3-2 魔族のポテンシャル
我に返った時には、もう遅い。
今度は俺の首筋に、刃物のごとく鋭い爪を突きつけられる番だった。
瞬く間に形勢逆転を果たした女魔族が、背後からやんわりと俺を抱きしめながら、耳元に甘い吐息を吹きかけてくる。
「一つ勉強になったろう? 少年よ。
魔族の本当の強さは、見た目では測れないものなのだ。
腕力こそないものの、妾はスライムよりも再生能力に特化している。一筋縄では殺せんぞ」
全くもって、おっしゃる通りだ。
あまり魔族と馴染みのない俺は、角の大きさで魔力を測れるという俗説を信じ込み、すっかり油断していた。
魔族は特殊な魔法や魔術のみならず、体質なども特異で、一見しただけでポテンシャルまでは分からない。
それを加味した上で対峙すべきだったのだと、身をもって学ばされた。
果たしてこの教訓を生かせる次の機会が訪れるのだろうか。
それとも乳の柔らかさを背中に感じたまま、なおかつ半勃ちチェリーボーイのままで幕を下ろされるのか。
(それは……清いカラダのまま殺されるのだけは、勘弁してくれ!)
苦悩する俺を拘束したまま、女魔族はのんびりと剣に語り掛けた。
「久しいな、ゼクロス。
今回の契約者は、なかなか弱いではないか。
これなら貴様の後押しがあったとしても、契約者もろとも、貴様を簡単に葬り去れるのではないか?」
『残念だがな、フェリス。
まだ彼は私の契約者ではない』
「ふん、そうか。だったらなおの事だ。
そのナマクラをへし折れば、貴様の魂は塵芥すらも残らず、この世から消え去るのだからな」
耳にした内容から、少しだけ裏事情が垣間見えた。
フェリスと呼ばれた女魔族の本当の狙いは、どうやら俺ではなく、ゼクロスだったらしい。
しかし二人の間に何があったのか、どんな事情を抱えているのかまでは、おおよその見当すらつかない。
険悪な空気をはらんだ沈黙が流れた後、なぜか突然、俺の体が解放された。
慌てて飛び退いて距離を取ると、フェリスは大輪の花が咲き誇るような笑みを浮かべる。
「妾の勘違いから、大変失礼したな、若き武器屋の主人よ。ここは一つ、平和的に解決しようではないか。
そのゼクロスが封じられている宝剣を、妾が貴様の言い値で買い取ろう。
さすれば万事解決だ」
新たに掲げられた案は、願ってもない大きなチャンス。
ゼクロスを殺したいほど憎んでいるのだから、多少ふっかけてやっても、この女は喜んで飲むだろう。
なおかつ、厄介者のゼクロスを引き取ってくれるなんて、願ったり叶ったりだ。
モテモテへの道は、金の輝きによって明るく照らされる。
金さえあれば、愛はいくらでも買える。
この世の中に金持ちを嫌う女など、存在するはずがないのだから。
しかし、騙されたばかりの俺の頭の中で、高らかに警鐘が鳴り響く。
この手の腕力のない食人魔族は、幻術なども使ってきそうだ。
まんまと術中にはまり、偽金を掴まされた! と泣く羽目になるかもしれない。
注意深くフェリスを観察しながら、俺は恐る恐る、かつ大胆に、平均生涯年収を越える希望金額を提示してみた。
すると、あっさりと頷き返され、直後に何やらブツブツと呪文が聞こえ始める。
メリッサに魅了の術をかけた時のゼクロス同様、フェリスは赤く光る指で軌跡を描きながら、宙空に窓らしきものを生み出した。
白魚のような手がそれを押し開き、何やら中をごそごそとまさぐる。
ややあってから、ずるりと引き出されたのは、パンパンに膨らんだ皮袋。
目にするのは初めてだけれど、これは間違いなく、空間操作の高等魔法だ。
亜空間を倉庫代わりに使ったり、人や物をはるか遠くに転送できる、もの凄く便利な術として知られている。
