序章 旧7話 これから
序章旧7話、シリウス視点です。
ピロリロリンッ♪……ピロリロリンッ♪……ピロリロリンッ♪……
軽快な音楽が、繰り返されている。こんなに連続して聞くのは初めてだ。
森狼王の討伐推奨レベルは二十五。レベル二のユーナにとっては、爪の先が掠っても即死間違いなしのクエストボスだった。正直、無謀すぎるとしか思えない。何考えてるんだ運営。
まさかの促成栽培が成立してしまったが、当の本人は夢の中だった。魔蛾の鱗粉は燃やすと獣系の魔物に強烈な睡眠効果をもたらすのだが、人間にもランダムで睡眠効果が表れることもあるため、使用の際には十分注意しなければならなかった。レベル二のユーナに睡眠耐性などあるはずもない。オレの腕の中で爆睡中だ。
「かわいいからって襲っちゃダメよ」
「……」
「セクハラだよ」
「通報だな」
力と体力が最もある役得で、眠り姫を腕に抱き、巻き散らかされたドロップをみんなが拾っているのを眺めているところである。好き勝手に言われているが、断固として何もしていない。寝顔を見ているだけである。何故かいろいろ懐かしい気がするのだが、おそらく気のせいだと思う。
きっと、名前が似ているからだ。
年下の従妹は、「VRなんて怖くてできない」と叫んで、そっぽを向いていた。これまで大抵のゲームを一緒にこなしてきていたから、今度も一緒にと思ってクローズドベータもオープンベータも正式オープンの今回も誘ったのに、断固として拒否された。そこまで嫌なら仕方がないとあきらめた。はずだった。
マールトで一時的にログアウトした時、とてつもなくにまにました顔の母がリビングで待ち構えていた。
「結名ちゃんのところにねー、VRユニット着てたわよー」
近所の従妹宅とほぼ夕食のメニューがかぶる我が家である。「女の子のほうが心配」とのことで、母は妹の家に入り浸り、お互い料理を作ってはおすそ分けし合い、半分ずつ持って帰る日々を送っているそうで。父が出張の日などは「面倒だから結名ちゃんち来て食べて」とか言われる始末だ。
我が家にあるものと同じ箱が届いた、と聞いた時、思わず「それっていつだった?」と尋ねて。
逆算して、チュートリアルに要する時間を考えて……。
同じVRユニットとは言え、ほかにもいろいろとVRMMOは存在している。
同じゲームを購入して、すぐにログインしているとは限らない。
そもそも、本人にまず確認してからのほうが。
そういったことを冷静に考えられたのは、速攻でログインしなおして、マールトで待ち合わせしていたPTに「ごめん、ちょっと始まりの町行ってくる」と断りを入れて、転送門に飛び込んだあとだった。
初心者が立ち寄りそうな……実際に立ち寄った覚えのある場所は、すべて回ったけれど。
最大登録者数が既に五万を超えているビッグネームである。
当たり前のことながら、現実と特徴を等しくする外見にしなければならないなどという規定もない。一応、「多少精神的な影響を及ぼす恐れがある旨を理解した上で」との記載はあるが、性別すらも変更することが可能な世界である。
見つかるはずもない。
自己嫌悪しながら、次のログアウト時に本人に訊こうと心に決めて、PTに合流したら。
彼女がいたのだ。
普通のMMOと変わらないと思うんだけどな……いろいろ生臭いかもだけど……。
ちらりと見たセルヴァの服の胸元は、森狼王に削られた際引き裂かれた時のままはだけられているが、先ほどまであった出血を伴う大怪我はもうどこにも見えない。地面に落ちた出血痕も、消えている。HPの半分を奪われるほどの怪我だったので、相当に痛みは走っただろうが、本人はけろりとしている。治ったからかもしれないが。
幻界のコンセプトは、「幻の中で生きよう」である。
クローズドベータからオープンベータに、更に正式オープンに至った今、その幻は限りなく現実に近い感覚で存在していた。痛覚こそ和らいでいるが、リアルではメガネかコンタクトがなくては道も歩けない自分が、裸眼で、どこまでも高い空を見上げたり、襲い掛かってくる魔物をとんでもない動体視力で斬り飛ばしたりできるし、リアルでは三十キロの玄米の袋を担ぐのにもひぃひぃ言うことになるのに、この世界では女の子を抱き上げるのなんて軽いものだ。片腕でひとりずつでもいけそうなほどの腕力に、一時間は戦い続けられるだろう体力を考えると、そこは幻なんだなあという気がする。
でも、ここにいる旅行者は幻なんかじゃない。
ありとあらゆる意味でそれをかみしめてしまい、思い出したくもないことを思い出してしまった。やめよう。
「大漁大漁♪ シリウスー、もうこれ入らないから入れさせて」
どっさりと示された牙やら爪やら魔石やらを、道具袋の口を開けて入れてもらう。放り込むだけで整理される仕組みはとても便利だ。
「エネロに着いたら山分けね」
エネロに着いたら。
おそらく、このクエストも達成になるだろう。
森狼王を倒すだけで、クエスト達成表示は出なかった。
