「じゃあ、おやすみ。」

 俺は本格的に眠くなってきたので、死ぬように瞼を閉じた。


 まどろみの中、俺はずっと三つの傷跡について考えていた。実際は考えているのとは少し違って、頭の中でグルグルと回っているのだった。

 一つ目の傷はマリナの傷だった。胸に大きく古傷があった。はっぴから少し見えただけであった。

 二つ目の傷はウメノのものだった。大胆なビキニから見えていた傷はマリナと同じくらい大きく、縦に広がっていた。ウメノの白い肌によく目立ったのを覚えている。

 そして、三つめは豊満な胸に跨るように広がっていたトロンのものだった。

 その三つの共通点は何を意味するのか。

 そして、ウメノの術中に囚われている時に見たあの光景は何だったのか――


「朝だ。」

 俺は女性の声に目を覚ます。何かを考えていたように思えたが、すっかり忘れてしまっていた。

 俺は目の前の女性を見て、昨日のことを思い出した。

「トロンか。」

 なんだかんだでマリナと過ごす時間が長くて、そばにマリナがいないと少し不安になった。全く、俺らしくもない。

「マリナを探さなくちゃ、ならないのかぁ。」

 ケンカ別れをしたので、俺はマリナを探すことにあまり乗り気ではなかった。つい、溜息を吐いてしまう。マリナは頑固なので、俺が謝らない限り、怒ったままだろう。俺がいないとマリナはどうしようもない、ということもない。戦闘力でいえば、よっぽどのことがない限り負けることはない。少し人付き合いの点では問題があるし、ドジを踏むのは毎度のことだから、少し不安でもある。

「これからどうするのだ?」

「まあ、進むほかないんじゃないんすか?」

 こんな森で一生を終えるのだけは嫌だった。

「そう言えば、トロンはどうしてこんなところに?いや、前に聞いたけどさ。恐らくお前はこの大陸の人間じゃないんだろ?」

「機密事項だ。私はただ、命令通りに動いているだけ。それ以外になにもない。」

 マリナは使命のために旅をしていた。ウメノは結局分からない。基本的に小悪魔なのだが、時折妄執に取り憑かれたようになる。その二人と比べて、トロンは本当に何もない、という感じだった。二人に共通していたのは何か自分自身の願いがあって、それと行動が一致しているということだが、トロンはもとよりその願いすらないように思えた。

「カスは何故こんなところにいる。」

「俺、か。」

 尋ねられて当然のことを聞いたのに、俺は全く答えを考えていなかった。俺はどうして旅をしているのだろう。

「初めは……ただ単に村を出たかった。それだけだ。それで、色々と勇者様と歩いているうちに、村の外は村以上にひどいことを知った。俺は大きな町で大金持になって裕福で不自由のない生活をしたかったんだ。だから、そんな生活をできる町を探している。」

 だが、それでいいのかという疑問も残った。

 色々な町を見て、人々の苦しみを知った。俺だけが幸せになるということに時々苦しくなる時もあった。それはみんな、出会った奴が悪いんだ。こんなご時世のくせに、誰かのことばかり考えて、命を犠牲にしてまで救って。でも、そんなことになんの意味があるというのか。

「でも、だんだんと、この世界をどうにかしなくちゃいけないように思えてきている。俺みたいな何にもできない奴にはどうしようもないことだって分かってるけど、でも、こんな風にずっと春が来ないとさ、俺も富豪になれないじゃんか。だから、春とかいうのを見つければ全部解決!」

