第191話 盛り上がらないカラオケ
「お前ら乗ってるか〜いっ!?」
「いえ〜いっ!」
カラオケボックスの狭い個室に大音量の曲が流れる。桂の間抜けな声はマイクで拡張されて、曲の音量に匹敵する騒々しさでクラスの連中のテンションを最高潮まで引き上げる。
「おれ〜のぉ、好き〜なあいつは〜、ピアノができ〜てぇ」
ディスプレイには、この曲のプロモーションビデオが映し出されている。真っ白の空間に四人の男のアーティストたちが回転式のオフィスチェアに座り、妙な姿勢で歌詞を口ずさんだり、その場で身体をまわしたりしている。
「おれは〜勇気を〜ヘイ! ふりしぼぉってデスティニー。恋のぉ〜、とぉびらを押し開けぇて〜、行くのさぁ、カモン!」
桂は身体をくねらせたりなんかして、ドヤ顔で熱唱する。音程やらリズムをはずしまくっているけど、男だけのカラオケボックスでそんな些細なことを気にするやつはいない。
冬休みに入ってすぐに桂から、ライトっちゃんいっしょに遊ぼうぜと連絡が来た。とてもそんな気分じゃないから俺は遠慮すると断ったのだが、三回もしつこく誘われて断りづらくなってしまったので、仕方なく早月駅のそばのカラオケボックスまで同行した。
「どんなに〜苦しくてもぉ、あきらめやしなぁ〜い〜っ。それがぁ、おれの〜、宿命、だかぁら〜」
このデスティニーという曲は、今もっとも人気のある曲だ。オリコンチャートも先週から首位をキープしている。
歌っているバンドはグレムリンという若手のバンドで、二十歳くらいのイケメンたち四人で構成されていることくらいしか知らない。アイドルみたいな見た目だから、女子からも絶大な人気を得ているんだろうな。
となりのクラスで同中の林田と、あと桂の同中だという斉藤はタンバリンやマラカスを振り回してはしゃいでいる。木田は生意気にも用事があると言ってここには来なかった。
俺は部屋の隅で彼らの姿を茫然と眺める。
カラオケボックスなんて、やっぱり来るんじゃなかったな。今の流行りの曲を聴いても沈んだ気持ちは明るくならない。
――落ち着いてからでいいから、返事を教えて。どんな返事でも、受け入れるから。
上月のあの言葉が頭からずっとはなれない。俺はなんて返事をすればよいのだろうか。
妹原が好きだから断るのか。それとも、あいつを受け入れるのか。
あいつを受け入れるということは、妹原へのこの思いを諦めるということだ。うちの高校へ入学してからずっと思いつづけてきたのに。
妹原への無謀なアタックをつづけてきて、やっと恋が実りそうな感じになってきていた。それを諦めちまうのか。
妹原は可愛いし、すごくいいやつだ。つらい音楽のレッスンを毎日がんばっていて、尊敬もすごくできる。
俺は、やっぱり妹原が好きだ。この思いはきっと変わらない。
だけど……だけど――。
「ライトっちゃん。なんも歌わねえの?」
耳元で不意に囁かれたので俺は仰天してしまった。身体を仰け反って振り返ると桂がとなりで座っていた。
「どしたん? ライトっちゃん。なに驚いてんの?」
「あ、いや、なんでもねえよ」
なるべく平静を装ってコーラを飲んだりしてみるが、明らかに挙動不審だよな。桂が間抜けな面を下げて首をかしげる。
「ライトっちゃん、なんか元気なくねえ? 具合でも悪いの?」
「具合は、別に悪かねえけど」
俺は気が進まないからカラオケなんかやらないって二度も言ったんだけどな。こいつは俺の言葉をほとんど聞いていないらしい。いや聞く気がそもそもないのか。
桂は急に何かをひらめいたのか、「ははーん」と顎をわざとらしくさすって、
「わかったぜぇ。お前、さっきから上月のことを考えてるんだろ」
俺の心をぴしゃりと言い当てたものだから、どきっと心臓が跳ね上がってしまった。
「ちっ、違えよ!」
「うわっ、なにその反応、超マジっぽいじゃん!」
……しまった。俺としたことが、桂なんぞの言葉に踊らされてしまうなんて。
桂のオーバーリアクションが目に付いたのか、ロックを歌っていた斉藤が歌を止めた。
「えっ、なに? ヅラどうしたん?」
「いやぁ、それがよー。この前のクリスマスパーティでさぁ。上月が泣いちゃってよぉ」
「上月って、文化祭で猫耳つけてたやつ?」
斉藤は上月のことをよく知らないが、顔と名前だけは知っているらしい。あいつはうちの学校じゃ有名だから。
俺が上月とふたりであんな話をしていたことを桂は知らないから、まだよかったけど、あいつのことをこんなところで面白おかしく話すな。
「お前ら、女子なんかとクリスマスパーティなんてやったの? いいなあ。超リア充じゃん」
「だろぉ? まあ上月が泣いて、途中でおじゃんになっちまったけどよ」
「お前、まだ上月と付き合ってたんだな。やめときゃいいのに」
林田は同中だから呆れた目で見てくる。斉藤が首をきょろきょろ動かして、「へっ、付き合ってんの!?」と声を張り上げた。
その様子を桂がしたり顔で見やって、
「そうなんだけどよぉ。こいつ、クリスマスパーティのときはなんか妹原といい感じになってたからよぉ、上月が妬いちまったんじゃねえの? とか言ったりして!」
思いっきりちゃかしてきやがったから、こいつの存在をマジックテープで消したくなった。
桂はひとりでバカみたいに大笑いするけど、斉藤と林田は明らかに引いていた。敵国のスパイを見るような目で俺を見てくる。
桂のふざけた曲解を訂正しておきたいけど、その力が出てこない。一部のクラスメイトに誤解されていることなんて、放っておけばいいんじゃないか。
妹原や上月に迷惑がおよぶのは申し訳ないが、俺が声を張り上げて訂正したところで桂たちに伝わりやしない。放っておいても俺がいじられるだけだから、大した害はないはずだ。
「なあなあ。お前、いつのまにそんなもてもてになったんだよ。俺らにもなんか伝授してくれよー」
桂が調子に乗って俺の首に手をまわしてくる。ヘッドロックをかまそうとしてきたので、俺はこいつの胸を強い力で押しのけた。
「わりい。ちょっとトイレに行ってくるわ。お前らで適当に歌を入れておいてくれ」
尿意なんて全然もよおしてなかったけど、俺はだれの顔も見ずに退室した。