4-3 いざ契約!?
「ゼクロス、契約だ!
お前と今すぐ契約して、俺はこのドラゴンを八つ裂きにすんぞ!!」
高らかに宣言してから気付いた。
握っていたはずの宝剣がない。
マンキニ騒動や避難のどさくさで、どこかへやってしまったのだろうか。
キョロキョロと慌てて周囲を探す俺の頭の中に、ゼクロスの溜め息が聞こえてきた。
『はぁ……。
貴様と私は、よくよく縁がないな。
すぐに契約を交わしたいところだが、ちと問題発生中だ、武器屋よ。
壊れてこそいないが、私の剣は今、ドラゴンの右足の下にある』
「そんな…………!」
絶望感に苛まれた俺は、ガクンとその場に崩折れた。
いくら頭に血が上っていたって、簡単に分かる。
バッドエンドのフラグが立っている事が。
夕闇に包まれた空が、勢いを増した炎によって、明るく染まっている。
舞い上がる火の粉がやけに綺麗に見えて、鼻の奥がツンと痛んだ。
もう俺には何もない。
代々受け継がれてきた武器屋も、売る商品も、思い出の品々も、個性すらも。
途方に暮れる俺の様子を、元凶である勇者パーティーが、遠巻きに眺めている。
集まってきた顔見知りの野次馬達は、ドラゴンの動向に気を取られ、こちらに一瞥もくれない。
孤独だ。
これだけの人が周りにいながら、俺は孤独だ。
こうなったらもう、やぶれかぶれでドラゴンに突進して、呆気なく消し炭にされてしまおうか。
捨て鉢な考えを浮かべた時、いきなり脳天にゴツン! と、重い一撃が落とされた。
「痛ぇっ!」
「何を黄昏れてんのよ、武器屋っ!
家壊されてショックなのは分かるけど、あの迷惑ドラゴン、どうにか追っ払いなさいよ!
隣りの私の家にまで火ぃ吐かれたら、たまったもんじゃないわ!」
見上げた先には、見慣れた双丘がそびえ立っている。
メリッサだ。
背後にはその両親である、防具屋のおやっさんとおかみさんが、唖然呆然と佇んでいる。
三人の小洒落た身なりからして、どこかに出掛けていたらしい事がうかがえる。
そうだった。
理由はどうであれ、うちから飛び火でもしようものならば、莫大な損害賠償を請求されかねない。
金にがめついメリッサの事だ。
ビタ一文まけずに、ケツの毛までむしり取ろうとしてくるだろう。
メリッサのげんこつで正気を取り戻した俺は、気力を奮い立たせて、しっかりと立ち上がった。
ドラゴンは希少なモンスターゆえに、まだまだ謎が多い。
猛獣やモンスターを使役するビーストテイマーでさえ、御し切れないと聞いた憶えがある。
とても賢く、人語をかなり理解できるらしいとも習った。
もしかしたら、交渉の余地があるかもしれない。
例え決裂して、炎を吐きかけられたとしても、それはそれで仕方がない。
あの世で待つ両親に、やれるだけの事はやったんだと、堂々と胸を張れる。
キーアイテムとなる竜玉は今、俺の手の中。
これを交渉材料にして、ファイヤードラゴンをどうにかしよう。
俺は煙たい空気を胸いっぱいに吸い込み、轟と怒鳴った。
「やい、お前!
ファイヤードラゴン!」
短い前足で、何やら瓦礫を掻き回していたドラゴンが、呼び声に反応して、首をこちらに巡らせた。
全身を漆黒の鱗に覆われている中、周りの炎と同じく、赤い色の瞳だけが爛々と光って見える。
巨体が一足歩み出るだけで、レンガ敷きの地面に地響きが伝わった。
初めて対峙するドラゴンの迫力に、若干ちびってしまいそうだ。
けれど気持ちで負けていては、交渉などできるはずがない。
俺はさらに気力を振り絞り、ドラゴンに歩み寄った。
熱気に耐えられ、かつ多少の威圧感を与えられるであろう距離は、馬車およそ一台分。
立ち止まって、精一杯の虚勢と胸を張れば、いよいよ交渉開始だ。
「あのなぁ、お前が竜玉を盗まれて、怒ってるのは分かる。
けどな、ちゃんと犯人を確認したのか?
してないだろ? ん?
ちなみにそこは、俺の家だ。
そんでもって、犯人は俺じゃねぇ。
そこに妙ちくりんな格好した男がいるだろ?
お前も見覚えがあるはずだ。
そいつこそが、お宝を盗んだ真犯人だ!」
ビシッと指差した先には、とりまき三人娘に縋り付かれてハーレム状態の、マンキニ勇者の姿。
弾かれたように視線を巡らせたドラゴンは、お宝を盗んだ憎き犯人に制裁の炎を吐きかけんと、クワッと口を開いた。
勇者パーティーだけならば、自業自得と放っておけるけれど、この角度から炎を吐かれたら、防具屋一家や野次馬まで巻き込まれてしまう。
止めるべきは必然だ。
「おっと、待て!