 カラ元気だった。自分に芽生えたバカな正義を誤魔化す言葉だった。でも、俺は正義やら平和のために命を散らすなんて絶対に嫌なのだ。

「非常に人間らしいな。」

「バカにしているのか?」

 ともあれ、俺たちは歩いていくことにした。だんだんと森は深くなってくる。昨日夜を明かした場所が今はどこにあるのか分からない。

「寒くなってきたな。」

 もとより寒かったが、さらに寒くなった。雪でも降り出しそうだった。

「この辺りはいつでも雪が降る。だから、寒い。」

 確かに、もうすぐ冬であるのは分かっていたが、気温だけでいうと、あきらかに先ほどとは段違いになってきている。俺は昨日仕留めた魔物の皮で体をしっかりと覆う。

「これも春が来なくなったせいか。」

「それは違うな。」

 トロンはやけにはっきりと言った。

「樹の影響だ。樹は竜と違い、人を生かそうとしている。自分の命を削ってな。だが、それがいい方向に行くとは限らない。あらゆる場所で環境が乱れ始めている。」

「それは神樹のことか?」

「このあたりではそうだろう。」

 トロンは神樹のことに詳しそうなので質問してみる。

「そもそも、神樹ってのはなんなんだ。なんか勇者どもは色々と難しいことを話していたけど。」

「人を保護する意思というところだろう。それが樹になったものだ。人の歴史を記録し、実を実らせる。それだけの存在だ。」

「その神樹が倒されるとどうなる?」

「どうもならない。人は樹に頼らず生きて行けばいい。それは神から離れるということだからだ。ただ、その際、多少の異変は起こるだろう。」

「つまりは、倒さない方がいいわけね。」

 トロンの言う多少というのがどのくらいかは分からないが、恐らくとんでもなく大きな災いが降りかかることだけは分かる。トロンが神樹のことを淡々と語るあたり、こいつはとんでもなくスケールの大きな人間ではないのかと思い始めていた。

「だが、いつか人は神の保護から離れなければならない時が来るだろう。」

「なあ、春が死んだって聞いたんだが、本当なのか?」

「恐らくは。」

「誰が殺したんだ?」

「それは今となっては分からない。」

「春が甦ったら、またそいつに殺されるんじゃないのか?」

「春が甦るかも分からない。」

「じゃあ、俺たちは無駄なことをしているってことか?」

「それすらも分からない。」

 分からないばかりだが、それが真実なのだと俺は思った。そして、マリナはきっとそのことを分かっているのだろう。アイツの国が何を思っているのかも分からないが、マリナ自身はそれでも春を探すことを諦めはしない。

「俺たちはどうすればいいんだろうか。」

 ずっと春が戻ってこなければ、あらゆる生き物は死んでしまうだろう。その現状をなんとか維持しているのが神樹なのだろう。それが倒されれば、多くの人が死ぬ。ウメノが何を考えているのかは分からないが、現状で神樹を倒されれば、本当に全てが終わる。

「私には分からない。」

「お前、何も考えてないだろう。」

「考えるとはなんだ?」

 哲学的なことを聞かれているのかと思い、俺はトロンを見る。だが、トロンの顔はいつもと同じ無表情で、俺はそれを気味悪く思った。

「そんなことを聞かれてもな。まあ、何と言うか、無理矢理活路を見出す、みたいな?」

 そうやって俺は生きてきた。どうしようもないと思える状況も何とかしてきた。

 なら、考えて考えまくれば何とかなるんじゃないだろうか。俺にできるのは考えることくらいだし。

「止まれ。」

 トロンの言葉に俺は急ブレーキをかける。

「どうした?」

 そう言った途端、地鳴りのような音が響く。

「樹のエネルギーが流れ出すことによって、動物が異様に巨大化している。自身の能力を制御できないほどにな。特に、呪脈と密接に関係している魔物は神樹のエネルギーを取り込んで恐ろしく巨大化している。」

「いや、冷静に説明している時じゃないだろ!」

 トロンの言いたいことは分かった。つまりは危機が迫っているのだ。木をなぎ倒すメシメシという音が近くまで聞こえてきていた。

「逃げないと!」

「うん?エサが自分から舞い込んできたのだぞ。」

 やはり、頭がおかしい。

 こいつは恐らく勇者だろうと俺は思った。

 そして、そいつは俺たちの前に姿を現す。黒い塊。体には禍々しい棘がついている。恐らくは昨日の魔物と同じ種類なのだろう。だが、体には無数の棘の鎧を持っていて、大きさは、樹ほどの大きさだ。うん。無理。

