3・魔族のポテンシャル
誰もが想像に容易いとは思うが、武器屋は暇だ。
客は基本的に、武器を買いに来るか、売りに来る。
たまにメンテナンス依頼が入るけれど、手に負えないほどの破損は、鍛冶屋の仕事。
俺ができるのは、刃物の研磨くらい。
よって、一人も来客がない日だってある。
今日はあいにくの雨。
客足も遠のく事、うけあいだ。
「あー、暇だ。
恐ろしいほどに暇だ。
これで生活できてるのが奇跡だ」
孤独をこじらせて、いつものように独り言を呟く俺。
今までと大きく違うのは、話し相手ができた事。
ところがこれが、少々面倒くさい。
『だったら、冒険に出た方がいいと思わないか?
光り物が好きなモンスター共は、小銭やら拾った貴金属やらを貯め込んでいるから、いい小遣い稼ぎにもなるぞ?
行くのならば、洞窟が刺激的でお勧めだ。のんびり息つく暇もないぞ、洞窟は。
角を曲がるごと穴を抜けるごと、次から次へと襲われるからな!』
壁に飾ってある剣から、ゼクロスの懸命の説得が飛び出してくる。
「淫魔の宝剣」と手書きした値札は、今や訪問客のいい笑い物だ。
買い手がつかないばかりか、こいつは未だに契約者と出会えていない。
世の中には俺以外にも、たくさんのピュアボーイズがいるはずなのに。
それというのも、冒険者を名乗る荒くれ者共は、おしなべて夜の生活も荒くれているせいだ。
冒険に出れば、そこかしこにモンスターがいる。
野営地でケツを丸出しにして行為にふけっていたら、命がいくつあっても足りない。
そのため、必然的に禁欲生活を強いられ、晴れて生還の暁には、「花売り」と呼ばれる商売女のお世話になるのが、奴らのセオリーだ。
武器屋はそんな冒険者が相手の商売。
冒険者は手練れ。
なので、ゼクロスがチェリーボーイと巡り会える確率は、洞窟の中でモンスターが集めたお宝を発見するそれよりも、もっとずっと低い。
やっと見つけた標的を逃すまいと、躍起になるのも頷ける。
しかしこう毎日毎日、しつこく口説かれるのにも、いい加減疲れた。
「なぁ、このまま誰も契約者が現れなかったら、どうするんだよ?」
素朴な疑問をぶつけてやると、ゼクロスはぐぬぬと苦しげに唸る。
『それは困る。
この中は刻という概念がないから、歳を取る事はないのだが、いかんせん暇が過ぎる。
そこらの武器屋よりも暇だぞ』
「嫌味か、それ。
地金リサイクルに出すぞ、コラ」
『それも困る。
だから早く契約を済ませ、私の呪いを解いてくれ』
「やなこった」
堂々巡りのやり取りにも飽きてきた。
もう外も暗いし、ぼちぼち店じまいの頃合いだ。
なおもブツブツ言い続けるゼクロスを無視して、俺は店の鎧戸を閉めようと、カウンターをくぐる。
窓を開けたついでに、何気なく通りを眺めてみて、ぎょっとした。
舗道に点々と配置されている、背の高い広葉樹。
その枝の下に、黒いフードを被った子供が、ずぶ濡れでぽつんと佇んでいる。
俯いているため、顔はおろか、性別すらも分からない。
周りに誰もいないので、もしかしたら迷子かもしれない。
「……おい、チビ。どうした?」
心配になって尋ねてみても、返事はない。
商工会の繋がりで、街のどこの家にどんな子供がいるかは、だいたい把握済み。
心当たりの名前を呼んでみたけれど、フードの子供は、やはり無反応なまま。
どうやらこの街の子ではないようだ。
街の子にしろ他所の子にしろ、困っているちびっ子を放置できるほど、俺は冷たい人間ではない。
ひとまず鎧戸と窓を閉めてから、俺は出入り口のドアを開けてやった。
「ほらチビ、とりあえず中に入れよ。風邪ひくぞ」
『駄目だ、武器屋!』
重なるゼクロスの制止に、えっ? と思った直後、旋風が傍をすり抜けて、店内に舞い込んだ。
ちびっ子の尋常ならざる素早さに驚愕すると共に、俺は自分がとんでもないドジを踏んでしまった事を悟った。
こいつは────魔族だ。
俺のひいじいちゃんが生まれた頃、人間と魔族の間に、平和条約が結ばれた。
その中の一つに、こんなルールがある。
「家人に招かれない限り、魔族は人間の棲家に入れない」。
種族関係なく貧しかった、昔々。
