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第148話 透矢の親父はしつこいが……

 程なくして駅前の自宅のマンションへと到着した。


 一階のエントランスの壁はガラス張りになっていて、外からエントランスの内部を眺めることができる。


 郵便ポストとオートロックの扉しかないエントランスには、昼夜問わず人の姿がない。このマンションには住民がいるのかとたまに心配になるくらいだ。


 それなのに今日は、オートロックの扉の前をうろうろする不審者の姿があった。


「透矢、どうしたの?」


 足の止まった俺の顔を上月が覗き込んでくる。


 その男は白いシャツに灰色のスラックスのズボンを穿いている。どこかの会社の営業マンみたいな服装だが、顔なんて見なくてもだれだかすぐにわかる。


 俺の親父だ。間違いない。


 あの野郎、性懲りもなくまた俺の前に姿をあらわしやがったのか。だが家の鍵を持っていないあいつにオートロックの扉を開ける資格なんてないのだ。


「あっ……!」


 上月も親父の存在に気づいて驚きの声を上げる。そしてまた俺に目を向けた。


「どうするの? あんたに会いに来てるんでしょ」

「知らねえよ。話すことなんて、俺には何もねえ」


 俺はかまわずにエントランスへと足を踏み入れた。


「ああっ、透矢!」


 親父は俺を見るなりわざとらしく声を上げる。


「透矢、今日も学校だったのか? インターフォンでいくら呼んでも出てくれなかったから、何かあったのかと思って心配していたんだよ」


 何が心配していた、だ。調子のいいことばかり抜かしやがって。


 心の底から沸き上がる怒りを抑えて、俺は郵便ポストのロックを開ける。山のように入っている広告チラシを下のダンボールに入れて、郵便ポストを閉めた。


 上月は俺の様子を伺うように、ちらちらと俺を見ながら郵便ポストを開けている。


 昨日に続いて今日も俺たち家族の問題に巻き込んでしまって、申し訳ないな。


 こんなくだらない問題で迷惑をかけたくないと思うが、何かいい方法はないものだろうか。


 親父は俺から少し離れた場所で御託を並べていた。耳を傾けていないから、言葉の内容はわからないが。


 俺が無視してオートロックを開けて、奥のエレベーターへと向かうと、


「透矢っ」


 ついに我慢できなくなったのか、気持ち悪い手で俺の手首をつかんできた。


「離せ!」

「透矢、ひどいじゃないか。父さんを無視するなんて。俺はお前をそんな風に育てた覚えはないぞ」


 育てた、だと? おとなしくしゃべらせていたら、調子に乗りやがって。


 俺を育ててくれたのは母さんだ。自分に都合よく事実を捻じ曲げるなっ。


 怒りでふるえる手を上月が両手でつかむ。俺は深呼吸して、かろうじて怒りを鎮めた。


「まず最初に言っておく。俺を気安く名前で呼ぶな」


 俺は左手で親父を指した。


「俺を名前で呼んでいいのは、死んだ母さんと、上月や学校の友達だけだ」

「じゃ、じゃあ、なんて呼べば……」

「そして俺は、お前なんかに育てられた覚えはない。俺を育ててくれたのは、死んだ母さんだけだ」


 俺は上月の手をはなして踵を返した。


「オートロックの中に勝手に入るなよ。入ったら不法侵入者と断定して警察へ通報するからな」



  * * *



「よかったの?」


 エレベーターの六階と七階のボタンを押したときに上月がそう聞いてきた。


「いいんだよ。あんなやつと話すことなんて、今さら何もない」

「そう」


 本当に今さらだと思う。母さんが死んで、二年が経ってほとぼりが冷めたときを狙ってあいつは帰国してきたのだ。


 俺を実の子どもだと思っているのなら、なんでもっと早く姿をあらわさなかったのか。母さんがたおれて入院する前に、できることはたくさんあったはずだ。


 あいつのそういう不誠実さがわだかまりの原因になっているのに、あいつはそれが何ひとつとしてわかっていないのだ。


 あんな調子のいい、自分の都合しか考えていないやつを俺は断じて許すことができない。天国にいる母さんだって、そう思っているはずなんだ。


 エレベーターが六階に着いて、鉄の壁のような分厚い扉が横にスライドする。


 自分のフロアに着いたが、上月はエレベーターを降りずに立ち止まっていた。


「どうしたんだよ。早く降りろよ」


 上月は肩にかけた鞄の紐をにぎりしめたまま立ち尽くしている。下を向いて、何かをじっと考えているようだ。


 そして不意に顔を上げて、


「ちゃんと話をした方がいいんじゃないかしら」


 真剣な面持ちでそう言った。


「ちゃんと話すって、なんだよ。あの野郎と面と向き合って話をしろって言うのか?」

「……うん」


 お前、もしかしてあいつと和解させようと思っているのかっ!?


「お前、まさか、あいつを味方するつもりなのか!? お前だけはわかってくれると思っていたのに――」

「違う! そうじゃないっ」

「じゃあ、どういう意味だよ。言っておくが、あいつは母さんを見殺しにした野郎なんだぞ。忘れたわけじゃ――」

「あたしはっ、今の状態が、あなたのためにならないと思ったのよっ」


 今の状態が、俺のためにならない……?


 上月が言いあぐねて言葉を何度かつまらせる。


「あたしだって、あなたの気持ちはわかってるわよ。っていうか、あなたのお母さんを見殺しにしたあの人は、あたしだって憎いわ。でも、だからこそ、今の気持ちをちゃんと伝えるべきだと思うのよ」


 上月からの思いも寄らない言葉に俺は茫然と聞き続けるしかなかった。


「あの人のことは許せるわけないでしょ。だから、その意思をちゃんと伝えて、あの人を心から反省させないといけないのよ。そうしないと、あの人に何度も付きまとわれて、あなたが嫌な思いをし続けることになるわ」


 上月の口から出る言葉は正論だと思った。


 あの野郎のことを許すことはできない。その正当な理由もある。


 それをあいつに伝えるべきだという上月の主張は、とても理に適っている。


「さっき言ってたでしょ。過去に縛られて、前に進めないでいるのはよくないって。あの人をこのまま避け続けていたら、あなたも前に進めなくなるわっ」


 エレベーターの扉を開けるボタンをずっと押していたから、エレベーターから警告のブザーが鳴り出した。俺は上月といっしょにエレベーターを降りた。


 エレベーターの扉が閉まってしばらく沈黙する。俺の家族の問題は、山野の問題と同様に数分で結論を出せるようなものじゃない。二の言葉が口から出て来ない。


 上月も言いすぎたと思っているのか、気まずそうにうつむいている。しかし今の俺にとって、とても大事なことを言ってくれたと思う。


 俺は頭を掻いた。


「わかったよ。お前がそう言うなら、話し合ってやるよ。っていうか、絶縁の宣告をするだけになるかもしれないけどな」

「……うん」


 この気まずい空気を吸い続けるのは耐えられなかった。俺は背中を向けた。


「俺の家のつまんねえ問題に付き合わせちまって、すまねえな。じゃあな」


 俺は逃げるように七階への階段を探した。


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