第171話 今夜はクラスのバカ三名と試験勉強かよ
妹原と日が暮れるまで勉強していたから、帰宅した頃には夜の六時をすぎていた。
玄関の明かりをつけてリビングへと直進する。妹原とふたりでいたから、緊張してちょっと疲れたな。
クローゼットを開けてハンガーを取り出す。夕食の献立――といってもコンビニ弁当をひとつ買うだけだが――をぼんやりと考えながら制服のジャケットをかけていると、ポケットからぶるぶると振動が伝わってきた。
だれだ、こんな時間に電話してきたのは。上月が機嫌を直して電話してきたのかな。
左のポケットに手を突っ込んでスマートフォンを取り出す。液晶画面に表示されていた名前は、『山野柊二』だった。
山野が電話してくるなんて、めずらしいな。画面の左下にある通話ボタンを押して、受話口を耳にあてた。
「山野か。どうした?」
『こんな時間にすまないな。上月と夕飯でも食ってたか?』
「いや、食ってねえよ」
なんで、いの一番に上月の名前が出るんだよ。あいつはただの腐れ縁だっつうの。
「っていうか、あいつ、最近はうちにも来てねえし」
『なんだ、また喧嘩でもしたのか?』
受話口の向こうにいる山野の声は、今日も抑揚がないな。知らないやつが聞いたら、俺の話にまったく興味がないやつだと思われるが、こいつはこういう性格なのだ。
「喧嘩したおぼえはないんだけどな。よくわかんねえ……って、こんな雑談をしに電話してきたわけじゃないだろ?」
『ああ、そうだな。お前にちょっと依頼したいことがあってな』
俺に依頼だと? まさか、大統領の暗殺でも依頼する気じゃないよな?
『来週の期末だが、このままだと確実に赤になっちまうからな。お前に勉強を教えてほしいんだよ』
そういう依頼だったのか。性急にヒットマンにさせられるのかと思って冷や冷やしたぜ。
あいつに勉強を教えるのはやぶさかではないが、あいつには弓坂がいるんだから、弓坂に教えてもらえばいいじゃんか。
「勉強だったら、弓坂に教えてもらえばいいだろ。あいつだってお前に会いたがってるぞ」
前に弓坂が悲しんでいたので言ってみると、山野の口が少しだけ止まった。
『まあ、そうなんだが、あいつにかっこ悪いところは見せたくないんだよ』
それで俺に電話してきたのか。そういう言い方をされたら、双方の良き友人として断れないな。
「わかったよ。じゃあ、早月駅の近くのファミレスで集まろうぜ」
『ああ。だが集まるなら、役所の向こうのファミレスの方がいいんじゃないか? 駅前だと混んで勉強できないぞ』
山野は今日も相変わらず冷静だな。状況を的確に分析した最良な提案だ。
「そうだな。じゃあ、そっちのファミレスにするか。木田と桂を呼んでもいいよな?」
『ああ、俺はかまわないぞ』
「よし。じゃあ、それで決まりだな」
桂にも前に勉強を教えてくれと懇願されたから、ちょうどいいだろう。木田は、ついでだな。
電話を切って、ソファに寝っ転がる。少し休みたいので、十分ほどの少休憩をとってから身支度をしよう。
だらだらしながら、桂と木田にメールを打つ。着ていく服は、なんでもいいかな。
* * *
待ち合わせ場所のファミレスに着いたのは、夜の七時半だった。
外の階段を駆け上がって扉を押し開ける。山野が洞察した通り、駅からはなれたファミレスの店内は比較的に空いている。
「ライトっ、こっちこっちぃ」
「遅えぞー」
ドリンクバーの向こうの席から桂と木田の声が聞こえてくる。山野を含めた三人は、すでに到着していたみたいだ。
「悪いな、待たせちまって」
「きみが遅刻するのはいつものことだからな」
山野のとなりに座ったら、木田にすかさず突っ込まれてしまった。俺は遅れてくるキャラというのが、友人たちの間で定着してしまったようだ。
店員にドリンクバーを注文して、とりあえずオレンジジュースでも飲もう。ドリンクバーでジュースを注いだ。
「それで、勉強は捗ってるのか?」
「いいや、お前がいないから、まったく捗っていないぞ」
テーブルに広げてある山野のノートは、ほぼ白紙だ。木田と桂のノートもおんなじだな。
「お前ら、なんのために集まったんだよ」
「だってぇ、ライトっちゃんがいないと、ぜぇんぜん、わかんねえんだもん」
「そうだぞ。だから私たち三人は、お前が来るのを虎視眈々と待っていたのだぞ」
木田の虎視眈々という言葉の使い方が微妙に間違っている気がするが、その程度の間違いをいちいち指摘していたら夜が明けちまうな。やれやれ。
山野が数学を教えてくれと言ったので、今日は数学をメインで勉強することにしよう。鞄から教科書とノートを出してテーブルに広げる。
期末試験の数学の範囲は、二次関数と確率だ。
「まずは二次関数だな。六十四ページ開いてるか?」
「わあ、ライト、なんだか先生みてえ」
ヅラ、余計なちゃちを入れるな。
数学で点数を取る簡単な方法は、基礎の問題を解くことだ。
クラスの平均点くらいの点数を取るだけだったら、これだけで点数アップにつなげることができる。訳のわからない応用問題なんて解けなくてもいいのだ。
そして基礎問題を解くコツは、数式を頭に詰め込むことだ。
数学の点数が低いのは、そのほとんどが数式を記憶していないからなんだ。記憶できない原因は人それぞれだが、要はごちゃごちゃ考えずに頭に詰め込んでしまえばいいのだ。
「うー。ぜぇんぜん、わかんねえ」
「数学とか、そもそも勉強する必要あるのか?」
桂と木田が教科書を眺めて悲鳴を上げる。山野は言葉を発していないが……発していないんじゃなくて、思考が固まって発せないんだな。
「二次関数なんて中学でも習っただろ。この左辺の四が、右辺のXに代入されて――」
「はあ? この四がなんでこっちに行くの!?」
「八神、ちょっと待て。説明が早すぎる」
仕方ないので桂の教科書をつかって説明したら、三方からさらに悲鳴が上がってしまった。
「つーかさあ、二次関数って、なんなの? こんなの習って、俺たちになんの得があるわけ?」
「それ以前に、私は関数というものがイミフすぎて超嫌いなのだが」
「税関とかでつかわれているから、関数と呼ぶんじゃないか?」
「うっはぁ! 山野お前、あったまいーなぁ!」
……これは大変だぞ。関数すら知らずに爆笑している二名と、無表情で何を考えているか今日もイミフな一名を躾けないといけないんだから。
妹原がいかに優秀なのか、身をもって思い知らされるな。背骨が抜けて脱力しそうになった。
「そんなわけねえだろ。っていうか山野、税関っていう言葉が出るのに、なんで関数がわかんねえんだよ」
「昨日テレビをつけたら、イギリスの税関が映ってたからだが。おかしいことを言ったか?」
山野が真顔で返答したのが受けたのか、桂と木田が腹を抱えて笑った。
 




