第189話 上月の気持ちがわからない
上月は俺のことが好きだった。うちの高校へ入学する前から、ずっと。
その言葉が頭から離れない。一晩が経ったというのに。
朝にはなったけど、ほとんど一睡もできなかった。それくらいに衝撃すぎる言葉だった。
だって、あいつが俺のことを好きだなんて、考えられるわけがないじゃんか。あいつにはいつもきもいとばかり言われて、ふざけた意地悪もされて、終いにはわけもわからずに尻を蹴り飛ばされることもあった。
女子が男子を好きになるというのは、もっとこう愛の告白のようなものを連想させる関係性でなければいけないと思うのだ。
たとえばクラスメイトに隠れて図書館でひそかにデートしたり、たとえば話しかけたいけど恥ずかしくて話しかけられなかったりするのが、そうした関係性の代表的な例じゃないかと思うんだよ。
俺と上月の関係性は、当然ながらそんな甘酸っぱいものではない。どちらかというと真逆の、宿敵と書いて友と呼ぶのがふさわしそうな、少年誌なんかでありがちの戦友みたいな関係だった。
山のように高い強敵を前にして、持てる力のすべてを合わせて、強敵を倒した後に肩を抱き合いながら、「へっ。お前、まあまあやるじゃねえかっ」なんていうありがちな台詞を掛け合っていそうな俺たちなのに、上月が俺のことを好きだなんて、やっぱりおかしいぜ。
「寒っ」
分厚い掛け布団を捲くって身体を起こす。十二月二十五日の朝は寒くて、パジャマ姿だと風邪を引いてしまいそうだ。
重たい身体を引き摺ってクローゼットへ向かう。制服の下に着る紺のカーディガンがあったから、とりあえずこれを着よう。
しかしよく考えてみると、少年誌でありがちな戦友同士であっても、それが男女であったら恋仲や片思いに発展するケースは少なくないかもしれない。
少年誌は男の読者が多いし、作者も男であることが多いから、この場合は大抵女のキャラクターが男のキャラクターというか主人公に恋をするというパターンがほとんどな気がする。
稀に男が女を好きになるパターンもあるが、その場合は男があっさり振られることが多いか。コメディの意味合いを兼ねて――いや、少年誌のキャラクターやストーリー展開について考察している場合じゃないだろう。
たとえはじまりが戦友や悪友であっても、恋愛に発展するケースはあるということか。
ポットのお湯を沸かして、インスタントコーヒーの瓶を手に取る。眠気覚ましの朝にはコーヒーが一番合う。
セミオープンキッチンからリビングを眺める。あの後、山野と協力してクリスマスツリーまで片付けたが、他の飾りやゴミまでは片付けることができなかった。
山野は全部片付くまで居てやると宣言してくれていたが、帰りの電車がなくなる時間まで引き止めるのは悪い気がした。
今日から冬休みで時間なんて有り余ってるのだから、だらだらしながらゆっくり片付けよう。
――上月は、俺のことが好きなのか。
思い当たらない節はないわけでもない。好意がなければ頻繁に家を出入りすることはないだろうし、俺のために飯をつくってくれることもないだろうから。
でもあいつが飯をつくるのは、死んだ母さんの代わりになっているだけだし、そもそも小遣い稼ぎのためなんだから、あいつが俺を慕っているなんて夢にも思わなかった。
だけど……だけど、あいつが見せた、あの悲しい姿。みんなの前で我慢しきれずに泣いてしまったあの姿は、真実だ。演技なんかじゃない。絶対に。
俺はどうすればいいのだろうか。リビングのカーテンを開けても眩しい光が差し込むだけだった。
* * *
朝から胃の調子がよくなかったから、昼過ぎまで何も食べないで片付けをしていた。けれど午後の二時を過ぎた頃になると空腹に耐え切れなくなってきた。
キッチンの棚を開ければ、カップラーメンのひとつくらいは出てくるだろう。そう思って棚を物色してみるが、
「なんもねえ」
そういえば昨日、だれかがキッチンで怪しい動きをしていたな。桂か山野のどっちかだ、きっと。
この際、空腹が満たされればなんでもいい。キッチンを手当たり次第に探してみたが、スナック菓子どころか煎餅の一枚すら見つからなかった。
「仕方ねえ。コンビニで弁当でも買ってくるか」
寒いから外には出たくなかったが、背に腹は変えられない。上下の着替えとコートを見繕って玄関の戸を開けた。
クリスマスの昼下がりは人の姿がなくて静かだ。うちのマンションは普段から人の出入りが少ないけど、今はいつにも増して静かだ。
エントランスでは、おばちゃんが井戸端会議でも開いていそうだが、それすら見当たらない。うるさくないことに越したことはないけど、今日は本当にクリスマスなのか? みんなどこへ行ったんだ?
駅前のコンビニに行って、幕の内弁当とデザートのプリンを拾った。ついでに漫画を立ち読みしていきたいけど、空腹を満たすのが先決だ。
すみやかにレジで会計を済ませてコンビニを出た。
こんなときでも上月のことばかり考えてしまう。
一晩が経って多少は考えが整理できたのだから、これ以上頭を使っても考えは発展しないっていうのに、嫌だよな。同じことを何度も頭に巡らせてしまう。
俺のことが好きだなんて、やっぱりおかしいぜ。
大体、俺のどの辺が性的な好みに合ったんだ。顔や見た目は論外として、性格は大してよくないし、運動だってできない。俺の取り柄といえば、クラスで多少は勉強ができるのと、ゲームがうまいことだけだ。
そんな取り柄と言えるかもわからないカードだけで、あの運動バカの上月のハートを捉えたっていうのかよ。そんなばかな。
昨日は山野からいろいろ言われて、過分に説得された感じだったけど、冷静に考え直すとやっぱり無理があるよな。上月が俺を好きになるのは。
どう考えても俺の性質と能力は、あいつの好みに合致していない。合っているところを探す方が難しい気がする。
山野は嘘を俺に教えて、昨日のパーティが台無しになってしまった責任を俺に押し付けたかっただけなんじゃないか?
「その可能性はあるかもしれないな」
思わず思考が口から漏れて、俺はまわりを見回した。幸いにも通行人はいなかった。
だが山野は、仲間に責任を押し付けるような男ではない。っていうか責任なんて、あいつは屁とも思っていないんじゃないだろうか。
また考えが堂々巡りしてしまった。エネルギーが不足しているから、昼食を早く済ませよう。
足早に岐路につく。自宅のマンションはすぐそこだ。
人のいない道路を少しだけ歩くと、マンションの敷地につくられた公園が見えた。
三組くらいの親子しか利用できないほどの狭い公園だから、利用する人はほとんどいない。遊具もブランコと小さな砂場しかない。
けれど、今日に限って公園に人の姿があったから、俺は少し驚いてしまった。人見知りの気持ちが心の底から沸き上がってきたから、塀の陰に隠れたくなった。
公園のブランコに座っていたのは、ひとりだけだった。近所の子どもでも親でもない。俺と同い年くらいの女子だった。
肩にかかるくらいの髪は少し茶色に染まっていて、ゆるいウェーブがかかっていた。細身のジーパンを穿いて、白いコートを羽織っている。
上月とよく似たその子はうつむいて、ブランコの鎖をにぎってい――。
「あっ……!」
また声が漏れてしまった。悲鳴は公園の静寂に響いて、相手がびくっと肩をふるわせる。
泣き腫らした顔を上げた彼女は、上月だった。