第195話 上月は優しい人が好き?
部屋で懊悩しているうちに年が明けていた。
いつもだったら大晦日の夜に友達と初詣に行ったり、初日の出を見るまで寝ずにがんばったりしているんだけど、今回はとてもそういう気分になれない。
桂や木田から遊ぼうぜと言われたけど、体調不良を理由にすべて断った。嘘をつくのは気が引けるが、こんな調子で遊んでも却ってあいつらのテンションを下げちまうんじゃないかと思った。
俺はぼさぼさ頭のパジャマ姿でリビングのソファに腰を下ろしている。
ひとりで過ごす元旦は平日とさほど変わらない。朝は寒いだけだし、朝食だって昨夜にコンビニで買っておいた、ふたつのおにぎりしかない。
テレビで放送されている番組だけが普段と異なっているが、どの放送局も無駄にテンションの高いバラエティ番組しかなくて嫌になるな。
去年にブレイクした若手の芸人が、身体を張って野球の球を投げたり、サッカーボールを蹴ったりしているのを茫然と見つめる。いつもだったら、こんなつまらない番組でも笑うことはできてたはずだけど、今日は笑える気がしなかった。
独りで家にいるのは暇だ。ソファでだらだらくつろいだり、テーブルに置いたスマートフォンに手を伸ばしてソーシャルゲームをはじめてみるが、なんとなく居心地がよくない。
椅子の座り方が合わなくて、何度も座り直しているような感覚かもしれない。
遊びの誘いを断ったの、やっぱり失敗だったかな。こんなにすることがないんだったら、素直に遊びに行けばよかった。
何かをする気力もなくリビングでだらだら過ごしていると、夜に急に電話がかかってきた。年が明けてしばらく経ったのに、時期を少しはずして俺にあけおめを言いに来た奇特なやつは一体だれだ?
瞬間的に上月の顔が頭を過ぎったが、剛情なあいつが俺に電話なんてするはずがない。テーブルで着信音を鳴らすスマートフォンに目を向けると、液晶画面に『弓坂未玖』と書かれていた。
弓坂が俺に電話してくるなんて、珍しいな。
「もしもし」
『あ、ヤガミン? 明けまして、おめでとぅ』
スマートフォンの受話口から聞こえてくるのは、思わず気が緩んでしまいそうな、いつものおっとりとした声だ。弓坂本人で間違いない。
「あ、ああ。おめでとう」
『ふふっ、ヤガミン、どうしたのぉ? 返事がぁ、なんだか堅いよぅ』
電話の向こうで弓坂がくすくすと笑っているのがわかった。
「別に堅くないだろ。俺は普段通りだ」
『そうかなぁ』
「それよりどうした? 俺になんか用か?」
あいつは山野のことで相談したいから電話してきたのだろうと思ったから、当然のように尋ねてみたが、
『ううん。明けましておめでとうって、ヤガミンに挨拶したかったから、電話しただけなんだけどぅ、用事がないと、ヤガミンに電話しちゃいけないのぉ?』
あいつからまっすぐに聞き返されてしまった。
「あ、いや、そういうわけじゃないんだが。……用事がないのに電話されたことがないから、ちょっと意外だったっていうか、なんていうか」
電話なんて必要なときでもかけないから、こういうときはどんな態度で臨めばいいのかわからなくなるな。
『ふふっ。今日のヤガミン、やっぱり変だよぅ』
「別に変じゃないだろ。俺は普段通りだっ」
『それ、さっきも聞いたよぅ』
電話の向こうでまた笑われてしまった。
「ところで、弓坂はどこにいるんだ? 山野と初詣にでも行ってたのか?」
『ううん。今はぁ、スウェーデンの、おばあちゃんのおうちだよぅ』
なんだって!? あいつはじゃあスウェーデンから電話をかけているのかっ?
