―目隠し姫の朝―
―ナラクの底には人を食らうバケモノが住んでいる―
―真っ暗な谷底へ人を引きずり込み、グチャグチャと音を立てて食らうのだ―
砦の国――周囲を険しい山々に囲まれた小さな小さな国。
険しい山を超えて侵入することは厳しく、国外の者が砦の国に入るには国の南にある門を通る他ない。
天然の城壁と難攻不落の門。それが砦の国と呼ばれる所以である。
南の門を抜けると田園風景が広がり、国の中心まで伸びる道を真っ直ぐ進むとやがて市街地が見え、そこからさらに進むと領主の城にたどり着いて南の門からの一本道は終わる。
砦の国の円状の領地のほぼ中心に、この地を治めるバルドッド領主の城はあった。
トントンと扉をノックする音が聞こえ、この部屋の住人である私は意識を扉のある方に向ける。
「フェクシア様、おはようございます。お着替えをお持ちしました」
落ち着いていながらもよく通る侍女のシュリの声だ。
「おはようシュリ、今日もよろしくお願いします」
そう挨拶してベッドから立ち上がり、まだ眠気が残る目を擦ろうとした時。
―カチャ―
目を擦るはずの指はまぶたに触れる代わりに、硬い金属に触れ音を立てた。
「ふふ、またやっちゃった」
「仕方ありませんよ。まだ起きてすぐなのですから」
私が恥ずかしそうに笑うと、シュリは優しい声音でそう返した。
この金属の目隠しがフェクシアにつけられてから10年、何回も繰り返されてきたやりとり。
「叔父様ったら大げさだと思わない?お風呂の時だけじゃなくて、寝る時も外させてくれてもいいのに――シュリこれ外して頂戴。鍵は今日もシュリが持っているんでしょう?」
「何度言われてもダメなものはダメです。バルドッド様のお許しなくそれを外すことはできません」
「もう、シュリはケチですね」
「フェクシア様、あまり私を困らせないでください」
金属の目隠し――6歳の時に私は事故にあい、この国の領主だった両親と光を失って、見た人がびっくりしてしまうくらい酷い傷痕が顔に残ったらしい。
らしいというのは、その時の記憶が無いから。なんでもとても悲惨な事故だった為にショックで記憶に穴が開いてしまったのだとかナントカ。難しい話は子供の私にはよくわからなかった。
そんな私を気遣ってバルドット叔父様は金属の目隠しを私につけてくれた。
「いいかい?私はフェクシアに辛い事故のことを思い出してほしくないんだ。医者が言っていたが、傷痕に触れることで記憶が蘇ってしまうこともあるみたいでね。それにその傷痕は……その、見た人をとてもびっくりさせてしまうんだよ。だからこの目隠しはフェクシアとみんなの為を思ってのことなんだ。わかってくれるね?」
「――はい。バルドッド様」
「ははは、フェクシア、私は君の父の弟なんだ気軽に叔父と呼んでくれて構わないよ」
「はい。叔父様」
叔父様と喋ったのはこの日が初めてだったけど、その優しい声音に父の面影を感じて私はなんだか懐かしくなって一瞬で叔父様のことを受け入れていた。
金属の目隠しも最初は戸惑ったりもしたけど、成長して子供じゃなくなるにつれて叔父様の思いやりの形であることが理解できた。
でもまだ大人でもないからたまにさっきのようにシュリにわがままを言って困らせてしまうこともあるのだ。母様のような立派な淑女になるにはまだ時間がかかりそう。
「――さま?――フェクシア様?もう終わりましたよ」
「え?あ、ああ。いつもありがとう」
私がぼーっとしている間にシュリはテキパキと私の着替えを終わらせ、私に呼びかけていたみたい。
「ぼーっとしてどうかなされたのですか?」
「いえ別に――ねえシュリ、今日は晴れていますか?」
「ええ。やっと雨も上がり、よく晴れていますよ」
「やった。ねえシュリ、後でお散歩に連れて行ってくださいね?3日も楽しみの散歩ができずに部屋にこもりきりで退屈だったのだから」
「はいはい。もちろんわかっていますよ」
そう言ってシュリが部屋の窓を開けると、太陽と緑の心地良い香りがして私は思わず笑顔になった。