エピソードゼロ
改稿前のプロローグです。改稿によって削除したので、こちらへこっそり移動……。
――今日もグラ行くけど、一緒にどう?
三十分前に送信したメッセージに、既読を示す人影はない。
見られるはずもない。そう知っていたはずなのに、と自嘲した。
彼は今、幻界にいるのだ。
幻界。
フルダイブ型のVRユニットを必要とする、今日正式オープンしたばかりのVRMMO(Massively Multiplayer Online)RPG……大規模多人数型オンラインRPGに、きっとログインしっぱなしなのだろう。
タイミングが合えば、と一縷の望みをかけたが、やはり無理だった。
わたしは小さく溜息をつき、携帯電話をキーボードやマウスの邪魔にならないところへ置く。
ディスプレイに開かれているウィンドウは、MMORPG「プロトポロス・オンライン」のものだ。ユーザー登録数三百万を越えるビッグタイトルのゲームである。但し、開始して三年目がすぎた、旧式の……コマンド入力で戦う世界だった。
「ごめんね、返事ないから無理っぽい」
指先をキーボードの上で走らせる。特にキーボードのキーの位置など、今更考えることもない。呼吸するように、口を開くように、滑らかに文章が打ち出された。
ギルドチャットの表示の中で、即、返事が来た。
「そっか、まあ仕方ないね。
幻界のオープンで、マジひと減っちゃってヤバいわー。
ま、いいのいいの、いる子たちでいこ!
ちょっと待っててー」
瞬きする間に流れていくチャットの文字を追いながら、軽く切り返してくれるギルドマスターに感謝する。今日はフレンドもギルドメンバーもログイン率が悪い。十二人ものPTメンバーを探すだけでも一苦労だろう。
せめて、揃い次第すぐに戦闘開始できるように、準備を済ませておこう。
そう思って、わたしは改めて装備やアイテム類を確認し始めた。
破滅の竜……グラッシェンド。
その名の通り、世界を滅ぼすために存在する強大な魔物を前に、十二人の勇士が集う。
恐怖よりも高揚感に満たされたわたしたちは、現時点で手に入る最高の武器を携えているつわものばかりだ。今日は未だに討伐経験のないギルドメンバーのために、幾度も討伐経験のあるメンバーを中心にPTが組まれていた。
攻撃力もHPも桁外れな強さを誇る竜だ。グラッシェンドの攻撃パターンを理解するために何十回と全滅し、地を這ったことは忘れない。その分、共に傷つき、攻略方法を考え、試してきたギルドメンバーたちと共に戦うことにかけては確かな自信がある。
このメンバーなら大丈夫。
絶対、倒せる、と。
攻撃と攻撃の間をカウントダウンする。
もう幾度めかもわからない。既にHPバーは赤に染まっている。もうすぐ倒せる。誰もが慎重に、ひとつのミスも己に許さない緊張感の中で戦っていた。
竜の歩みが止まる。攻撃態勢に入る予兆だ。ここで盾を構えるか、竜の死角へ逃げるかで二択に分かれる。盾を構えると、ドラゴンブレスを防ぎきるまで動けない。竜の死角へ逃げることができれば、ブレス直後の硬直を狙って攻撃を叩き込めるが、当然、高度な立ち回りが要求される。
わたしは後者を選び、走った。
視界には最強と詠われる竜と、PTMを収めたまま、竜の死角へと急ぐ。右手には業物の長剣を佩き、左手には精密な浮彫が刻まれた巨大な盾を持っているが、まったくその重さを感じない。竜は深く息を吸い込んだ。その眼差しの中に、自身の姿はない。
回復職である司祭が、杖を掲げると同時に、竜はその吐息を解き放った。
視界の端が深紅に包まれる。
仲間のHPを示すバーと数値が、激減していく。だが、ほぼ同時に、司祭の回復魔法により、減じた分の数値が癒された。慣れた作業だ。
ドラゴンブレスを吐き終わった瞬間が、最高の好機である。
――今だ!
そのタイミングを確かに掴む。
キーボードの上を細い指先が走り、画面上のキャラクターは微妙なタイムラグすらも許容して渾身の一撃を放つ。
わたしのゲーム世界でのキャラクター、ユナは右手に力を込め……ブレスを吐き、わずかに身を引いた竜の喉元を目掛け、竜の死角から跳躍する。
「閃光斬!」
光属性の魔力に満ちた刃が、綺麗に吸い込まれていった。
ダメージを示す赤い閃光と、数字が打ち上がる。同時に、画面が止まった。
勝った。
ユナの最後の一撃が決まり、ファンファーレと共に竜は消滅する。それと引き換えに、宝箱が出現した。
システムログに「破滅の竜グラッシェンドを倒しました」が流れると同時に、チャットウィンドウにも複数のメッセージが流れ始めた。
「よっしゃああっ! 勝てたー!!!」
「初討伐おめでとー!」
「おめー」
「ありありー!」
「おつかれさまです」
「おつありー」
「ありがとうございました!」
「おつー」
わたしもまた「初討伐おめでとうございます♪」と入力する。ギルドメンバーのキャラクターは画面上をくるくると踊り、ハートマークを乱舞させた。よほど初討伐がうれしいのだろう。
一通りのやり取りの中、全員がいそいそと宝箱に群がり、中身を取る。しかし、その様子は見えているものの、わたしの画面の宝箱は開いていない。ひとりひとり、宝箱はちゃんと残されているのだ。取り合いにはならない。
ユナもまた、宝箱の中身を開けた。残念、レアじゃなかった。それでもいくつか宝石は入っていたし、戦闘中に使用した回復薬の代金と比較しても赤字にはならない。
一通り喜びや反省点などの会話が流れ、やがてギルドマスターが解散を告げる。解散コマンドは入力されると、PT表示から他のメンバーが消えた。
闇の世界の舞台は、ほぼ円形の暗闇の戦場だった。星すらも見えないが、周囲に青白い炎がいくつもあって、一応見渡すことはできる。倒せて満足したPTMは皆、すぐに自分のマイホームへ転移していく。無人となったその場を一瞥し、ユナもまた転移の羽を使い、マイホームへ移動する。
今日も倒せてよかった。
当然、とも思うが、未だに倒せないひとも多いボスである。ある程度の達成感に満たされながら、ギルドチャットに「そろそろ寝ます。おやすみなさいー」と打ち込んで、ユナは「ゲーム終了」を選んだ。パソコンのゲームウィンドウが、消える。
長時間叩き続けたキーボードから手を離し、そっと背伸びをする。時計を見ると、ちょうど十一時だった。寝なければ。
パソコンを終了し、携帯電話を片手に机からベッドに移動する。
画面をタップすると、SSのままだった。
送信したSNSのメッセージは放置されていて、返事もない。あきらめて枕元に置き、部屋の明かりを消す。
布団に潜り込むと、溜息が出た。
いつも一緒に遊んでいたひとがいなくても、特にユナは困らない。もう十分強いし、他に友人もいる。ステータスが高いから、野良でPTを探してもすぐに声を掛けられる。問題ない。
それでも。
まだ見ぬ世界に旅立っているそのひとを、少し、羨ましく思う気持ちは止められなかった。