 俺は急いで茂みに隠れた。だが、トロンは逃げない。

「いくらお前が強くったって、そいつは無理だろ!」

 トロンの目前に巨大な魔物が迫った瞬間、魔物は真っ二つに切れた。見事な切れ味だった。

 俺はそんな芸当ができる人間を一人しか知らない。

「ふう。魔物はうまくないなぁ。」

「一言目でそれかよ。」

 俺は茂みから顔を出す。魔物の死骸にケチをつけていたのは聖剣を持った勇者、マリナだった。

「うむ?お前は荷物持ちじゃないか。どうしてここに?」

「物凄くわざとらしいな。」

 その言葉だけでマリナが俺のことを必死で探していたことを知った。何だかんだで臆病なのだ。こいつは。

「あれ?トロンはどこに?」

 まさか真っ二つになったのでは、と思い辺りを見渡すが、どこにもトロンの姿はなかった。

「くっ。唯一の巨乳キャラを逃してしまった。」

「アホだな、お前は。」

「どっちがアホだ。アホ。」

「なんだと?」

 すぐにマリナはハリセンに手を伸ばす。

「待て待て。悪かったって。俺はお前がいないと生きて行けないんだ。物理的に。だから、ご一緒させてください。」

 プライドも糞もない発言だった。だが、それが俺にあっている。

「ふん。なら、仕方がないな。私についてくるといい。」

「ったく、調子がいいんだから。」

「何か言ったか?」

「いいえ。何も。」

 俺はトロンのことが気になったが、アイツは一人でも何とか生きて行けるのだろう。少なくとも、俺やマリナよりは一人でなんとかなりそうだった。それに、近いうちに会えるような気もしていた。

「ともかく北へ向かうぞ。神樹のもとへ。」

「へいへい。」

 と、そんな時、きゅううう、と甲高い音が森中に響いた。

「まずは腹ごしらえですか。勇者様。」

「……面目ない。」

 あまり美味しくもない魔物の肉を調理して食べた。巨大化すると、肉も簡単には噛み切れないので、粉々に砕いて焼く他になかった。


 その後の顛末を簡単に整理しよう。

 とりあえず、勇者の威厳は地に落ちた。

 マリナは魔物と果敢に戦い、前へと進んだ。だが、それも、俺と再会したその日だけだった。さらに森の奥深くに進むと、獣の魔物は姿を消し、代わりに現れたのは昆虫型であった。それもよりによってあの黒い帝王なものだから、マリナは戦うことができず、逃げに逃げまくった。

 時に泣きじゃくり、時に足を滑らせがけ下に転落し、時に川に飛び込み川下に流された。それを何回も繰り返し、明らかに回り道をして、一か月後、ようやく神樹のふもとまで辿り着いた。本来ならば、一週間も経たずにたどり着けたはずなのに!

「このポンコツ勇者!」

 ボコン。

 明らかにハリセンではない音が響く。でも、ハリセンなんですよ、みなさん。

「お前だけが巻き込まれるならいいさ。でも、俺まで巻き込むんじゃねえよ。川に落ちた時だって、お前が俺に抱きつかなきゃ落ちなかったし、ずっと離さなかったせいで俺は溺れかけたぞ。」

