第42話 上月が気になるが……
上月の補習に二時間くらい付き合ってから帰宅したが、家に着いても中越先輩の存在が気になって仕方がなかった。
夜にテレビを観ていてもそわそわして落ち着かず、気晴らしにゲームをしても全く集中することができない。
俺はさっきから、なんであの野郎のことを気にしているのだろうか。
あいつは上月の先輩だ。くわえて背は高いし、イケメンだし、雰囲気もなんとなく爽やかだ。
昔の知り合いなんていうスパイスがなくても、それだけで充分に女子のハートを釘付けにできる力をもっているのではないだろうか。
それに上月はスポーツマンが好きだし、しかも頼りがいのある先輩だ。この二人がこれからいい関係になっていくのは、だれの目から見ても明らかではないかと思う。
――そして俺が好きなのは、妹原だ。そんな俺が上月の恋愛に文句をつけるのは、相当なお門違いだ。
俺は妹原に近づくために上月を利用しておいて、あいつの恋愛には個人的な感情で邪魔をしようというのか。――最低な男だな。
あいつは俺の尻を平気で蹴飛ばしたりするけど、それでも俺の大事な幼なじみなんじゃないか。だったら、あいつがもし先輩と仲良くしたいと言ってきたら、そっと背中を押してやるのが友人の務めなんじゃないのか?
そうだ。あいつのことを大事に思っているのなら、そうすべきだ。
――でも、なんでだろうな。あの先輩が突然あらわれて、素直に喜べない俺が心のどこかにいる。俺にとって上月は、そういうやつじゃないっていうのに。
はあ。だめだ。これからパソコンでだらだらとインターネットでもしていようかと思っていたけど、そんな気分にはとてもなれない。
壁掛け時計のさす時間は、夜の九時をすぎたところか。寝るにはだいぶ早い時間だな。
だけど、だらだら起きていてもしょうがないから、今日はもう風呂に入って寝よう。そう思って俺は気だるい身体を起こして、クローゼットからバスタオルをとり出した。
* * *
翌日の昼休み。いつもの通りに山野と弓坂の三人で食堂に行ったので、昨日のことをそれとなく話してみた。
「えっ、麻友ちゃんのサッカー部の先輩に会ったのぉ?」
きつねそばを食べる弓坂の箸から、つまんだ蕎麦がするりと落ちる。
「ああ。昨日偶然、図書館に行こうと思ったら道でばったりな。もう驚いたよ」
「知っている人にばったり会ったら、びっくりするよねぇ」
弓坂は口に手をあてて苦笑いしている。
「先輩って、どんな感じの人だったのぉ?」
「どんな? うーん、そうだなあ。背が高くて、もてそうな感じだったんじゃないか?」
「へえ。どんな人なんだろう。あたしも見てみたぁい」
弓坂は「わあ」と顔を明るくして、嬉しそうに手を組む。話に食いついてくれるのは俺も嬉しいが、早く食べないと蕎麦が伸びるぞ。
「それで、上月は何か言っていたのか?」
一方の山野は眉をぴくりとも動かさないで、カツカレーを淡々と胃袋に運んでいる。五切れのカツをすべて平らげて、あとは残りのカレーとご飯を消化するだけか。
「いや、これといって何も。先輩のことは好きじゃないから、気にすんなって」
「そうか」
「でもなあ。その割には、先輩と会った後の様子が明らかにおかしかったんだよな」
「様子がおかしかった? どんな風にだ?」
山野がカレーを食べ終えると、メガネのレンズをきらりと光らせてくる。高性能な山野レーダーが気になる何かをキャッチしたのか。
しかし昨日のことを、上月のいないときにぺらぺらとしゃべってしまってもいいのだろうか。こんなことがもしあいつにばれたら、また「じゃあ今日から一ヶ月間の断食ねっ」とか宣告されかねないぞ。
俺は食堂を見回して、上月がいないことを念のために確認する。あいつは、お昼はいつも妹原と中庭で昼食を採っているから、食堂にはいないはずだが。
食堂で昼食を採っているのは、二年生や三年生がほとんどだ。一年生の中で、俺たちみたいに一学期から食堂を利用している生徒は実のところあまり多くない。
ぱっと見だが、まわりの席についているのは知らない生徒たちばかりで、上月や妹原の姿は見えないな。そう確信して対面のふたりに顔を近づけると、
「そこまでしないと話すことができないのか?」
山野の呆れ顔――といっても表情は一ミリも変化していないが――が右斜め向こうにあった。
「そこはいいだろ別に。俺のことはいちいち突っ込むな」
「いや、上月に怯えているお前を見ると、いつも不憫でならないからな」
山野の言葉に弓坂も二度こくりとうなずく。知らぬ間にふたりに同情されているが、なんだ、これ?
