第44話 上月の小悪魔がまた炸裂?
図書館で上月に勉強を教えて、その後は最寄の黎苑寺駅に戻って国道沿いのスーパーへと向かう。
いつもは家に一旦戻って、私服に着替えてからスーパーに行くが、今日はもう時間が遅いので制服姿のままスーパーへ直行だ。
しかし上月は補習で疲れているのか、かなりだるそうだ。背中なんかイリオモテヤマネコのように曲がっている。
「ああ、歩くのしんどっ」
「おい、だいじょうぶか?」
一応声をかけてみるが、上月は深いため息を漏らすだけで、うんともすんとも言わない。目の下のクマも少し浮き出ているし。
この情けないほどに曲がったこいつの背中を写メールで送りつければ、中越はドン引きして諦めてくれるだろうか。――なんていう邪なことをつい考えてしまう。
「疲れてるんだったら、別に無理しなくてもいいんだぞ。コンビニで弁当でも買っていくから」
「平気よ。心配しないで。このくらいでへこたれたりしないから」
そうかい。それなら別にいいけど。
わかりきっていることだが、こいつはなかなか頑固だ。だから一度言い出すと、言うことを聞いてくれないことがままある。
……いや、俺の言うことなんて、こいつは常時聞いていないだろう。さっきから何を考えてるんだ俺は?
スーパーで卵やほうれん草などの食材を買って帰路につく。上月の様子は、少し疲れていることを除けば普段とほとんど変わらない。
中越の出現に昨日はかなり動揺していたけど、今日はもう平気なのだろうか。
そんなことをまたぼんやりと考えていると、上月が俺の視線に気づいて、
「なによ」
すかさず眉間にシワを寄せてきた。
「別に、なんでもねえよ」
「嘘ばっか。さっき、あたしのことジロジロ見てたでしょ」
うっ、しっかりばれていやがる。だがここで吐露したら、俺が相当気持ち悪い男になってしまう。
「そんなことはねえよ。……そういえば、今の席はどうだ? だいぶ慣れてきたか?」
「はあ? そんなことを、なんでいちいち、あんたなんかに言わなきゃいけないのよ」
別に言ったっていいじゃねえか。減るものじゃねえんだから。
機嫌の悪いこいつは本当に可愛くないな。中越はこんなやつの一体どこがいいんだかな。
そんな俺の気持ちを知らない上月は、いつものように肩を竦めて、
「席自体は、いいんだけどね。どっかのアホ三人組がいちいちうるさいから、勉強に全然集中できないんだけど」
「うるせえ」
どっかのアホ三人組って、どうせ俺らのことだろう? っていうか、中間試験でさっそく赤点とったやつはどこのどいつだ。
だがそんなことを言おうものなら、またうだうだと文句を言われかねないので、口を頑なに閉ざして俺は帰宅した。
今晩のメニューは焼き鮭にプレーンオムレツ、野菜はほうれん草のバター炒めだ。加えてインスタントの味噌汁と白米をテーブルに並べれば完成だ。
「じゃ、できたから早く食べよ」
「おう」
疲れているときでも上月は料理に手を抜かない。「あたしがつくってるのは簡単な料理だけだから」とこいつは口癖のように言うけど、皿にきれいに盛り付けられた料理を眺めれば、それがどれだけ丁寧につくられているのか、料理のできない俺にだってすぐわかる。
味付けだって俺の好みに合うように、少し濃い味に仕上げてくれるし。これでもう少し性格がよければ、男にもっともてていただろうに。勿体ないやつだよ。
そんな俺の気持ちを余所に上月が茶碗を差し出してきた。
「何ぼけっとしてんのよ。いいから早くご飯をよそいなさいよ」
「はいよ」
おとなしく飯をよそって、いただきます。ほうれん草の炒めものにさっそく箸をのばしてみるが、うん。今日も憎たらしいくらいにおいしい。
このオムレツも見た目は普通なのに、箸を通すとふっくらとした卵がすぐに切れて、空気感のある生地が空腹を誘う。
口に入れると柔らかい生地が溶けるようになくなって、卵の味とまろやかな味わいが口いっぱいに広がった。
上月は本当に料理がうまい。目玉焼きすらつくれない俺からしたら、上月の腕前なら一流ホテルでもすぐに働けるんじゃないかと思い込んでしまうが、それはいささか褒めすぎだろうか。
なんていうことをしみじみ痛感していると、メールの着信音が不意に聞こえた。
「ん、あたしの携帯からだ」
上月が焼き鮭を食べる箸を置いて、スカートのポケットからスマートフォンを取り出す。このタイミングのメールって、まさか……。
「先輩からか?」
「うん」
嫌な予感が見事に的中してしまった。あの野郎、早速上月に手を出してきやがったのか。
上月はスマートフォンの画面をじっと見つめて、何やら考え込んでいる。一体何を考える必要があるんだよ。
「遊びにでも誘われたのか?」
「うん。そんな感じ」
恐る恐る聞いてみたが、無情な答えが上月の口から返ってくる。
あの野郎の手の早さと無駄な爽やかさは天下一品だ。いち草食男子である俺なんぞが制止できるような男ではない。
だが、俺は思うんだ。いくら赤の他人であるとはいえ、俺を平然と無視するようなあいつがいい先輩であるはずはない。そんなやつと付き合っても、上月は絶対に幸せになんかなれないだろ。
「あんなやつ、やめとけよ」
「なんでよ」
堪えきれずにぼそっとつぶやくと、上月がメールを打つ手を止めて俺を見上げてきた。
「だから、あんなやつと遊びに行くのがだよ」
「どうしてよ。別にいいじゃん」
別によくねえから言ってるんだよ。
「先輩は四年ぶりにあたしと会ったから、少し話がしたいだけなの。そのくらいだったらいいでしょ」
そのくらいで済むわけねえだろ。向こうは絶対にそれ以上を望んでいるんだから。
男が女子に声をかけるのは、そういうことだ。だから、俺は上月に会ってほしくないんだ。けど、そんなことは正直に白状できないので、俺はむすっと口を閉ざしてうつむくしかない。
すると上月はなぜか不敵な笑みを浮かべだした。
「ふうん」
なんだよ、ふうんって。
「あたし、先輩と会ってみよっかなー」
「はあ? お前、何言ってるんだよ。やめとけって言ってるだろ?」
「いいでしょ別に。あたしがだれと遊んだって。雫一筋のあんたには関係ないんだから」
うっ。一番突っ込んでほしくないところを的確に突いてきやがった。
上月は俺の不安げな様子を満足そうに眺めると、悪びれもせずに食事を再開させて、
「もう決めたもんね。……先輩、久しぶりに会ったらすっごくかっこよくなってたから、ふたりで会うの楽しみだなあ」
俺の忠告を完全にスルーしやがった。
その後も何度か忠告してみたけど、上月は「いいでしょ別に」の一点張りで、考えを改めようとはしなかった。夕飯を食べ終わって、家に帰る時間になっても。
……ああ、わかったよ。だったらもう勝手にしろ!