「ふん。私が溺れなければいいんだ。」

「いや、すねるなよ。」

 これなら、トロンとついて行った方が良かったかもしれない。

「マリナに先を越されてはないようだな。」

 神樹は相変わらずそびえたっていた。明らかにどの木とも違う、壮大な樹。これを神と崇めたてる気持ちがよく分かる。

「神樹を管理する巫女に会わなければならない。」

「巫女、ね。」

 俺はサヤのことを思い出した。巫女という存在が何なのか。それは勇者と同じくらい謎に包まれていた。

 俺たちは神樹のふもとにある村を訪れていた。だが、それは村というには少し厳しかった。何故なら、大きな神社一つしかないからだ。

「たのもー!」

「いや、なんか違うから。」

 マリナは神社の前で元気よく言った。なんだか知能が後退しているように思えるが、森での虫たちのアウトブレイクに脳が変調をきたしているのだろう。

 すると、社の扉が重々しく開く。そして、開いた瞬間、

「遅いわ!」

 と一喝されてしまった。

「ええっと、申し訳ありません。」

 俺は本当に申し訳なく謝った。

「うむ。」

「お前ももう少し申し訳なくしろよな。」

 人前に出るモードに入ったマリナはうむとしか言わなくなった。

「で、あなたは?」

「ここの巫女であるが?神樹様をお守りする巫女であるが。」

「そうですね。見れば分かります。」

 周りには似たような長い黒髪の乙女がいて、その中でも一番偉そうに台に座っている巫女がいた。どうもそいつに一喝されたようだった。

「神樹様が勇者の訪れを神託されてはや一か月だ。何をしていたのだ。」

「回り道に回り道を繰り返しまして。」

「その間に襲われたらどうするつもりだったのだ。」

「本当に面目ない。」

 俺が悪いわけじゃないが、俺はとても申し訳なかった。

「それで、まだ襲われてはいないのですね。」

「ああ。だが、そろそろ来るだろう。神樹様はそう預言された。」

「なるほど。」

「神樹に会いたいのだが。」

「それはならん!」

 巫女はマリナの言葉に怒鳴り返す。

「異邦の者を神樹様に近づけるなど言語道断。ぬしらは、さっさと見回りでもせい。」

 全くの正論であった。


「なに、あいつ。すごく感じ悪いんだけどぉ。」

「いや、悪いのは俺らだろうに。」

毛皮を着込みながら俺たちは外に出た。雪がちらちらと降りつもり、社には薄く雪が積もっていた。

「なあ、マリナ。ウメノが神樹を倒そうとする理由ってなんなんだ?」

「さあ……な。」

 マリナは暗い顔をして俯いた。

「勇者ってのはなんなんだ。お前たちの胸にある印は勇者の証なんだろう?なあ、いい加減教えろよ。」

「知らない方が幸せなこともある。」

「それでも、知らない方が不幸だ。いや、不公平じゃないのか?」

 マリナは固く口を閉ざした。

「ウメノはどこの勇者なんだ。どうして俺たちの邪魔をしているんだ。国同士で喧嘩でもしてるのか?」

「分からない。あの幼女にでも聞けばいいだろう。」

 やる気を出しているこちらがバカに思えるような回答だった。

「今は目の前の敵を倒すだけだ。カス。顔なじみだからと言って、失礼、ロリコンだからといってアイツに情けをかけるなよ。」

「いい直さなくてもいいぞ。それと、俺は胸がデカい女にしか興味はないからな。」

「死ね。」

 俺はマリナのハリセンをすれすれで躱す。覇気のないマリナの攻撃などかわすのは簡単ではないのだけど。

「迷ってるのか?」

「何を言う。」

 だが、俺にはマリナが迷っているようにしか思えなかった。何に迷っているのかは分からない。それがどこかもどかしい。

「俺になんか言えない悩みでもあるんだろうが、苦しかったら言えよ。お前は考える脳なんてないんだからさ。俺が代わりに考えてやるよ。」

「ありがとう。」

「なんか言ったか?」

「なんでもない。」

 その後、神樹の周りをぐるりと回ったが、ウメノの姿はなかったので、社に帰ることにした。


「ご苦労だったな。」

 巫女は偉そうに言った。

「うむ。」

 マリナは相変わらず、うむとしか言わない。

「ヒノカグヅチから姫直々に勇者をお連れになった。これで守りは万全だろう。」

 今、何といった?