もし俺がそれを使えるようになったとしたら、ひと儲けもふた儲けもできる自信がある。
貸し倉庫に貸し金庫、宅配便や旅行会社なんかもいいかもしれない。
だがしかし、そんな妄想なんてもう、どうだっていい。
目の前にどんどん積まれていく、金銀財宝がぎっちり詰まっているであろう皮袋。
これさえあれば、働かずとも人並み以上の生活を、一生送れるのだから。
「中をあらためるといい、武器屋よ」
得意げな微笑を浮かべたフェリスが、目をギラギラさせている俺へと、皮袋を一つ投げてよこした。
遠慮なく口紐をとき、いざお宝とご対面した瞬間、興奮が一気に最高潮まで達する。
銀貨なんて一枚もない。
金、金、金。
袋の中は金貨で埋めつくされている。
銀貨一枚が千ペス、その十倍の価値を持つ金貨が、優に五百枚は入っている。
さらに同じ袋が、店の床が抜けそうなほど、次から次へと出てくる出てくる。
────いや、さすがにここまでだと、逆に怪しい。
俺は試しに袋から金貨を一枚取り出し、様々な角度から眺め回してみた。
どれだけ注意深く観察しても、毎日見て触っているものと、寸分違わぬ見た目だ。
「ちょ、ゼクロス、悪りぃ」
一応謝ってから、床に置いた金貨を、宝剣の柄頭でガンガン叩いてみる。
『ぬおぉぉぉ! うるさいっ!』
「すぐ終わる、我慢しとけ」
金メッキの偽金貨だったとしたら、表面が剥がれて地金が覗くはずだけれど、そんな様子もない。
幻術でもない事を確かめるために、お次は自分の頬を叩いてつねってみる。
古典的な対処法でも、実はこの痛みを与えるという方法こそが、最も手軽で手っ取り早かったりする。
他の皮袋から無作為に取り出した金貨数枚も、同じように調べてみた結果、全てクリアー。
金貨は間違いなく本物だ。
これでやっと、ぼんやりとしていた悠々自適な生活像に、はっきりと色が付いた。
「さぁ、武器屋よ。
宝剣を渡してもらおうか」
しなやかな手がこちらに差し出され、売買契約の成立を促してくる。
俺は納得して宝剣を渡そうとしたのに、
『頼む、後生だ、武器屋よ!
助けてくれたら、私の持てるとびきりの財産を差し出そう!
ここにある金貨なんて鼻くそだと思えるほどの財産を!』
ゼクロスの必死の命乞いが、それを制した。
これはしめた。
このままオークション形式でどんどん好条件を出させていけば、とんでもない大金持ちになれるかもしれない。
頭の中で盛大に涎を撒き散らしつつ、俺は気のないそぶりで、ゼクロスを見下す。
「ふぅん? とびきりの財産か。
でもあいにく俺は、いつもニコニコ現金主義だからな。
目の前にこれだけ金貨積まれたらなぁ。どうしよっかなぁ」
『目を覚ませ、武器屋よ! そして今すぐ私と契約するのだ!
剣を渡すが最後、返す刀でズバッとやられて、枯れ果てるまで血をすすられるぞ!』
「妾がそんな卑怯な真似をするはずがなかろう?」
『するだろう、フェリス!
吸血族は人を騙して血を奪うのが生業なのだからな!』
「そんな妾すら騙したのは、貴様だろう、ゼクロスよ」
何やら会話の流れが、痴話喧嘩的な方向に向かっているような気配。
騙すだ騙されただの話の中に、男女のゴシップめいた香ばしさを嗅ぎ取り、俺は色めいた。
娯楽の少ないこの街で、他人のゴシップネタは、垂涎の的だ。
「へぇ~、かわいそうにな。
騙されたんだ、あんた?」
建前の同情を含んだ問い掛けに、フェリスは綺麗な顔を曇らせる。
「そうだ。元々ゼクロスは、妾とつがうはずだったのだ。
それなのにこの男は、女を取っ替え引っ替え、浮気ばかり」
『それは周りが勝手に決めた事だろう!
私は認めてなどいない!』
「しらばっくれるでない!