魔族が人家を襲い、略奪行為を繰り返していたために、制定されたものだ。
今は個体それぞれの魂に、徹底して呪術を施してあるため、ルールは絶対不可侵。
そのお陰で、現在は平和が保たれている。
しかしまだまだ、たちの悪い魔族は存在する。
人間の夢を食らう奴、垢を舐める奴、恐怖心を糧とする奴。
最悪なのは、人間の血肉を主食とする奴だ。
目の前の魔族がそれでない事を祈りながら、俺は素早く視線を走らせる。
幸いここは武器屋。
あらゆる場所に、様々な武器が置いてある。
一番近くの壁に立て掛けてあるのは、誰が使うんだとツッコミたくなるほど、巨大なアックス。
どんな武器であろうと、この際贅沢を言ってはいられない。
じりじりと足を運びながら、俺は隙なく敵を観察した。
一見すると、びしょ濡れのフードを被った、ただの子供。
けれど微かに覗くその口元には、不気味な笑みがたたえられている。
やはり異様な雰囲気だ。
「おい、チビ、何が狙いだ?
あいにくここは武器屋だ。甘いお菓子やら果物なんかは、置いてねぇぞ」
狙いから外れているであろう言葉を、あえて投げかけてみれば、緩やかにかぶりが振られる。
「……そんな物はいらぬ。
妾が欲しいのは、貴様の命だけだ」
そう言って、フードごとマントを脱ぎ捨てたちびっ子の姿が、みるみるうちに変貌を遂げていく。
小さく痩せっぽちだった体は、肉感的に熟し、特に胸の辺りがパンパンになった。
青白い肌を申し訳程度に隠すのは、黒いミニ丈ワンピース。
角の代わりに、口元に覗いている牙が、血肉を食らう性質の魔族である証。
銀の真っ直ぐな髪と蒼い瞳を持つ、美しい女だ。
どうやら俺が招き入れたのは、最悪なたちの魔族だったようだ。
「へぇ……それが本来のお前の姿か。
性格悪りぃんだな、子供の姿で人を騙すなんて」
軽口を叩きながらじりじり進み、俺は何とかヘビーアックスの前まで辿り着いた。
気取られないよう、ゆっくりと背後に手を伸ばせば、冷たい金属に指先が触れる。
柄をしっかりと握ったら、一撃必殺の準備は完了。
あとは隙を作るだけ。
「やい、チビ……もとい、元チビ。
大きくなったせいで、服がピチピチじゃねぇか。
ほら、乳の輪が見切れてんぞ」
魔族といえども、女は女。
恥ずかしい箇所が見えているとあらば、当然、隠そうと慌てる。
例え嘘だとしても、確認せずにはいられないはずだ。
果たして狙い通り、こちらを蛇のように睨めつけていた蒼い瞳が、ぱっと下を向いた。
(今だ!)
せっかく作ったチャンスを逃すまいと、ヘビーアックスを振り上げ────ようとしたのに、見た目通りの重量感に拒まれる。
「ぐ……ぬぉぉぉぉぉぉ!」
内臓が尻の穴から飛び出しそうなほど、力んで力んで、俺はやっとの思いでそれを持ち上げた。
ヘビーアックスは、よほどの力持ちでなければ、制御不能。
俺のような一般人が使う場合、武器の自重を利用して振り下ろすのが、精一杯だ。
なるべくなら、殺生は避けたい。
腕の一本でも斬り落として脅し、追い払うのが理想的。
けれどこの落下軌道では、間違いなく、敵を脳天から真っ二つに分断してしまうだろう。
『待て、武器屋!』
神に祈ろうかという時、再びゼクロスの鋭い制止命令が飛んだ。
理由も何も分からないけれど、殺生を避けたい俺からしてみたら、天の啓示。
勢いは止まらないものの、背骨が軋むほど体を捻ったら、僅かに刃の軌道がずれた。
ガキン! と大きな音と、手の平に広がる、痺れにも似た衝撃。
ヘビーアックスは惨劇を生む事なく、板床にザックリと深く突き刺さった。
まさに間一髪。
尻もちをついた女魔族との距離は、冷や汗なくして見られないほど近い。
紙一重の威嚇攻撃で敵を怯ませても、安堵している余裕はない。
脅威はまだ目の前にあるのだから。
俺はヘビーアックスの横を素早くすり抜け、壁に掛けてあった淫魔の宝剣を、乱暴にひっつかんだ。
振り返ると同時に抜剣して、女魔族の背後から、細い首筋にひたりと刃を当てがう。
これでやっと、ゼクロスを詰問してやる余裕ができた。
「ゼクロス、お前、どうして止めたんだよ?