「えっ、じゃあスウェーデンから国際電話をかけてるのか!?」
『そうだよぅ。すごいでしょっ』
すごいでしょ、じゃねえって。
「すごいっていうか、ぶったまげたな」
『ぶったまげた? びっくりしたってことぉ?』
「そうそう。頭から脳みそが飛び出そうなくらいびっくりした」
『ええっ、頭から、脳みそが出ちゃったら、ヤガミン死んじゃうよぅ』
弓坂が俺の冗談を真に受けて、急にあたふたしだした。遠い海の向こうで驚いているあいつを想像して、ちょっと吹き出してしまった。
『ヤガミンが、落ち込んでるって、ヤマノンが言ってたから、心配してたの。でもぅ、思ったより元気そうだったから、よかった』
山野から俺のことを聞いたから、スウェーデンからわざわざ電話してくれたのか。
「弓坂にまで心配をかけちまって、悪いな。お前たちには迷惑をかけたくなかったんだが」
『ううん。気にしないでっ。ヤガミンは、あたしのこと、何度も助けてくれたから』
弓坂のまっすぐな言葉が嬉しかった。
『だからぁ、ヤガミンもつらかったら、あたしに言ってね。ヤガミンのこと、全力で応援するからっ』
こいつのお人よしな性格は、出会ったときからまったく変わらない。この言葉が紛れもないあいつの本心なんだとわかって、充足した気持ちで満たされた気がした。
「ああ。ありがとう」
『ふふっ、どういたしましてぇ』
「そういえば、クリスマスのときは上月をうちまで送ってくれたんだよな。あのときは助かったよ」
こいつと山野の機転がなければ、クリスマスパーティはもっと酷い終わり方をしていたはずだ。弓坂が真っ先に動いてくれたから、本当に助かった。
だけど弓坂は、謙遜する感じで少し間を置いて、
『麻友ちゃんも、何度も助けてくれたから。あのくらいは、して当然だよぅ』
静かに言葉を綴った。
『麻友ちゃんの、気持ちは知ってるのぉ?』
「ああ。山野から聞いた。驚いたよ。そんな風に見られてるなんて知らなかったから」
『知らなかったら、驚くよねぇ』
弓坂が悄然と肯定してくれる。
『ヤガミンは、どうするの? 麻友ちゃんのこと、振っちゃうのぉ?』
それは、まだわからない。というか、いくら考えても満足のいく答えなんて出ないのかもしれない。
「わからない。っていうか俺に決定権があるなんて、やっぱりおかしいぜ」
『そうかなぁ』
「山野みたいなイケメンなら、相手を選ぶ権利はあると思うが、俺は全然そんなじゃない。どのクラスにもいる普通の男だ。それなのに、あいつをどうするか決められるなんて、違和感がありまくって気持ち悪いぜ」
そうだ。俺みたいなもてない男では遭遇できない問題に直面しているから、頭が混乱してるんだ。
女子から毎日コクられるイケメンだったら、今回みたいなことで悩むことはないんだろうが、もてない俺はこんな経験をしたことがないから、脳の限界の許容量をすぐに超えちまうんだ。
だけど弓坂は、『うーん』と電話の向こうで唸って、
『あたしはぁ、麻友ちゃんの気持ち、わかるけどなぁ』
またまっすぐな言葉で言った。
「そうなのか?」
『うんっ。だって、ヤガミンはぁ、優しいし、あたしのことで、一生懸命になってくれたから』
弓坂や上月のことで一生懸命になっていたけど、それとこれは別の問題だろ。でも――。
『顔が、かっこいいとか、勉強や運動ができるっていうのも、大事だと思うけど、あたしはぁ、優しい人が、一番好きだなぁ』
弓坂の飾らない思いを聞いて、俺は言葉を失ってしまった。
そうなのか? 女子って男の顔や身長とか、見た目で判断してるんだと思ってたけど、そうじゃなかったのか?
『ヤガミンは、雫ちゃんの見た目だけが好きなの?』
「あ、いや。見た目がタイプなのは否定できないが、それだけじゃない」
『やっぱりそうなんだぁ』
「いや、でも、男の場合と女の場合じゃいろいろ違うだろっ」
『そんなことないよぅ。あたしたちだって、この人はぁ、優しい人なのかなぁ、とか、あたしのことを、大事にしてくれる人なのかなぁって、考えてるんだよっ』
弓坂のおっとりとした声の向こうから感じられる真剣さが、真実を語っているように思えた。
『だからぁ、麻友ちゃんも、きっとヤガミンのことを、いろいろ考えて、好きになったんだと思うよぅ』
あいつが――上月が、そんなふうに俺を考えていたなんて、やっぱり想像できなかった。
あいつは、顔を合わせれば喧嘩ばかりしてるし、開口一番に「きもい」だの「これ以上近寄るな」などの罵詈雑言を散々に浴びさせられてきた。
それなのに、俺を恋愛対象としていたなんて、今でも信じられない自分がいた。
でも、そうじゃないんだよな。過去の思い込みに縛られるのは、もうやめよう。俺も恋愛対象としてあいつの気持ちと、あいつへの気持ちにちゃんと向き合うんだ。