「おい、お前、それは他の勇者が来たということか。」

「お前などとは失敬な。だが、そうだ。今、神樹様のもとに向かっておられる。」

 背中に気味の悪い汗が流れた。俺はマリナの顔を覗く。ひどくひっ迫した表情だった。

「その勇者ってのはその、幼女だったか?こんくらいのちっさい……」

「ああ。もう一人一緒だったがな。そいつは私と同じくらいの背で……」

「ばっきゃろう!そいつが神樹を倒そうとしている奴らだ!」

「そんなバカな。だって、ヒノカグヅチの姫が……」

「そのヒノカグヅチの姫は失脚したんだよ。どこに行ったのかと思いきや、よりによって最悪の組み合わせだ。というか、あいつらよくつるめたな、じゃなくて、急がねえと神樹が危ない!」

「そうやって神樹様の元に行き、神樹様を貶めようとするのだな。」

「くそ。埒が明かねえ。」

 俺はマリナを見る。マリナは一度こくりと頷いた。

「無理にでも通してもらおう。」

 マリナは大剣を抜く。その大剣は姿を変え、細い聖剣となる。

「な、なにを……」

「この聖剣の切れ味は凄まじいぞ。」

 マリナは聖剣を振り下ろした。巫女すれすれに一本の道ができる。皆が硬直している隙に俺たちは神樹のもとに向かった。


 広大な大樹を見上げる人影があった。小さな体に黒いドレスのような衣服。そんな格好で寒くないはずはないが、少女は少しも寒く感じてはいないようだった。

 広大な大樹は俺たちでは手が届かないほどの威厳を見せていた。この樹がいつからこの地に根付いているのか俺は知らない。

「ウメノ……」

「お早いお着きじゃない?ネズミさん?」

 ウメノはいつものように妖しげな笑みを見せる。だが、その笑顔の端にはどこか寂しさが滲んでいるように感じた。

「どうしてお前は神樹を倒そうとする。なんのために。」

「あら。本当にそこの勇者様はあなたに何も言っていないのね。」

 ウメノは面白くなさそうな顔をした。

「私にその役目を押し付けようと言うの?」

「ウメノ。早く神樹を倒すぞい。こんな樹や巫女を信仰するなど頭がおかしいのじゃ。わらわを信仰せい。」

「ボケ姫!」

「誰がボケじゃ!ボケ!ボケと言う方がボケなのじゃ。」

「あんたが話すと話がこじれるから、少し黙っておいてくれないかしら。」

 ウメノは深い溜息を吐いた。

「私はこの世界にある樹をことごとく消し去るの。これは命令とかそんなちゃちなものではないわ。私がやりたいからやっている。だから、邪魔しないで。」

 ウメノは何かを取り出す。そして、呟いた。

「種に宿りし人々の記憶よ。今、原初の魔女の名のもとに、この世を嘲笑う呪いとなれ。」

 途端、ウメノの腕から触手が生え、それらはウメノの小さな手にある種、神樹の種を飲み込んだ。触手はウメノから離れ、種を貪り食うように踊った。

 ウメノはその種をばら撒く。

 地面に落ちた種から、うねうねとした気持ちの悪い魔物が何体も生まれた。

「ウネウネだけはダメなんだ……」

「言ってる場合かよ。」

 マリナはブルブル震えていた。全く、ここぞという時に頼りにならない勇者様である。

「そう言えば、いい忘れていたけれど、神樹のもとで他の樹から力を得た勇者の能力が制限されるというのは嘘よ。多少コントロールしにくいというのはあるけれど、力が抑えられるのは全く逆。むしろ、力が溢れ出て、制御が効かなくなる。それを無意識に抑えようといつも以下の能力になってしまう。」