妾の純潔を奪う時に、しかと娶る約束を交わしたではないか!」
口論の末に、女が憐れっぽく泣き出すのは、大衆演劇にありがちな展開だ。
だがしかし実話というだけで、面白みが何倍にも増す。
さらに深い事情を聞こうと、俺はフェリスに同調してみせた。
「そりゃひどいな、男として最低だ。それで?」
「聞いてくれるか、武器屋よ。
妾の再生能力も難儀なものでな。
姦通を果たしても、放っておくとそこすらも再生してしまう。
夜伽のたびの苦痛を和らげて、快感を得るためには、常に張型を挿しておかねばならぬのだ」
「ハリガタ?」
「そんな物も知らぬのか、貴様は。さすがはピュアボーイだな。
つまり、夫となる男のそれを型取って……と、実際に見せた方が話が早かろうな。待っておれ」
言葉を切ったフェリスは、こちらに背を向けてしゃがみ、ミニワンピースの裾から手を差し入れた。
「……ンっ!」
鼻にかかる甘い声の後、ずるりと産み落とされたのは水晶か何かの宝石でできた、それはそれはご立派な────男のシンボル。
キラキラぬらぬらと光り輝くそれこそが、張型なる物。
要するに、ゼクロスのアレの実物大模型だ。
なぜ今の今まで、浮気症の婚約者の張型を抜かずにいたのか、想像に容易い。
呪いをかけて剣に封印してからも、フェリスはゼクロスの事を憎みつつ、一途に想い続けていたのだろう。
ゼクロスのためのいじらしさが、何とも羨ましい妬ましい。
しかしチェリーボーイをこじらせている俺の想像は、どうやらまだまだ甘っちょろかったようだ。
「妾はここまでして、身を捧げたのだ。
だのに……だのにっ!」
ギリギリと歯噛みしたフェリスが、いきなり張型をスパーン! と床に投げつけた。
宝石は無残に砕け散り、さらにとどめとばかりに、ジャリジャリと踏みにじられる。
「ひぃぃぃ! なんかイタイなんかイタイ!」
本物ではないけれど、まして自分のモノでもないけれど、俺とて男。
同じお宝をぶら下げている身。
まるで自分の股間を踏みつけられているような錯覚に陥り、反射的に前屈みになってしまうのは、全男子共通の反応だ。
同じく剣の中で股間を押さえるゼクロスは、怒りもあらわに、フェリスに食ってかかった。
『何と酷い事をするのだ!
模造品とはいえ、私はちょっぴり切ないぞ!』
「貴様の張型など、もう必要ない。
妾の愛は、もはや憎しみに転化した。だからこそ、過去と決別しようと、貴様を葬りに来たのだ。
妾の純潔を散らし、弄んだ罰、しかと受けよ!」
『何度目の純潔だ! 前の夫との間に子供までいるくせに!
それはもはや純潔詐欺だぞ!』
訳ありの男女がギャンギャン舌戦を繰り広げる中、俺は「砕けた水晶でも買い取ってもらえるのかな」なんて、のん気に考えていた。
ところが、
「武器屋! 早く剣を妾に!」
『武器屋! 早く私と契約を!』
目を三角に吊り上げた二人に、決定権らしきものを押し付けられてしまった。
フェリスとゼクロス、それぞれの言い分も分からないでもない。
要するに、男女独特の恋愛観の温度差だ。
二人の痴情のもつれともかく、俺がどう判断を下すかが、大きな問題。
ズバッとやられるかもしれない可能性をはらんだまま、剣を渡して金を受け取るか。
はたまたゼクロスと契約して、この女魔族を殺るか犯るか。
二者択一だ。
考えに考えて、それでも優柔不断に決めあぐねる俺に、痺れを切らしたのだろう。
フェリスが苛立たしげに、深く長く息を吐き出した。
「……なるほど。どちらも選べないのならば、仕方がない。
妾が引導を渡してくれようぞ」
さっきの溜め息だろうか。
花を思わせる芳しい香りが漂ってきた途端、俺はふいに目眩を覚えた。
時を同じくして、ゼクロスの怒声が上がる。
『危ない、武器屋! 息を止めろ!
フェリスが吐く花の香りの溜め息には、痺れ薬が仕込まれている!』
どうしてこいつは毎度毎度、ギリギリでアドバイスをよこすのだろう。
しかも今回は、ギリギリセーフではない。
吸い込んでしまった後だから、ギリギリアウトだ。
巡る血液が鉛のように重く感じられ、徐々に体が命令を受け付けなくなってくる。
唯一の命綱である剣は、振るえる気が全くしないけれど、意地でも手放す訳にはいかない。
痺れ薬の効果が隅々まで行き渡り、自由を奪われた俺は、女の細腕に押されただけで、簡単に尻もちをついてしまった。
「く……そっ!
どうする気だ……!」
「案ずるな、殺しも吸血もせぬ。
貴様に少し良い思いをしてもらうだけだ」
太腿の上にまたがり、俺のベルトを勝手に外していくフェリス。
その行動から、「良い思い」の意味が、容易に悟れる。
こいつはゼクロスとの契約者の資格を、俺から剥奪するつもりだ。
それはつまり、少年から男へと、一皮むくための儀式を執り行う、という意味。
こちらの意思を無視して、準備は着々と進んでいく。
フェリスの胸元を編み上げていた革紐も、ほどかれてしまった。
「妙案であろう、武器屋よ?