お前がわざわざ仕返しするまでもねぇ!
お前が来る前に、俺があいつを懲らしめて、竜玉を取り返してやったんだ。
ほら、探してたのはこれだろ?」
大慌てで握っていた金色の玉を掲げてみせると、地響きと共に巨体が前進した。
そのままの勢いで踏み殺されやしないか、キンキンに肝が冷える。
しかし俺は歯を食いしばって、その場に踏み留まった。
馬の胴体ほどもある大きさの頭が、竜玉を確認せんと、ゆっくりと近付いてくる。
フンフンと匂いを嗅ぐ鼻息すら強力で、足腰に力を込めなければ、吹き飛ばされてしまいそうだ。
グルルルル、という低い唸り声は、威嚇かそれとも歓声か。
後者であれと祈る中、頬まで裂けた赤い口が、俺の目と鼻の先で、ぱっくりと開いた。
規則的に並んだ鋭い歯が、間もなく訪れるであろう終焉を予感させる。
(あぁ……やっぱダメか。
いくら賢くて人語を理解できても、所詮モンスターだもんな。
俺はこのままファイアードラゴンに食われて、チェリーボーイのまま、短い一生を終えるんだな…………)
諦めと共に目を閉じれば、セオリー通りに走馬灯が駆け巡る。
台所に立つ母の笑顔。
店先で刀剣を研ぐ親父の背中。
メリッサの頬に落ちていたまつ毛。
ゼクロスの銀色の長い髪。
さらには、背中に押し付けられた、女魔族・フェリスの柔らかな乳。
風の羽衣をまとって笑う勇者。
そのとりまき共の、いやらしいにやけ面。
思えば俺の人生、武器屋を継ぐためだけに進路を決め、今もその経営が中心に回っていて、ろくに友だちもいない。
お陰で内容の薄い走馬灯だった。
しかも後半は、しょうもない映像ばかり流れてきたような気がする。
こんなに早く生涯を終えると分かっていたら、もっと有意義に青春を謳歌すべきだった。
品行方正で真面目過ぎるエリート武器屋人生に、並々ならぬ後悔がよぎる。
しかしもう、今際の時は近い。
いくら悔やんでも全てが遅すぎる。
間もなくもたらされるであろう激痛を覚悟しつつ、俺はその瞬間を待った。
けれど意外にも、生温かくてベトベトした何かが、竜玉を掲げたままの腕を這っていっただけで、待てど暮らせど何も起こらない。
そろりと目を開けば、すぐそこにドラゴンの舌。
口が半開き程度なので、どうやら炎を吐く気も、俺を食べる気もなさそうだ。
「お前……俺を食わないのか?」
恐る恐る尋ねてみると、ブフーッ! と鼻息を吹きかけられた。
鼻で笑われたような気がしないでもない。
とにかく、俺が敵ではないと認識してもらえた事こそが重要だ。
ここまででやっと、交渉のスタートラインに立てたくらい。
ここから先は慎重かつ大胆に、嘘をも駆使して、自らの要求に相手を近付けていかなければならない。
交渉術は、武器屋を営む親父の背中を見て、自然と学んだスキルだ。
俺は余裕を演出するために、竜玉を見せびらかしながら、ゆっくりと歩き回ってみせた。
「この竜玉は、本来の持ち主であるお前に返すべきだよな。
けどな、お前は勘違いして、俺の家を壊した。
これは人間だろうとモンスターだろうと関係なく、悪い事だ。
悪い事をしたら、それなりの償いも必要。
分かるよな?」
努めて穏やかな口調で語り掛けると、ドラゴンは口を閉じてグルルと唸った。
「はい」と言っているものだと勝手に解釈して、俺は一か八かで、交渉の核心を突き付ける。
「だからこうしよう。
償いとして、お前が俺の家の価値と同等の働きをしたら、この竜玉を返してやる」
案の定、怒ったドラゴンの口が、クワッと大きく裂けた。
もちろん、その反応への対応も考えてある。
「おっと、俺を殺して竜玉を取り返そうったって、そうはいかねぇぞ。
何しろ俺は、魔法が使える。
ほら、見てろ」
俺はポケットからハンカチを取り出し、竜玉に被せてみせた。
呪文っぽい言葉をブツブツ呟き、パチンと指を鳴らしてからそれを外すと、あらビックリ。
竜玉が跡形もなく消えている。
一連のやり取りを見守っていた野次馬からも、おお! と驚きの歓声と拍手が上がった。
どうやら誰一人、俺の「魔法」の正体に気付いていないようだ。
一介の武器屋である俺に、そんな技を使える魔力など、あるはずがない。
たった今やってのけたのは、実は何て事ない、種も仕掛けもある、ただの手品だ。
しかし人生、どんな事が役立つか分からないものだ。
店番の暇つぶしに何となく練習した手品を、こんな風に使う機会が訪れるなんて、思ってもみなかった。
ネタバレしないうちに、消えたはずの竜玉とハンカチを懐にしまいながら、俺はしたり顔でドラゴンに説く。
「俺を殺したら、異空間にしまった竜玉は、二度と戻らないぞ。
あれだけの大きさにするのに、だいぶかかったろ?