 それが今の状況と何の関係があるのか俺には分からなかった。

「アーキマン。まずは勇者をぶち殺しなさい。神樹なんてなんの力もないの。ただ、木に宿っているだけの存在。本質はそこらの樹木と変わりないのだから。」

「マリナ。後は頼んだぞ。」

「お……ぉぅ……」

 とんでもなく頼りない返事だった。

 魔物とアーキマンはマリナに向かって行く。マリナは片手に大剣を、もう一方にハリセンを持ち、魔物たちを待ち構える。

 マリナはアーキマンに一度破れている。そのことが不安であった。でも、今は俺ができることをするほかにない。

 魔物たちがマリナにしか興味がないことが幸いだった。俺は魔物に突っ込んでいき、脇を転がって、壁をすり抜ける。そして、ウメノと神樹の間に割り込んだ。

「あなたみたいな無力なカスが私を止めようと言うの?」

「ああ。俺にできるのはそれしかない。」

 マリナは魔物の触手を引き攣った表情で切り裂く。その一方でマリナを狙うアーキマンの攻撃も防いでいた。

「なあ、ウメノ。教えてくれよ。どうして神樹を倒そうとするんだ。」

「あなたこそ、どうしてこんな樹を守ろうとするの?あなたは強敵の前に逃げ出すようなそんな腑抜けだったはずよ。」

「ああ。俺だっていますぐ逃げ出したいさ。」

 ウメノにされた仕打ちを思い出し、俺は足を震わせる。止まれと命令しても足の震えは止まってくれそうになかった。

「でも、この樹が倒されると、多くの人が死ぬ。」

「あなたは多くの人のことなんて考える人間じゃなかったはずよ。私と同じ、自分の望みのためなら、他人を犠牲にしていいと思っている人間。だから、それは本音じゃない。」

 痛いところを突かれた。俺にも薄々分かってはいた。俺は誰かを守るために神樹を守ろうとしているわけではない。

「俺は俺の平和のために、命のために神樹を守るんだ。」

「じゃあ、そこを退きなさい。退かないと死ぬわよ。」

 でも、俺は退けなかった。それは矛盾している。俺は命惜しさに神樹を守ろうとしているのに、命を呈して神樹を守ろうと躍起になっている。

 いや、違う。俺は神樹を守ろうとなんて少しも思ってはいないのだ。

「俺はお前のためにここを退けない。これ以上お前が苦しまないために、絶対に退けないんだ。」

「退きなさい!」

 ウメノは叫んだ。その目は微かに潤んでいるように見える。

「どうしてお前は神樹を倒そうとするんだ。」

「そうね。なら、教えてあげましょう。勇者から受け継いだ役目をね。」

 ウメノは狂ったような笑顔を作った。だが、俺にはそれが見せかけだけのものだということが分かっていた。

「私たち勇者というのはどうやって作られたか。そんなことも知らないのよね。それはね、簡単なの。樹というのは昔世界を作った神様の片割れ。その役目は人の営みを記憶し見守ること。そんな樹は時折恵みとして実を落とす。それが神樹の実。そこには過去の偉業を成し遂げた英雄たちの記憶が眠っている。ある時、人々はその実を有効活用できないかと考えた。莫大な力を持つ実は兵器になるもの。そして。英雄たちの力を人に再び宿す実験が何度も行われた。何百年もかかってね。そしてたどり着いたのは一つの方法だった。若い少女の心臓に樹の実を植え付ける。そうして、勇者という存在が作られたの。」

