初夢SS 初日の出
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
というわけで、お年玉代わりにお納め下さい。
吐息が白い。玄関から出ただけで凍てつきそうなほどの冷気を身に纏うはめになり、皓星はジャケットのジッパーを一番上まで引き上げた。脇に予備のヘルメットを挟んだまま、自宅の鍵を掛ける。
足早にエレベーターホールへ向かい、たったひとつだけのボタンを叩いた。上部の数字は一が点灯しており、それが急速に昇り始める。
紅白を見て、大慌てで幻界へログインして「明けましておめでとう」を交わし……睡眠を五時間ほど取っただろうか。
起きなかったら置いていくから、と言っておいたのだが、約束通り、彼女はワンコールで電話に出た。まだ寝ぼけたような声だったので、今頃、大慌てで着替えている気がする。
無人のエレベーターに乗り込む。それはまっすぐ、一階まで降りていった。
携帯電話で今一度ルートを確認する。寒さを思えば車で行きたいところだが、渋滞を避けるためにはバイクのほうが良い。最短距離で目的地までニ十分、というところだろう。行って、見て、すぐに帰る。長居は無用である。
エレベーターホールから駐輪場へと出る間に、コンシェルジュから「明けましておめでとうございます」を受け取り、こちらも同様に返す。飾られた時計の針は、もうすぐ重なろうとしていた。
バイクのエンジン音に気付いたのか、彼女の家の前にバイクを停めると同時に、その姿は飛び出してきた。こっそりと鍵を掛ける後ろ姿に苦笑する。防寒するようにと念押ししていたので、ダウンジャケットにマフラーを巻き、パンツスタイルにブーツと手袋まで完全武装していた。見事にもこもこだ。
「おはよう、皓くん! 明けましておめでとう!」
同じく真っ白な息を吐きながら、暗がりの中、結名は新年のあいさつを口にした。バイクを降りてバイザーを上げ、少し首を傾げる。
「おはよ。昨夜言っただろ」
「あれは幻界だし……」
既に新年のあいさつを交わした気でいたのだが、結名にとって、幻界と現実は違う、という認識だった。なるほど、と頷き、「明けましておめでとう」と返す。バイクの後部座席の下から予備のヘルメットを出し、彼女へ渡した。久々なのだが、かぶり方は覚えていたようだ。器用に身に着け、少しきつくなっていたベルトを調整している。
バイクに跨り、スタンドを外して合図をすると、結名は後ろに手をついて勢いよく乗った。しっかりと身体に巻きつく腕と、背中にあたるヘルメットの感触を確認し、自身のバイザーも下ろす。
アクセルを回す。久々に乗る割に、バイクの機嫌は良さそうだった。持ち主に反応しているのかもしれない。
案の定、海への道は混んでいた。ぎりぎりまで眠っていたいのは皆同じなのか、単純に寝過ごしただけか、そういった車の列をすり抜けて走る。海岸線から目的地の高台まで、信号にも掛からずたどり着いた。地元の誇る歴史上人物の像があるほうの高台は駐車場もあるが、人も多い。皓星がいつも初日の出を拝むために訪れる高台は、そのちょうど裏手にある上に、駐車場もないため、穴場になっていた。
「さっむーい……」
他には人っ子ひとり見えない場所で、結名のテンションの低い声が響いた。小走りで断崖絶壁側の手すりに近づく。その後ろ姿をゆっくりとした足取りで追いながら、周囲を見回す。もうすぐ日の出だ。薄闇が徐々に晴れていく様子で、その時がもう間もなくだとわかる。
深夜には暴走行為を働いていた輩も、この時間までは起きていられないようだ。昨年も見なかったが、ひょっとしたらという気持ちもあった。その事実にひと安心しながら、皓星は方角を確認した。日の出の時刻や方角を合わせるアプリは、去年も使って重宝した。あの時は二人乗りもできなかった上にいろいろあったので一人で来たのだが、今日よりもよっぽど寒かった気がする。
このまま結名の見つめている先で、大丈夫そうだ。そのやや後ろに立ち、未だに薄暗い海を見下ろす。痛いほどの冷たさが、鼻先や頬、耳を打った。寄せては返す波の音に混じって、遠くにざわめきが聞こえる気がする。
結名は身を縮こませ、手袋をはめた両手を握りしめている。マフラーを巻いているものの、何故か耳に髪を掛けていて、丸出しになっていた。
手袋を外すと、冷たい空気に襲われた。温度を奪われる前にと手を伸ばす。
「ひぁっ!?」
「冷たいな。ほら、こうすりゃあったかいだろ」
耳に触れると、やはり冷えていた。身を捩って避けた結名に一歩踏み込んで、もう一度手を伸ばす。指先で髪を下ろし、その上から押さえつけた。その身体から力が抜ける。
「あー、ホントだね」
やはり寒かったのか、結名の吐息が深く吐き出された。その白さの向こうに、望むものを見出す。
「――!」
それは、ささやかな光だった。ゆっくりと昇る太陽の切れ端が、針のように輝いている。
新しい一年の、最初の。
その鮮烈さに目を細め、次いで手の中の存在へと視線を向けた。
大きく目を見開いた、驚きと喜びと眩しさの入り交じった表情。呼吸を忘れていたかのように、結名はやがてそっと息を吐いた。
酒に酔っているはずもないのに、脳の芯がくらりと酩酊したような感覚に襲われる。だから、彼は動けなかった。
手袋をはめたまま、結名は両手を合わせた。そして、初日の出に向かって目を閉じる。
「今年もいい一年でありますように……」
そのことばに、呪縛は解かれた。
結名を押さえたまま、皓星は一年の最初の朝日へと願う。ことばなき祈りが、どこまで届くかはわからない。
それでも。
「きっと、いい一年になるよ」
確信を持って、彼はそう呟いた。
結名は目を開き、皓星を見上げる。まっすぐなまなざしに、皓星の手が離れていく。
その片方の手を取り、自身の耳に戻しながら、結名は破顔して頷いた。
「そうだよね! うん、絶対そうする!」
力強い同意に、皓星もまた微笑んだ。
そして、もう片方の手を上げて、結名の頭へと伸ばす。ぐしゃぐしゃとその髪を乱してやると、「何すんの!?」と彼女はキレた。
ようやく解放された両手に手袋をはめ、皓星はもう一度日の出を見る。太陽は水平線からその輪郭をすべて現していた。
「ほら、もう帰るぞ」
「……はぁい」
頬を膨らませながらも、結名は素直に返事をした。帰り道に足がないのは大変困ると物語る表情が、途端、眠気を帯びる。
「んー……帰ったら寝よ……」
「寝れたらいいよな」
今ごろ、母親たちは揃ってお雑煮の準備でもし始めていることだろう。間違いなく、帰宅時点でいろいろバレる。お説教とまではならないはずだが、そろそろ何か言われる気がする。今さらかもしれない。
「初詣行くの、お昼だよね?」
「そうだけど……」
「一日八時間は寝ないと、わたし調子出ないんだもん」
「はいはい」
そのあたりのことよりも、よほど自分の睡眠時間が気になる従妹の様子に、安心するべきか呆れるべきか、はたまた嘆くべきかと彼は真面目に悩むのだった。