4-2 いざ、契約!?
こうなったらもう、ゼクロスと契約する以外に逃げ道がない。
この店と平穏な生活を守るためにと、今まで頑なに拒んできたけれど、ついに年貢の納め時だ。
違う誰かに取られるくらいならと、独占欲がチラリと見切れたのも確かだし、これでいいのかもしれない。
ついに覚悟を決めた俺は、切っ先で親指を傷付け、血判を交わす準備をする。
俺の心の声が聞こえるゼクロスも、絶妙なタイミングで手順の説明を始めた。
『まずはお互い、宣言からだ。契約の意志を言霊に乗せるのだ。
その後、そちらとこちらの親指同士で血判を捺し合えば、契約成立だ。
さぁ……始めよう、武器屋』
俺が頷けば、剣の向こうのゼクロスも、しっかりと頷き返す。
いよいよ契約の儀式の始まりだ。
指示通りに宣言をしようと、息を吸い込んだ直後、
「すまなかった、皆!」
おもむろに開かれたドアの音と、やたらと大きな声が、ほぼ固まっていた決意を瓦解させた。
「オレが弱いばかりに、ファイヤードラゴンのクエストをリタイアさせちまって……。
でももう、心配無用だぜ!
なんたってオレは、最速の鎧をまとっているんだからな!」
店舗出入り口に立ち、大声で謝罪と口上を述べたのは、例の勇者。
ははははは! と爽やかに笑うその姿を、一言で形容すると、「変態」だ。
なぜならば、勇者の言う最速の鎧とやらは、どこからどう見ても普通ではない。
その形状を筆舌するのは、非常に難しい。
ざっくり言うと、水泳パンツの腰部分を無理矢理引き上げ、肩に掛けている感じ。
遠目からだと、身体に黒いV字が描かれているように見えなくもない。
「なぁ勇者、その……鎧?
本当に防具なのか?」
恐る恐る尋ねると、勇者はくるりと一回転してみせる。
もちろん尻は丸出しだ。
「驚いたろう、武器屋!
たまたま出会った伝説の防具行商人から買った、この『風の羽衣』は、無駄な装飾を一切排したデザインで、文字通り風のように軽いんだぜ!」
「いや……丁寧な説明で、しかも良い買い物した! 的なホクホク顔のとこ、悪りぃんだけど、どう見てもそれ、防御力低いだろ?
風の羽衣っつーか、ただのマンキ」
「二」まで、たった四文字の短い単語を紡ぎ切れなかった。
魔杖がみぞおちに、大剣の柄頭が左脇腹、聖杖が反対の脇腹に食い込んだせいで。
むせ返る俺の耳元に、鬼の形相の女三人が、代わる代わる囁きを落としいていく。
「余計な事言っちゃダメぇ!」
「邪魔したら去勢するぞ、この腐れチェリー!」
「私達の旅の娯楽を奪わないでください~!」
どうやらこいつらは、勇者が行商人に騙されている事を知りながら、己の目の保養のために、口を閉ざしているようだ。
(酷い……酷過ぎて、どこからツッコめばいいのか、全然分かんねぇ!)
こちら側のやり取りなど露知らず、腰に手を当て、得意満面の勇者。
彫像のようなその身にまとう、風の羽衣の正体は────黒いマンキニ。
つまり、男性用ビキニだ。
「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」
「何だ、武器屋?
オレの知ってる事なら、何だって答えてやるぜ!」
「あのさ、もしかしてお前、その装備でファイヤードラゴンに挑んだのか?」
「もちろんだぜ!
何しろ風の羽衣は、その軽さゆえ、通常の鎧を着てる時の倍の速さで動けるそうだからな!
