第161話 山野はやっぱりイケメンだった
「八神から、弓坂のことをいろいろ聞いたんだ。それで、話をちゃんとしないといけないなと思ったんだ」
夕空を眺めている山野の声の調子は、いつもとさほど変わらない。緊張している感じじゃないから、弓坂のことを振ってしまうのか。
「文化祭のあのときは、本当にすまなかった。弓坂の気持ちをわかってやれていなくてな。……雪村のことは、話せば長くなるんだが――」
「待って」
山野の抑揚のない言葉を、弓坂が果敢に遮った。
「あたしは、準備はもうできてるから。ヤガミンに、全部、教えてもらったからっ」
俺の名前が出て、なぜか胸が痛んだ。
「だから、言って。ヤマノンの、正直な気持ちを。……あたしは、全部受け入れるからっ」
なんでだろうな。弓坂の細くも凛とした背中を眺めているだけで、俺の気持ちはすでに感動と切なさで張り裂けそうになっていた。
文化祭のときは、目が離せないほど頼りなかったのに、こうして現実と自分の気持ちに向き合っているんだ。
不安と恐怖に押し殺されそうになっているんだろうけどな。
――弓坂、がんばれ。
「未玖ちゃん……」
妹原も弓坂の勇ましい姿に感動したのか、しくしくと涙を流している。
俺はポケットからハンカチを取り出して、妹原へ渡した。
山野は無言のまま空を眺めて、やがて身体を手すりへ向けた。両手をついて校庭をしげしげと見下ろしている。
相変わらず無表情なあいつは、度の入っていないレンズで校庭を見続けている。返答を言い渡そうとしない。
あいつをよく知らないやつが見たら、あのイケメン野郎はなんて薄情な男なんだと思うかもしれない。
だが付き合いの長くなってきた俺にはわかった。あいつは悩んでいるのだ。
元カノの雪村とどんな話をしたのか、あの後の顛末を聞いていない俺にはわからない。そもそも雪村と何も話をしていないのかもしれない。
彼女への未練はいまだに断ち切れていないのだろうが、一方で弓坂のことが好きなのかもしれない。
そうでなければ、いつでも明敏な思考回路で答えを出すあいつがあんなに懊悩したりしないはずだっ。
「んもうっ、何やってんのよ、あいつはっ。早くオーケーしちゃいなさいよ」
「待て。安心しろ、あいつはたぶん、いい答えを出してくれるはずだっ」
上月の肩に手をあてていた俺の心の奥底から、確信めいた何かが沸き上がってきた。
「あいつは今、過去に決着をつけようとしているんだ。その決断に時間がかかってるが、だいじょうぶだ。あいつはきっと、なんとかしてくれる」
俺は祈る思いで言った。
山野は肩を落として、そっと嘆息した。そして目を瞑り、思いふけるようにうつむいた。
「もう少し、俺に時間をくれないか。自分の気持ちにけりをつけて、お前の気持ちに応えたいから」
あいつの口から発せられた言葉には、少しも飾り気がなかった。
「今すぐに答えを出すことは、できない。あれから何度も考えて、お前になんて応えようか悩んだが、結論はどうしても出せなかった。だが雪村とは話をして、完全に別れることで話をつけている。だから、後は俺の気持ち次第なんだ」
そうだったのか。彼女とちゃんと折り合いをつけていたんだな。
じゃあ、あいつは、弓坂は――。
「自分の気持ちを清算して、お前の気持ちにしっかりと応えたい。だから、すまない。もう少しだけ、待ってくれ」
……なんだ。弓坂の気持ちに、もう応えてるじゃんか。
山野は、やっぱり憎いイケメン野郎だった。女子にもてるのに意外なほど硬派なあいつは、大事な女を泣かせたりしない。
かっこよすぎて、俺まで惚れそうになっちまうぜっ。
弓坂は言葉もなく立ち尽くしていた。だが肩がふるえて、ゆるやかにウェーブのかかったブロンドの髪がゆれているのがわかった。
そして手で顔を隠して、突然あいつの膝がくずれた。
「弓坂!?」
山野が驚いて駆け寄る。片膝を立てて弓坂の肩を支える。
「弓坂、だいじょうぶか」
「ヤマノン……ずるいよぅ」
弓坂の声は涙でかすれていた。
「振られると、思って……来たのにぃ……それじゃあ……諦め、られないよぅ」
その涙は嬉し涙なのか。それとも悲しい気持ちからこみ上げてきたものなのか、わからない。
でも、俺の心に満たされたこの気持ちに、悲しさなんてない。
「弓坂。つらい想いをたくさんさせちまったな。許してくれ」
山野の声色は今でも抑揚がない。それでも、あいつが困り果てているのがわかった。
「あんたの言った通りね。エロメガネもなかなかやるじゃない」
上月が胸を撫で下ろすように言った。
「あいつは弓坂を悲しませたりしねえよ。そんなひどいことはできないやつだからな」
「そうね」
上月はドアを閉めようと思ったのか、ドアノブから手を離す。だが俺と妹原は上月の肩にもたれかかっていたので、上月の支えを失ってしまった。
「きゃっ!」
「やべっ」
俺と妹原が、上月を押しやるかたちで前のめりにたおれる。閉めかかっていたドアを、そのまま両手で押し開けた。
「あ、ちょっとっ」
勢いよく開け放たれたドアから、俺たち三人が雪崩のように飛び出る。――向こうで抱き合っていた山野たちに堂々と姿を晒してしまったのだ。
「お、お前らっ」
山野が驚いて立ち上がる。泣いていた弓坂もはっと顔をあげて、俺たちにふり向いた。
「やべ、逃げるぞっ」
俺はすぐさま起き上がって、妹原と上月を起こす。急いでドアノブをまわしてドアを開けた。
だが妹原と上月は呑気に笑って、
「未玖ちゃん、おめでとう!」
「あんた、未玖を幸せにしなかったら蹴飛ばすからねっ」
今日の感想をゆっくり言ってる場合じゃないだろ!?
「ばか、何やってんだ!? 早く行くぞっ」
山野と弓坂を直視できなかったので、俺は妹原と上月の背中を押しやって屋上を後にした。
だが俺も、心の中で感想を言った。
弓坂。――よかったな。