こいつは俺を殺すつもりなんだぞ!」
『殺すのはいいが、まだ早い』
「早い遅いの問題なら、俺が攻撃する前に止めろよな!」
『すまんすまん。鞘に収められていると、外の音は聞こえても、映像は見えないのだ。
聞き覚えのある声に驚いて、貴様の視覚映像をこちらに転送する術に、ちと手間取ってな。
いや、契約さえしてもらえれば、こんな面倒な制約はなくなるのだがな?』
ゼクロスにかけられた呪いに、そんなルールがあったなんて、初耳だ。
遠回しにさり気なく契約を促してくるのも、鬱陶しい。
何はともあれ、新たに得た知識について、どうこう考えている場合ではない。
この女魔族をどう成敗してくれるかが、最優先事項だ。
「どうするんだよ、こいつ。
無罪放免で解放なんて、あり得ねぇぞ」
『殺す殺さないは、貴様次第だ。
だがもし殺すのであれば、契約が済んでからにしてもらえまいか。
今殺してしまうと、ここから出られなくなってしまうからな』
さらりと吐かれたゼクロスの言葉に、自分の眉がピクリと吊り上がるのを感じた。
魔族との契約にルールがあるように、呪術にもルールがある。
解除の条件を決める事。
依代が破壊されれば、被術者の魂は生滅する事。
術者が死亡した場合、その効力が永続する事。
最後の項目を当てはめて考えると、つまり────。
「お前に呪いをかけたのって、この女なのか!」
あまりの驚きに、口から内臓が飛び出すかと思った。
ラスボスだ。
まだ契約すらしていない、冒険にすら出ていない段階で、ラスボスの登場だ。
しかも俺ごとき一般人に、あっという間に背後を取られ、剣を突きつけられるなんて、ラスボスのくせに弱すぎる。
さて、どうしたものだろう。
剣身に浮かぶゼクロスの姿と、女魔族の後頭部を見比べながら、俺は素早く計算する。
このまま有無を言わせず、刃を首筋に食い込ませれば、脅威は消え去る。
契約やゼクロスの解放云々も関係なくなって、全ての問題が消え失せる。
契約の交換条件である、夢のモテモテ生殺しルートは閉ざされるけれど、俺は本来の平穏無事な商人ライフを取り戻せるだろう。
一番手っ取り早いのは、今すぐこの場でゼクロスと契約する方法。
契約が済んだ直後に女魔族の首を斬り落とせば、万事解決。
しかし脅威が取り除かれる以外のメリットが、俺にはない。
魔族とはいえ、人を殺すという事自体にも、躊躇いがある。
モンスターならば数え切れないほど退治してきたけれど、人を殺した事なんて、まだ一度もないのだから。
答えを出せずに固まっていると、女魔族の華奢な肩が震え始めた。
怯えて泣いているのかと思いきや、低い笑い声が漏れ始め、しまいには狂気を帯びた高笑いに変わった。
命を奪われるか否かというこの状況下で、そんな風に笑えるなんて、どうにも薄気味悪い。
何か企みがあるのだろうか。
俺は改めて柄を握り直し、気を引き締めた。
「てめぇ、何がおかしい!」
「いやはや、これが笑わずにいられようか。
甘いな、少年よ。乳の輪が見切れていると、妾の動揺を誘ったまでは良かった。
だが人殺しを躊躇っていたら、あっという間に形勢逆転されてしまうぞ?
こんな風にな」
言い終わらないうちに、女魔族が自らの首を、突きつけられていた刃で鋸引いた。
握りから伝わってくるのは、山鳥を捌く時に似た、硬い肉を切る感触。
刹那にぼたぼたと鮮血が滴り、ささくれた板床に染み込んでいく。
予想外の出来事で頭が真っ白になった俺は、息を吐くのすら忘れ、呆然と立ち尽くしてしまった。