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第180話 妹原の積極的

「すごく楽しいコンサートだったねっ!」


 コンサートが終わって、俺は妹原とコンサートのあるビルを後にする。


「ああっ。クライマックスに差し掛かるたびに心が震えちまったぜ!」


 コンサートは二時間以上も演奏していたので、気づけばもう日が暮れてるぜ。だが、そんなことを忘れちまうくらいに俺は興奮している。


 クラシックの音楽なんて、俺は碌に聴いたこともない人間だけど、音楽を生で聴けるのっていいよな。クラシックの音楽がこんなにすばらしいものだったなんて、マジで知らなかったぜ。


 日本の最上級のプロの演奏家たちが奏でる音楽は、コンサートホールの力によって大迫力に演奏されるのだ。その圧倒的な音の力は、関係者はもちろん、ずぶの素人ですら簡単に魅了してしまうほどの強さとすばらしさを秘めていた。


 コンサートに行くまでは、どんな服を着ていこうとか、俺みたいな素人が行ってもいいのかなど、実に細かいことばかりを気にしていたけど、そんなことでいちいち悩む必要などないのだ。今はそう思えるくらいに消極的な気持ちが吹き飛んでいた。


 妹原が弾むような足取りで少し前を歩いて、


「コンサート楽しかったでしょ! クラシックの音楽って、だれが聴いても絶対に楽しいんだからっ」


 興奮冷めやらない感じで言った。


「ああっ。クラシックなんて、俺はぶっちゃけ全然知らなかったけど、すげえ楽しかったぜ! また聴きに行きたいぜ」

「でしょでしょ! 八神くんだったら、絶対にわかってくれると思ってたんだあ」


 妹原が歩きながら左回りにくるりと身体を回転させる。向こうから歩いてきた人にすれ違い様に当たりそうになって、慌てて頭を下げていた。


 いつもおとなしく机に座っている妹原とは大違いだ。妹原も興奮してテンションが上がったりするんだなあ。


「まだちょっと話がしたいから、カフェで少し話していかないか?」

「うん! そうしようっ」


 寄り道をそれとなく提案してみたら、妹原に快諾してもらった。コンサートの力って本当に偉大だぜっ。


 駅前のいつも行くカフェで、妹原とクラシックの熱いトークに花が咲いた。


 コンサートの興奮がまだ下がらない妹原はいつになく饒舌で、その口からクラシックの話が矢継ぎ早に繰り出されるのだ。


 フルートやヴァイオリンなどの楽器のことや、クラシックの有名な音楽やお薦めの楽曲など、俺が聞かなくてもどんどん話をし出すから驚いたな。


 クラシックの音楽に感動した俺は彼女の話にすごく興味があったし、何よりも彼女の普段では見られない素顔が拝見できて、これ以上なく幸せだった。


「妹原は、やっぱりクラシックが好きなんだな」


 話が一段落して言ってみると、妹原は少し恥ずかしそうに笑った。


「それ、さっきも言ってたでしょ」

「そうだったかな」


 俺が肩を竦めて惚けると、妹原がつられて笑った。


「音楽は、好きなのかな。子どものときからお父さんやお母さんに言われて、仕方なくつづけてたと思ってたけど」

「親御さんに強制されたのは事実かもしれないけど、嫌いだったらコンサートなんて行きたくないだろ?」

「うん。そうだね」


 妹原が俺をそっと見上げてうなずく。


「うちでフルートを吹くのが日課になってるから、自分の気持ちなんて今まで考えたことがなかったけど、八神くんの言う通りなのかもしれないね。プロの人が奏でる音楽を聴くと、楽しくて心がうきうきしてくるし……なんかね。胸に熱い気持ちが沸いてくるの」

「熱い気持ち?」

「うんっ」


 妹原がカフェラテの入るカップを置く。自分の左の胸に両手を添えて、


「ああ、わたしもがんばらなきゃ。もっともっと練習して、この人たちみたいにすばらしい演奏ができるようにならなきゃって、気持ちが前向きになるの。毎日の練習は辛いから、どうしても嫌になっちゃうんだけど、コンサートで演奏を聴くとね、辛い気持ちがリセットされるの」

「そうなのか」


 妹原はやっぱり毎日辛い思いをしながらがんばってるんだなって、思った。


 学校じゃ真面目に勉強して俺よりも優秀な成績を残しているのに、家では辛いレッスンを毎日こなしてるんだよな。


 妹原の両親はきっとかなりスパルタの人たちだから、毎日のレッスンは地獄だろうな。そんなことはあまり想像したくない。


 それでも音楽がつづけられるのは、妹原の真面目な性格も関係しているけど、音楽が好きだということが根底にあるんだろうなと俺は思った。


 ――というか、妹原のフルートの腕前はプロ級だから、そんな地獄の特訓などしなくてもいいんじゃないか?


「妹原の超級の実力だったら、もうプロの域に達してるんじゃないか?」

「ううんっ」


 妹原が右手を激しく動かして否定する。


「わたしの実力なんて、プロの人の足もとにも及ばないよっ。今日だって聴いてて、絶対に敵わないって思ったもん」

「そうなのかなあ。今日の演奏と、前に弓坂の別荘で聴かせてもらったときの演奏は大差ないと思ったけどなあ」


 俺が腕組みしながら唸ると、妹原がくすりと笑った。


「それは、八神くんがクラシックをまだわかってないからだよ。クラシックがわかってきたら、わたしがいかに下手なのか、手に取るようにわかるよ」

「そうなのかなあ」


 妹原の吹くフルートの音色は今でも鮮明に思い出せるけど、相当うまかったけどな。妹原の言う通り、俺の知識や音楽的なセンスが低いだけなのだろうか。


「ああっ、もうこんな時間。早く帰らないと、お父さんに怒られちゃうっ」


 妹原がスマートフォンを見て声を上げる。彼女との楽しいデートはもう終わりなのか。


 カフェを出て、駅の改札口まで妹原が送りに来てくれる。束の間のデートだったけど、最高に幸せだったぜ。


「じゃあ、俺は電車で帰るから」

「うん」


 妹原はうつむき加減で小さく返事する。消え入りそうな声は、心が簡単に奪われてしまいそうなくらい美しい音色を奏でていた。


 ここで別れたくないが、いつまでも彼女を待たせていてはいけない。俺は、悲しい気持ちを堪えて背を向けた――。


「八神くんっ」


 後ろから、妹原の声が聞こえた。


 妹原は、その場から一歩も動かないで俺をずっと見上げていた。まるで何かを待ち焦がれるように。


「八神くん。また、いっしょにコンサートに行ってもいいかな。いっしょに行ってくれる人、他にはいないから」


 ……ああ! なんということだっ。彼女から、誘ってくれるなんて。


 あまりに幸せな出来事が起きると、人は夢だと錯覚してしまうものだと漫画などでよく表現されるけど、そんな錯覚が本当に起きるんだな。


 なんだか頭がくらくらしてきて、その場にたおれ込んでしまいそうだ。


 今日のデートが終わっても、また次があるっ。大好きな人とふたりで、今日のような最高の一日を過ごすことができるんだ。


 俺は叫びだしたい衝動を抑えて、身体全身の力を使って肯定した。


「もちろんだっ!」


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