「それはともかく、上月のことなんだが、その中越先輩とやらに会ったあと急におとなしくなったんだよ」
「おとなしくぅ?」
「ああ。なんか、先輩に恋焦がれてる、みたいな――」
「ええっ!? ホントに?」
弓坂が驚いて声をあげるのを山野がすかさず制止してくれる。そして落ち着き払った所作でテーブルに肘をついて、
「あの野ざらしにされたライオンのような上月を一撃でおとなしくさせるとはな。余程の衝撃だったんだろうな」
いや、すこぶる的確な表現だが、そんな陰口をあいつに聞かれたらお前も連座で地獄行きになるぞ。
それでも、昨日の上月の様子を思い出すと、もやもやした気持ちがまた心に充満してきて、なんとも落ち着かない気分になってくる。くっ、なんでこんなに気になるんだよ――と思案していると、
「そして、そんな上月の異変を、お前は気にしているということか」
山野の鋭利なひと言がぐさりと胸に突き刺さった。
「別にっ、気になってなんかいねえよ俺は!」
なんであんな野ざらし野郎のことを気にしないといけないんだよ!
勢い余って俺が席を立ったせいか、あたりがしんと静まり返っている。無駄に騒ぎ立ててしまったので、とりあえず謝った方がいいか。すいませんでしたとまわりの諸先輩方に頭を下げて席に座ると、
「わあ、ヤガミン、顔が真っ赤になってる!」
「う、うるせえ!」
弓坂にものすごく笑われてしまった。恥ずかしいことこの上ない。
俺のそんな様子を見ても山野は表情を一切変えずに、
「まあ、上月がどんな男と付き合おうが、お前には関係ないと思うがな」
至極冷静なひと言でさらりと締めくくる。
少し冷淡な言葉だが、俺もその通りだと思う。俺が好きなのは妹原なんだから、上月のことをいつまでもうじうじと考えている方がおかしいのだ。
それなのに、なんなのだろうな。この喉につっかえる魚の骨のような痛みは。寝込むほどの激痛ではないけど、喉もとにいつまでもつっかかって離れない。だから気になって仕方がない。
「ええっ、そんなぁ。……あたしは、悲しいよぅ」
弓坂はそんな俺の密かな気持ちを代弁してくれる。
「あたしはぁ、先輩が、その……麻友ちゃんの、昔の知り合いかもしれないけど。……でも、あたしたちの知らない人と、麻友ちゃんが付き合うのは、やっぱり悲しいよぅ」
「弓坂の気持ちはわからなくないが。でもな、八神と上月は親密でもそういう関係ではないんだ。だから、仮に上月が先輩と付き合うことになったとしても、部外者の俺たちは口出しすることができないんだ」
「そうだけど……」
山野の意見は全くもって正論だ。でも友情を無視した冷たさも感じる。弓坂がしゅんとしてしまうのはよくわかる。
「まあ、まだ付き合うと決まったわけじゃないから、とりあえず様子を見てみよう。その後どうするかは、そのときにまた考えよう」
「……うん」
話が一区切りついたので、俺たちはそのまま教室へと戻った。