けど、敵もなかなか手強くてな。
さすがにドラゴンをスピードだけでいなす事は、できなかったぜ」
────まずどこから捌いていこう。
鎧を着ている時よりも速く動けるのは、至極当然の事だ。
金属製の防具を兜までフルで装備すると、初等教育課程の子供を背負って動くのと同じくらい、機動力が下がる。
革製の物でも、その半分程度。
それに比べ、マンキニ……もとい、風の羽衣は、グリフォンの羽根一枚分の重さもないだろう。
いくら素早く動けるからといって、マグマほど高温の炎を吐くモンスター、ファイヤードラゴンに、露出度の高いそれで挑むのは、無謀の極み。
いや、無謀を通り越して、もはや自殺行為の域だ。
唯一、褒められるとしたら、五体満足で生還できた事だけ。
さすがにこの界隈で名を知られているだけある。
勇者のアホ由来の頑丈さは、人並み以上だ。
脳内でツッコミを入れ終えた俺は、どうしたものかと唸りながら、目頭を揉んだ。
絶体絶命のピンチを救ってくれたお礼代わりに、一応アドバイスをしておいてやった方が、いろいろと好都合な気がする。
もしかしなくても、女達の恨みを買うだろうけれど。
「あのな、勇者。
風の羽衣よりも、鱗の鎧の方が、ファイヤードラゴンとの戦闘に向いてると思うぞ。
隣りの防具屋で、種類とか値段とか、相談してみるといい。
今日はニコニコスタンプ二倍デーだし、買い時で間違いない」
三人の鋭い視線が、頬にビシビシ突き刺さるのを感じるけれど、関係ない。
どうせこの先、こいつらと関わる機会なんて、二度とないだろうから。
俺のアドバイスに感心したように何度か頷いてから、勇者はふと、マンキニの股間部分をまさぐり始めた。
「なっ、何やってんだよ!
いじるな、こんな時にこんな所でそんな部位っ!」
「いやいや、いじってる訳じゃないぜ。
この風の羽衣の難点は、収納が一箇所しかない事だけだな……っと、あったあった!
ほら、武器屋!
耳寄りな情報のお礼に、これをやるよ!」
そう言って、股間から取り出されたのは────手乗りサイズの、金色に輝く、球体。
「おまっ! それ、金タ……」
「玉は玉でも、オレのじゃなくて、ドラゴンの玉だぜ!
クエストに失敗しても、オレはタダじゃ起きない!
逃げる時、ファイヤードラゴンの巣から、ちゃっかり奪ってきたんだぜ!
何だか良く分からないけど、綺麗だろう?」
人肌に温まった金の玉を手渡しながら、ははははは! と爽やかに笑う、マンキニ勇者。
やはりこいつの頭は、沸いているに違いない。
俺が握られされたのは、「竜玉」と呼ばれる代物。
モンスター共は、なぜか光り物を好む性質を持っているが、中でもドラゴンは特殊だ。
純金を好み、冒険者の落としていった武器防具などから、器用に金だけを剥がす姿が確認されている。
コツコツと少しずつ集めては、ガムのように噛んでひとまとめにして、大事に巣にしまっておく。
竜玉はいわば、ドラゴンの宝物だ。
大事なコレクションを奪われたら、人間でなくたって怒る。
怒り狂ったモンスターは、何をしでかすか分からない。
ましてや相手は、ファイヤードラゴン。
街の一つや二つ、瞬く間に消炭に変えてしまうほどの力を持つ、強大なモンスターとして有名だ。
それを怒らせるなんて、愚の骨頂としか言いようがない。
「勇者、俺にこれをくれようって、よく分からねぇサービス精神は嬉しいんだけどな」
「ははははは! サービスじゃない、賄賂だぜ!
君はもう、ゼクロスと契約をしたか?
していないのなら、今すぐ契約して、オレと共に魔王征伐の旅に出ようぜ!
それをやるから!」
「契約はしねぇし、竜玉もいらねぇ。
とにかく、話を聞け。
悪い事は言わねぇから、元の場所に返してこいよ、これ。
じゃないと大変な事になるぞ」
「竜玉? 竜玉っていうのか、それは。
武器屋は博識だな。
その知識は独学なのか?」
「いや、俺、武器屋経営の知識の足しに、モンスター行動生態学専門の学校、卒業したから」
「そいつは心強い!