「そんな――」

 俺はマリナを見た。マリナは魔物とアーキマンを相手に奮闘している。だが、防戦一方で、隙あらば即座に倒されてしまいそうな危うさがあった。

「そうね。そこのポンコツ勇者様も私と同じように作られた。」

 刃物によって切り開かれた胸。泣き叫びながら父親のことを呼ぶ少女。

 全てがつながった気がした。

「私は全ての始まりであるこの樹を全て倒す。私と同じ悲劇を繰り返さない。二度と勇者なんか作らせない!」

 ウメノは正義のために、自分の信じた世界のために戦っているのだと思った。

「退きなさい。」

「退けない!」

 でも、それは間違っている。

「樹を倒せば多くの人が死ぬ。勇者のために犠牲になった人々よりも多くの人が。」

「あはは。あなた、私が正義のために戦っているとでも?それは違うわ。私はただ、樹が憎いだけ。それだけなの。」

「なら、尚更退けないな。」

 ウメノは迷っているように感じた。自分自身がどうありたいか、どうしたいのか。それをはっきりと決められずに、ただ、憎き神樹を殺せばいいと考えているだけなのだ。

「神樹を倒したところで何にもならない。勇者を作っている奴らを倒さない限りは、何の解決にもならない。お前ら勇者って奴らはどうして――」

 俺を助けてくれた勇者がいた。

 自分の望みのために心をないがしろにしようとした勇者がいる。

 勇者ってのはどいつもこいつも――

「どうして自分を大切にしようとしないんだ。」

 ウメノは汗をかいていた。髪が額に張り付いている。魔物を行使することで体力を消費している証拠だった。

「うるさい!あんたには関係ないでしょ!」

「関係ある!」

 俺は誰かを守るということがどんな意味を持つのか分からなかった。世界を救うなんてことは全くどういうことなのか分からない。でも、俺は誰かを守るということがちょっとだけ分かった気がした。

「俺はお前が傷付くのが嫌なんだ。友達が苦しむのが嫌なんだ。お前は悪い奴じゃない。人を殺す度、自分は悪者なんだと誤魔化して、それで、心をずっと殺し続けていた。俺には分かる!」

「今さら、遅いのよ!私はいっぱい人を殺した。それが嫌だったから、樹さえなくなればいいと思った。でも、そのためにまた多くの人を殺さないといけなかった。今さら、遅いのよ!」