また一から集めて作り直すのは、骨だろうな。
どうするのがお互いの利益になるか、考えてみろよ。
賢いお前なら、簡単に分かるよな?」
俺はドラゴンに最終判断を任せてから、腕組みしてじっと黙り込む。
実はこれも交渉術の一つだ。
選択の余地を与えているように見せかけて、その実、相手が導き出せる答えは、一つしかない。
そして誘導されたとは知らずに、自らが下した判断に納得し、責任を果たそうとするのが、人の心理。
ドラゴンにも通用するかどうかは、賭けに近い。
恐怖と不安で荒れ狂う内心をひた隠しにして、俺は根気よくドラゴンの反応を待った。
運動直後のように早い鼓動が、優に千回は胸を打ち付けた頃だろうか。
長い時間を掛けて迷った挙句、俺が用意した答えに辿り着いたドラゴンは、ついに────頭を垂れた。
それは誰の目にも明らかな、屈伏の証。
交渉は俺の完全勝利だ。
勝負を見届けた野次馬達から、大喝采が巻き起こり、一帯の空気が変わる。
浴びせられる賞賛の声に、自分の意思とは関係なく、ぶるぶると背骨が震えた。
上から下に落ちる寒気とは逆に、下から上に駆け上がる熱気。
人に誉められ感謝される事によって得られる快感を、俺はこの時、初めて知った。
モンスター行動生態学の学校を飛び級で卒業した時ですら、教師に褒められこそすれど、こんなに大勢に賞賛されたりはしなかった。
ましてや「街を救ってくれてありがとう」なんていう感謝の言葉をもらったのだって、初めてだ。
もしかしたら冒険者達は、この快感を得るために、危険なクエストに向かうのかもしれない。
店に来る客達の気持ちが少しだけ理解できた俺は、その冒険の一助たり得る武器屋という職業を、心の底から誇らしく思えた。
「やったな、武器屋!」
「すごいすごぉいっ!
ファイヤードラゴンを手懐けちゃったぁ!」
「やる時はやるんだな、チェリーボーイでも」
「変態だけど、見直しました~」
「ちょっと、武器屋、なかなかやるじゃない!」
感動冷めやらぬ俺を、勇者を初め、リリー・ライラ・ロザリエの、とりまき三人娘、さらにメリッサまでもが、追い打ちをかけるかのごとく、もみくちゃにしてくる。
頭をくしゃくしゃと撫で、背中を叩き、小突く、ちょっと乱暴な祝福。
学生時代に見た憶えがある、仲間同士の戯れだ。
こんな青春っぽいやり取りすら初めてで、嬉しくて嬉しくて、思わず涙が出そうになる。
しかし、その感動も束の間、
「本当にすごいぜ、武器屋!
いや、ドラゴンマスター!
これでオレ達のパーティーも機動力が上がって、より遠くまで冒険に出られるな!」
勇者の言葉が、俺の高揚を撃墜した。
「……ちょっと待て、勇者。
俺がいつお前らのパーティーに加わるなんて言った?」
「いや、加わらなくていいぜ?
オレ達が君のパーティーに加わるから。
オレ達はリーダーの君に従うし、力も貸す。ついでにオレ達の目的達成に協力してくれればいい。
ギブアンドテイクだぜ!」
ビシッと立てられた親指に怒りが込み上げてきたのは、これで二度目。
今度は鳩尾を突き上げるのではなく、マンキニの肩紐をぎゅうっと引き上げてやった。
「はうぁぁぁぁぁっ!
食い込む食い込むっ!」
「やいコラ、勇者!
勝手にパーティーを結成すんな!
いいか、あくまで俺は武器屋だ。
これから俺は、壊された家の再建費用と、売り物の武器を集めなくちゃならねぇ。
だからお前らのリーダーになって、魔王討伐なんかに付き合う暇はねぇ!」
「つまり冒険に出るんだな?
だったら旅は道づれ世は情けで、オレ達も一緒に」
「道づれも情けもいらねぇ!
どうせお前らの狙いは、ゼクロスの剣の力と、ファイヤードラゴンの機動力だろ?」
「違う! それは誤解だぜ、武器屋!」
急に勇者の顔から笑みが消え、深い海を思わせる青い瞳がきらめいた。
反論を重ねるより先に腕を引かれ、俺の体はあれよあれよという間に、筋肉質な男の腕の中に取り込まれる。