ますます気に入ったぜ!
こうなったら是が非でも我がパーティーに迎え入れたくなったぜ!」
アドバイスをさらりと聞き流して、のん気にテンションを上げていく勇者に、苛立ちを禁じ得ない。
もう一度強めに進言しようかという時、俺はやっと異変に気付いた。
パチパチと何かが弾けるような音と、空気に混じるキナ臭さ。
「火事だぁぁぁ~ッ!」
通りの方から声が上がる頃には、俺も同じ事を確信していた。
しかし全員で慌てて外へ避難してみて知ったのは、驚愕の事実だった。
「な……!
燃えてんの……うちじゃねぇか!」
店舗の二階住居部分から、ごうごうと上がる、火の手と煙。
オレンジ色の炎が、屋根から染み落ちるように外壁を伝い、木造の建物を真っ黒な炭へと変えていっている。
なぜ火災が発生したのだろう。
その答えは、はるか上空を旋回する黒い影と、俺が握らされたままの竜玉が教えてくれた。
「お前のせいで、ドラゴンが勘違いしたじゃねぇか!
お宝を奪った敵のアジトだと思って、うちに火ぃ吐かれたぞ!」
怒りに任せて胸倉を掴んでやろうとしても、いかんせん掴めるほど布がない。
代わりにマンキニの吊り部分を、これでもかと引き上げてやると、勇者は情けない悲鳴を上げた。
「ひぃぃあぁぁぁっ!
やめてくれ、武器屋!
食い込む食い込むっ!」
「お前さえこんなふざけた格好でクエストに出なけりゃ、こんな事にならなかったんだよ!
食い込むくらい、何だ!
俺はたった今、目の前で、我が家を燃やされてるんだぞ!」
「武器屋さん、今は言い争ってる場合じゃないです~」
僧侶・ロザリエの間延びした声によって、俺は今、自分がすべき事を思い出した。
通りの少し先にある広場の噴水から、近くにいる人達と協力して水を汲み、バケツリレーで消火活動をする────事ではない。
騒動に気付いていないのか、まだ外に出てきていない隣家のメリッサとその両親を、舞い落ちる火の粉をかいくぐりながら、助けに向かう────事でもない。
そう、財産の搬出だ。
俺は咆哮を上げながら、店内に駆け戻ろうとした。
ところが一歩踏み出しただけで、
「ダメだ、武器屋!」
勇者の馬鹿力でもって羽交い締めにされて、阻まれてしまった。
「やめろ、止めるな!
まだ一階は燃えてねぇから、金やら武器やら搬出する時間はあるだろうが!」
「猶予はない!
ほら、見てみろ!」
示されたのは、上空。
悠然と旋回していた黒い影が、急に小さく凝った。
翼をたたんで、垂直降下の姿勢を取ったためだ。
我が家めがけ、閃光のごとき速さで落ちてきたドラゴンは、燃え盛る炎を気にも留めずに、太い後ろ足で建物を一撃した。
ガシャン、メキメキ、バキッ。
この世の終わりのような破壊音が、一帯の空気を激しく揺らす。
直後に建物は完全倒壊した。
さらにドラゴンは、ダメ押しとばかりに、瓦礫に炎を吐き掛ける。
「あぁ……!
うちが…………俺の武器屋が!!」
馬車二台分ほどもある、大きな黒い背中を見つめていると、言い表わせないほどの怒りが込み上げてきた。
開けるたびに軋む戸棚。
幼い頃に亡くなった母に怒られた、壁の落書き。
筋骨隆々な親父が毎日懸垂をしていたせいで、みっともなく歪んだ梁。
毎日磨いた、店の古びた板床。
ボロくて狭い我が家だったけれど、たくさんの思い出が詰まっている。
それがたった一瞬で、全て消し去られてしまった。
このファイヤードラゴンによって。
「……ぜってぇ許さねぇ!」
怒りを乗せて左の親指を噛むと、さっき塞がったばかりの傷が再び開いて、簡単に血がにじんだ。