未だにクエスト開始条件も達成条件も、クエスト欄には何も書かれていないまま。
何かのバグが入っているのか、ただの不親切設計なのかはわからなかった。
「それから?」
「マールトに戻って、いったん休憩。とりあえずごはん食べないとねー」
ペルソナの問いかけに、当たり前のように「おなかすいたわー」とアシュアは答えた。彼女の星明かりがその動きに付き従い、エネロの方角へと歩き始める。現実世界にアバターが引っ張られることはないはずだが、何故か現実世界でも空腹でいると、幻界の空腹度が加速している気がするという説を思い出した。腹減った。
オレもまたユーナを抱いたまま、立ち上がって先を急ぐ。
別れが近づいていることがわかって、何となく、森狼王の討伐で高揚していた気分が重く沈んでいった。きっとそれは、オレだけじゃないと思う。もともと口数の少ないペルソナはともかく、セルヴァもアシュアもあまり軽口を叩かなかった。
この戦闘でユーナはレベル十二になった。
スキル振りや装備を考えて、まだ終えていない数々の初級クエストを済ませたら、まだレベルは上がるだろう。オレたちが丸一日かけてやりこんでようやく到達したレベルに、彼女はあっという間に到達してしまったのだ。一緒にあれこれ考えて、アドバイスをして……そういうのも楽しいかもしれない。
「攻略組がどこまで行ってるのか、調べておく」
ぽつりと呟いたペルソナのことばに、「僕も」とセルヴァが相槌を打った。
今日で休みが終わる。
そう考えれば、攻略組にへばりついていられるのも今日までで、明日からはこんなふうに、四六時中このメンバーで集まることも難しくなると思われた。
現実世界は訊かないのが、MMO全般での暗黙のルールだ。
だが、勝手に語るのは自由なわけで、ある程度の社会的身分は会話の端々から覗いていて、夜なら行けるかも、という具合だった。
少しでも前に進みたい気持ちがあるのは、誰でも同じだろう。
相反する思考に、溜息が零れるのを抑えられなかった。
「……ぅえっ!?」
「ああ、おはよう」
利用規約違反警告を受ける前にと、目覚めたユーナを地面に下ろす。倍加していた疲労度の加速が通常に戻り、ただ歩いているだけでも回復する状態になった。
「お、おはようございます?」
周囲はまだ薄暗いが、夜明けが近い時間である。眠っていたので挨拶的にも間違いはないが、彼女は首を傾げながら周囲を見回した。
「あ、ユーナちゃん起きたー。おはよっ」
「いいタイミングだったよ。もうすぐエネロ」
元気よくアシュアが手を振り、セルヴァが森の切れ間に立ち、街道を弓で示す。
「すみませんっ。わたし、ほんとに寝てたんですね……」
「魔蛾の鱗粉だからな。人間には稀に効く。攻撃もクリティカルだったが、睡眠もクリティカルだったようだな」
淡々とした声に「稀なのに効いちゃうとか……」と深々ユーナは溜息をついた。落ち込んだところに、怪しい魔術師はとてもいい追い打ちをかけた。
「レベルアップおめでとう」
異論なく、オレたちも祝福を唱和した。
「――ありがとうございますっ……て、なにこれ……」
自分のレベルやら様々なステータスを見たのだろう。
とても複雑そうな声に、これからのことを考えて苦笑してしまう。
「まあ、落ち着いてスキルとかは考えたほうがいい」
「うんうん、ほら、いこ?」
「は、はい。そうします……」
素直に画面を閉じたのか、改めて腰の短剣を確認して、アシュアのとなりを歩き出す。
そこで、星明かりの加護が消えた。
森の切れ間の向こうには街道と、それに続くエネロを守る小さな木の門があった。いつの間にか朝焼けの色に周囲が包まれ、何となく朝日が目に痛かった。
「ユーナちゃんはこれからどうするの?」
「そろそろログアウトしないと……」
「疲れちゃったわよねー。じゃあ、着いたら戦利品山分けして、解散ね」
「ドロップ?」
「ふふっ、ちゃんと拾ってきたのよ。おかげでみぃんな道具袋ぱんぱん!」
見た目は小さなポーチをぽんぽん叩きながら、アシュアが笑った。
「というわけで、お友達になりましょう」
関連がまるでない発言に、四人のまなざしが向けられた。
「何よ。誠意ある行動って褒めてくれないかしら? エネロ入ってクエスト報酬ゲットして速攻PT解散とかろくでもないことするとでも思ったの?」
理由づけにしてはやけに生々しいが、そういうことをする輩がいるのも事実だった。ユーナの顔が引きつっているが、冗談でもない。
「まあ、せっかく一緒に遊んだ仲なんだし、いいじゃない? ね、ダメ?」
「いいえっ、とんでもない! ありがとうございます。よろしくお願いします」
ユーナの指先が、宙を動く。フレンド要請を受諾したのだろう。
便乗しようと、個人を指定、「ユーナにフレンド要請を出しますか?」の確認作業を終える前。
「え、あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「……よろしく」
もっと手の早い連中がいて、負けたと思った。