契約を結べなくなれば、貴様にとって、何の価値もなくなる剣だ。妾に譲る気になろうて」
つきつけられた立派な胸と、第三の選択肢に、ぐるぐると目が回ってくる。
こんな風に、年上のお姉様に初めてを奪われるのも、まんざらでもないかもしれない。
チェリーボーイの誰もが、一度は妄想した事のあるシチュエーションだ。
さらには「体が痺れて抵抗できなかった」という、男の面子を保つための口実も、きちんと用意されている。
抜け目はない。
淡い不安と大いなる期待に、生唾を飲み込んだ俺の喉が、ゴクリと鳴った。
ゼクロスの吠え声さえも、心地良いBGMに聞こえてくる。
「そんなにおぼこく緊張せずともよい。
張型を抜いたばりゆえ、すんなりだ。共に愉しもうぞ」
フェリスのしなやかな指が、いよいよ下着を脱がしにかかると同時、
「武器屋!
商工会の回覧板、雨の中わざわざ持ってきてやったわよ!」
出入り口のドアが、バーン! と勢い良く開かれた。
果たして天の助けか、はたまた邪魔か。
耳慣れた憎まれ口に、若干安堵を覚えたという事は、多分前者だろう。
「メリッサ……助け」
「…………最っ低っっっ!」
助けを求めている途中で、俺の目から星が飛び出した。
眉間にクリーンヒットして星を生んだ回覧板が、パタンと間抜けな音を立てて、床に落ちる。
「カドっ! おま、角刺さったぞ!」
「見損なったわ、武器屋!
女性のお客さんだからって足元見て、カラダでお代を頂戴しようって魂胆ね?
商品のアックスと剣まで脅しに使って、商人の風上にも置けないわ!」
組み敷かれているのは俺の方で、襲われているのが一目瞭然な状況だというのに、なぜそんなとんちんかんな判断になるのだろう。
メリッサの頭の構造が分からない。
唖然とする俺を無視して、メリッサはあられもない姿のフェリスに、自分のマントを優しく掛けてやっている。
「もう大丈夫ですよ!
武器が必要でお困りなんでしょうけど、こんな変態武器屋で買い物しなくたって、もっといい武器屋が隣町にありますから。
さぁ、こんなイカ臭い店、とっとと出ましょ!」
助け起こされたフェリスが、松ヤニくさい手に背中を押されて、あれよあれよという間に、店の外に退避させられる。
去り際に振り返ったメリッサは、呆然と見送る俺に向かって、冷ややかな視線と、こんな捨て台詞を残していった。
「下衆野郎……」
バタンとドアが閉まると、店内はさっきまでの喧騒が嘘のように、静寂に満たされる。
俺は痺れた首を何とかもたげ、足元を確認してみた。
そこには金貨の詰まった、大量の革袋が残されているはずだ。
まだ希望は墜えていない。
しかし、時すでに遅し。
俺の目が捉えたのは、宙空に浮かぶ小窓から、ニョキッと生えた青白い手が、最後の一袋を掴んだ瞬間だった。
フェリスの手と小窓が霧散してから、俺は悟った。
もしも売買契約が成立して、宝剣を手渡した後にも、同じような光景を目にする羽目になっただろう。
つまりは、騙されたのだと。
(何なんだよ、まったく……)
引っ掻き回されるだけ引っ掻き回されて、結局俺には何も残らなかった。
金貨の一枚も、一つ上の男の済印も。
そればかりか、不名誉な誤解まで生まれてしまった。
商工会へ報告されたら、この店は営業停止やら改善命令やらを食らってしまうだろう。
もし噂が広まりでもしたら、商売あがったりだ。
誤解をとくのは到底無理だろうから、メリッサには口止めの賄賂として、街一番の焼き菓子屋の菓子折りでも贈ろう。
ぼんやりと考え事をしているうちに、痺れ薬の効果が切れてきたのか、体に力が入るようになってきた。
のろのろと上半身を起こした俺は、魂さえも口から出てしまいそうなほど、大きな大きな溜め息をつく。
それが一区切りの合図だったかのように、沈黙を守っていたゼクロスが、恐る恐る声を掛けてきた。
『……なぁ、武器屋よ。
もしかして幼馴染みルートへのフラグが立って』
「んな訳ねぇだろ。
見たろ? あのスライムを見るような目。
女心が分かってねぇから命狙われたりするんだよ、お前は」
『チェリーボーイの貴様に言われる筋合いはないな。
ところで武器屋、契約は────』
軽口ついでにさらりと問われ、一瞬にして怒りの炎が、俺の黒髪を逆立てた。
「するか、ボケぇぇぇぇぇぇぇ!」
ドラゴンが口から火を吐くかのごとく勢いで放ったツッコミは、狭い店内の壁を微かに揺らしただけだった。