「「遅くなんかない!」」

 俺とマリナは叫んでいた。誰も彼も、望まぬ運命を背負わされている。でも、それから抗うことはできるはずだ。一人では無理でも二人なら、三人なら、多くの人が傍に居れば。

「どけ、カス!」

 マリナの言葉に俺は慌ててウメノを抱えて飛び退く。直後、マリナの聖剣バターナイフが光の刃で魔物を切り裂き、ついでに神樹も真っ二つにしていた。

「え?」

「え?」

「え?」

 俺とウメノ、そして、マリナもそんな素っ頓狂な声を出していた。

「いやあ、力の制御ができなかったみたいで。」

「何やってんのよ、このポンコツ!」

 何故かウメノが怒っていた。俺はウメノを地面に下ろす。

「神樹を倒したら、大変なことになるじゃない。あんたたち、何をしたのか分かってるの?」

「いや、神樹を倒そうとした奴に説教されてもな……」

「まあ、なるようになるさ!うん!」

 マリナは物凄く前向きであった。

 神樹は物凄い音と風を起こして地面に倒れた。俺たちはその場で耐えるので精いっぱいだった。そんな凄まじい風の中、俺は確かに声を聞いた。

「ありがとう。」

 気のせいかもしれないが、俺の頬にとても柔らかで温かいものが触れた気がした。

 風が止む。そこにはもう、ウメノ一行の姿がなかった。

「本当にどうしようか。」

 俺は頭を抱えた。まさか、こんな結末になるとは思いもよらなかった。

「怒られるだけじゃ済まないか。」

 俺とマリナは社の怒りっぽい巫女のことを思い出した。怒られるだけでは済まないだろう。きっと処刑だ。

「処刑は嫌だなぁ。」

「でも、ほら。何とかなるさ。」

 マリナの指さした先には一つの樹の実が落ちていた。七色に輝くそれを、黒い足が踏み潰した。

「なんで……」

 そこには全身を黒い皮の鎧で包み込んだ謎の騎士が立っていた。そいつが神樹の実を潰したのだ。

「カス。伏せろ。」

 マリナは聖剣を包んでいた大剣の一部を騎士に投げつける。騎士の顔を覆っていた黒い鎧に激突する。

 騎士は大きく顔をのけぞらせた後、俺たちを睨んだ。割れた兜からは顔が見えていた。

 赤い目、銀色の髪。

「まさか、トロンなのか。」

 黒い騎士は何も言わず去っていった。トロンの目的は何であるのか、再び疑問は増えてしまった。


 俺たちは色々と後が怖いので逃げることにした。逃げながらマリナは俺に聞いた。

「カス。私たち勇者の正体を知って、その、どうだった。嫌いになったか。」

 勇者らしくない問いだった。やはり、マリナは勇者に向いていない。

「別に。嫌いになるところなんてないだろう。もともと俺はお前が嫌いだ。」

「なんだと?」

 マリナは覇気がなかった。どうも冗談を真に受けているようだった。

「冗談だよ。別に嫌いじゃない。好きでもないけど、人間そんなもんだ。お前が改造人間で、怪人ゴリラ女だとしても、別に嫌いにはならないさ。」

 ハリセンで物凄く叩かれまくった。

 俺の顔が腫れるまで叩きまくると、気が済んだようなので、俺はマリナに聞いた。

「これからどうするんだ?まだ春を探すのか?」

「それが最優先なのだが、その、あまり神圏側には居たくなくてな。」

「俺も同感だな。」

 真の勇者なら。苦しんでいる人々に手を差し伸べるのだろう。でも、俺たちはそんなに大層な存在じゃない。勇者なんてものにされて、でも、その中身は普通の少女なんかよりも脆いのだ。それに、あの巫女が怖い。

「人間臭くて敵わないよな。俺たちは。」

 そんな人間をずっと守ってきた神樹は偉い存在だと思った。

「マリナ。神樹を倒したの、わざとだろ。」

 だが、マリナは何も答えなかった。

 マリナも勇者を恨んでいる。樹を恨んでいる。そのことだけはよく分かっていた。

「さて。お前の国でお前を救った英雄としてもてはやされようかな。」

「お前は一生私の荷物持ちだ。持つ荷物のないことが悔やまれるな。」

 結局俺は勇者の荷物持ちだ。どこまで行っても俺は荷物を持つことしかできない。でも、それでいいのだと俺は思う。なにせ、お似合いだからな。そんな世界の命運とか、命の重さとか、そんなものを背負えるほどの力は俺にはない。なら、ほんのせめて、重い荷物を持っている勇者様の気持ちが軽くなるように面倒な荷物を持ってやるくらいしてもいいだろう?




 勇者の荷物持ち、北都神圏編第一幕終了となります。次回から、空白地帯変ならびに聖圏編となるわけですが、まだ、何も考えることができていないのです。しばらくお休みするやもしれません。

 実は、この勇者の荷物持ちは『ゾンビはレベルが上がった』の没案でした。でも、折角書き出したのだし、と書き始めて、もう九万字近くです。これも応援してくださっている?方々のおかげです。まだ続くのかよ、と思った方、作者も早く終われよと思い続けていますよ。そもそも、異世界もの苦手なのに、異世界もの以外人気でないしなぁ。

 とりあえず、コンセプトとしては、この物語、オズの魔法使いをモデルにしています。世界設定やらはともかくとして、キャラクターはオズの魔法使いがモデルです。

 強いが勇気のないライオン、マリナ。とりあえず悪役として邪魔をしてくる魔女、ウメノ。心がなく頭で考えるしかできないブリキ、トロン。そして、頭がスカスカの案山子役は――新キャラということで。ちなみに、カスは何かというと、少女ドロシーではなく、ドロシーの飼い犬です。色々と問題を起こすトリックスターでもあります。

 ほんと、途中でやめてしまうかもしれませんけど、よろしくね!

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