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第62話 はしゃぐ弓坂と、亡き母の仏壇

 そして、約束の木曜日。


 昨夜、俺は謝罪を装って上月にメールを送信した。俺が悪かった。腹が減ったから、明日は夕飯をつくってくれ――と。


 不必要に丁寧な謝罪文を送ると、あいつに感付かれちまうかもしれない。だから、あんまり下手したてに出るのはかえってよくない。


 かと言って謝罪のひと言もないと、捻くれ者のあいつは途端にヘソを曲げるからな。その辺の気遣いが、あいつは神経質だから面倒なのだ。


 待ち合わせ場所は、宮代に伝えた通りにうちのマンションの近くの公園を指定する。時間も午後五時に設定した。


 上月からの返信は一通も届いていない。けど、問題はないだろう。約束事に関しては、毎度のように遅刻する俺と違ってあいつは律儀だから。


 上月に伝えたことを宮代にもメールで教えた。彼女からはすぐに返信があって、『ありがとうございます! がんばります!』と絵文字付きの率直な意気込みが綴られていた。


 やるだけのことはやった。あとは彼女のがんばりと上月の気持ち次第だ。でも上月だったらきっと、彼女の悲痛な声を聞き届けてくれるはずだ。


「それはいいが、なんで俺までお前んちに呼ばれないといけないんだ?」


 俺の家のソファに腰掛けた山野が、迷惑そうに言い放つ。眉毛を今日も一ミリも動かさずに。


 お前を巻き込んじまったのは申し訳ないが、迷惑してるんだったら少しくらいは動かせ。顔のパーツのどれかを。


「しょうがねえだろ? 弓坂がどうしても来たいって聞かなかったんだから。バイトだって今日はないんだろ?」

「まあ、そうだが」


 上月のことを弓坂に伝えたら、「じゃあ、あたしも、ヤガミンのおうちに行くぅ」とあいつが言い出したのだ。待ち合わせ場所に指定した公園が、うちのベランダから見えるから。


 なので俺が気を利かせて、山野を強引に連れ込んで、なんの落ち度もないのに巻き添えを食ったこいつが無表情で不満を表明している――という流れだ。


「わあっ、ヤガミンのおうちって、すっごくきれいだねぇ」


 セミオープンキッチンの向こうから、弓坂のはしゃぎ声が聞こえてくる。あいつはうちの玄関を見た瞬間から、「わあ、ヤガミンのおうちだぁ」って、なぜかテンションあがりっぱなしだ。


 俺の家でこんなにはしゃいだやつは、弓坂が初めてかもな。他のやつらは、だいたい「まあ、こんなもんか」って顔してるもんだけど。内心はどう思っているのか知らないけどな。


「その辺あんまり開けるなよ。中から変なもんが出てくるからな」

「わかったぁ」


 と言いつつ、るんるん気分で俺んちを散策する気満々だ。さっそく奥の冷蔵庫を開けて、「わ、いっぱい入ってるぅ」とか聞こえてくるし。


 キッチンまわりは触ると上月が怒るから、あんまり引っ掻き回さないでくれよな。――と言ったところでもはや手遅れっぽいな。


 ひとりで子供みたいにはしゃぐ弓坂に嘆息して、リビングでくつろぐ山野に麦茶を差し出す。


 こいつは正反対に黙然としてるな。テレビの電源すらつけてないし。


「弓坂は、お前んちが相当めずらしいみたいだな」

「らしいな」

「まあ、学生でひとり暮らしをしているやつはめずらしいんだろうが」


 とか言いつつも、弓坂のハイテンションについていけないみたいだな。こいつは女子とデートしても眉毛一本すら動かさない超無感動野郎だからな。


「ああっ」


 奥からがたっと音がして、弓坂の小さな悲鳴が聞こえてくる。今度はなんだ?


 和室の扉が開いていて、扉のそばに弓坂が立ち尽くしていた。部屋の照明がついていない和室の奥にあるのは、死んだ母さんの仏壇だった。


「ヤガミン、あれ」

「ああ。母さんの仏壇だよ。あんまり手入れしてねえけどな」


 母さんの仏壇は、高さが四十センチくらいの、台のついていない小型の仏壇だ。様式やら製法などはよく知らないが、板の表面に浮き出た木目の模様が渋い雰囲気をかもし出している。


 仏壇の中の宮殿部分は黄金色の装飾が施されていて、真ん中にほとけ様の絵の描かれた紙が貼り付けられている。お供え物の果物や菓子は何も置いていない。


 線香をあげに来るのは、上月と、上月のおばさんくらいしかいないからな。だから仏壇の手入れなんてほとんどしていない。


 あまりにしてないものだから、上月が見かねてたまに手入れしていくほどだ。


 部屋の掃除は全然してくれないのに、仏壇の手入れだけはなぜかしていくのだ。別段頼み込んでもいないのに。


 もしかしたら、上月はああ見えて神仏を信仰するタイプなのかもしれない。


 一方で超現実主義の俺は、現代日本人よろしくの神仏など信仰しない性格だ。だから、中段に置いた線香も線香立てには入れないで、箱ごとごそっと無造作に置いているだけだ。


 蝋燭ろうそく立てにも蝋燭を立てないで、下の棚に百円ライターを用意しているだけという超手抜き仕様だ。蝋燭を片付けるのが面倒だから。


 すまんな、母さん。


「お母さん、亡くなってるんだもんねぇ」


 和室にひっそりとたたずむ仏壇を眺めて、弓坂が寂しげにつぶやく。


 仏壇の上には、上月のおばさんに言われて遺影を飾っている。死んだ歳は三十八だったから、遺影の写真はそれよりもさらに若い。たしか三十歳前後に撮った写真を選んだはずだ。


 母さんが死んで、もう二年になるのか。月日が経つのは、早いもんだな。


「よかったら、線香の一本でもあげてやってくれ。母さんも喜ぶだろうからな」

「うん」


 弓坂は浅くうなずいて、和室の中に入っていく。部屋の明かりをそっとつけてやった。


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