第175話 なんで怒ってるんだよ
帰りの電車に乗っていても、最高潮にまで高まった興奮は冷めやらなかった。
来週に妹原とふたりでデートできるんだと思うと、どきどきして顔面がすぐに紅潮してくるぜ。
露骨ににやにやしていると、となりのおばさんに不審者と勘違いされて駅員を呼ばれそうだから、気をつけよう。
程なくして電車が最寄の黎苑寺駅に到着する。帰宅時間が微妙にずれたから、降車する乗客で学生の姿は少ない。
期末試験はまだ二日も残ってるんだから、ひとりで浮かれていたらまずいよな。さっさと家に帰って試験勉強をやろう。
それにしても、上月が妹原に対しても距離をとっているなんて知らなかったな。あいつは一体どうしちまったのか。
あいつは妹原をいつも気遣っていたし、俺と同じくらいに妹原のことが好きなんだと思ってたけどなあ。ふたりが喧嘩している姿も見たことがないし。
駅の改札を抜けながら考えてみるが、それらしい原因をつかむことができない。
ええい、こんなに考えてもわからないのだから、まわりくどいことはしないで本人を直接的に問い質せばいいじゃんか。
あいつをしつこく尋問したら百パーセント嫌われるだろうが、仕方ねえ。わけもなく妹原に迷惑をかけるあいつが悪いんだっ。
帰宅して鞄をソファに置きつつスマートフォンを取り出す。
すぐにメーラーを開いて本文にいろいろ書いてみるが、文章を編集するのが面倒だな。
メールだとあいつにスルーされる可能性もあるから、あいつに電話してしまおう。
電話帳から上月のアドレスを表示して、俺は通話ボタンを押した。
試験期間中だから、今日はもうとっくに帰宅しているだろう。
だがスマートフォンの受話口から聞こえてくるのは、妙に明るい音楽の呼び出し音だけだった。電話をとられる気配がまったくない。
おかしいな。家にいるのは間違いないのに、なんで電話に出ないんだ? 俺の電話をことごとくスルーする気なのか?
留守番電話サービスに切り替わったので、俺は画面上の終了ボタンを押した。
夕食の後にもう一度電話をかけてみたが、上月の携帯電話につながることはなかった。
電話がだめなら、どうしようもないか。明日、学校であいつを問い質すまでだ。俺はリビングのテーブルにスマートフォンを置いた。
* * *
期末試験の二日目も現国や英語などの強敵が待ち構えていたが、解答用紙をすべて埋めることができた。
試験よりも今は上月のことが気になって頭から離れない。
試験の合間の休み時間に上月を観察してみたが、となりにいる妹原と数えるほどしか会話していない。妹原の言う通り、態度がどこか素っ気ない。
そんな様子を傍から見ていると、上月が妹原を避けているように感じる。妹原が懊悩するのもうなずける。
「八神。例のクリスマスパーティの――」
ホームルームが終わって上月が席を立ったので、俺も鞄を持って後を追う。後ろで山野から声をかけられた気がするが、今はそれどころじゃない。
上月は教室に目も暮れず、早足で廊下を歩いていた。だけど、その背中はどこか寂しげで、悲痛な印象すら受けてしまうのは、なぜだ。
「上月!」
となりの教室に響く声で呼んだが、上月は足を止めない。俺の堪忍袋の緒が切れて、俺は上月の手首をつかんだ。
「おい、待てよ!」
「はなしてっ!」
上月が振り向きざまに俺の手を振り払う。嫌な虫を追い払うような素早さで。
なんで逆切れされているのか意味不明だが、そんな細かいことはどうだっていい。なんで俺や妹原を避けるんだっ。
「お前、最近どうしたんだよ。家にも来ねえし。お前が夕飯をつくってくれないから、最近はコンビニ弁当ばっかり食ってるんだぞ」
……いやいや、俺の最近の夕食の事情なんて言わなくていいだろ。
「妹原だって困ってたぞ。お前に避けられてるって。理由もなく避けるなんて、ひどいじゃねえか」
上月は眉を吊り上げて俺を睨んでいる。怒りで顔は紅潮し、うすい口紅のついた小さな唇はひくひくとふるえている。
上月が稀にしか見せない、本気で怒っているときの表情だった。
どうしてお前が怒ってるんだよ。学校で平静を保てなくなるくらいに。マジでわけがわかんねえよっ。
「よくわかんねえけど、俺が何か悪いことでもしたのか? そうなら避けるんじゃなくて、俺に直接言ってくれよ。理由がわかんねえのに怒られたって、俺は何も対処できねえだろっ」
こいつの怒りの原因が俺にあることは、肌で感じとれる。体育祭があった頃からの俺の何かしらの行いが、こいつの逆鱗を刺激しているのだ。
じゃあ、その何かしらの行いってなんなんだよっ!? 俺は人の心を読むサトリでもエスパーでもないんだから、わかるように言ってくれないと理解できるわけないだろっ。
けれど上月は、充血した目で俺を睨むだけだった。小刻みにふるえる肩が、襟足に伸びる毛先を小さく動かす。
そして上月は、くるりと踵を返してしまった。
「おいっ!」
「雫と遊びに行くんでしょ。よかったじゃない」
上月は鞄の紐をにぎりしめて、階段を駆け下りていった。
なんで、このタイミングで妹原が出てくるんだよ。意味が全然わからねえっ。
「ふぇ? ライトっちゃん、なにしてんの?」
後ろから桂の能天気な声が聞こえてきた。
「さっき走り去っていったのは、上月氏か? あいつと喧嘩でもしたのか?」
どうやら俺の背後には木田もいるようだ。
「えっ! 上月と喧嘩って、マジマジ!? これがっ、俗に言う痴話喧嘩ってやつ!?」
「試験期間中に女と喧嘩するとは、ずいぶん余裕だな」
桂が廊下でばかみたいにはしゃぎ立てるので、まわりに人が集まってきてしまった。
今すぐに何かしらの釈明をしないと、俺と上月の関係が学校中で誤解されちまいそうだ。けれど、そんなことも些細なことに思えてならなかった。
俺は振り向きざまに桂の頭を小突いた。
「いってえ! ライトが暴力ふるったぁ!」
「お前が無駄に囃し立てるからだろっ」
「だって、愛しの上月と、喧嘩――」
桂の口からいらない言葉が漏れる前に、俺はその口をむんずとつかんだ。
「これ以上不要な言葉を吐いたら、お前だけクリスマスパーティに呼ばねえからなっ」
「ふぇ、ふぇい」
上月はなんで俺に怒ってるんだ。得体が知れないから、ものすごく不安だ。
あんなに感情が抑えきれなくなるほどに激怒させてしまったのなら、訳を俺に言ってほしい。こんな形で関係を終わらせたくないのだから。