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第145話 山野の決意

「なあ、八神」


 表情のない顔で茫然としていた山野が口を開いた。


「なんだ」

「俺は、どうしたらいい」


 その弱り切った返答は、降参を示していた。


 いつもクール然として、迷うことなんて一度もないこいつが言いあぐねているのだ。よほど思い詰めているんだな。


「どうしたらいいも何も、元カノのことが忘れられないんだろ?」

「そうなんだが、それではいけないこともわかっているんだ」


 山野が身体を起こして拳をにぎる。


「前にも話したと思うが、俺は雪村が好きだ。あいつと別れて半年以上も経っているのに、自分でもびっくりするくらいに気持ちが変わっていなくて――いや、むしろ気持ちが前よりも強くなっているくらいだ」


 山野のまっすぐな想いが俺の心を打つ。


「なんでだろうな。俺から別れを切り出して、ちゃんと踏ん切りをつけたはずなのに、再会してからあいつのことばっかり考えているんだ」


 そんなにも元カノのことが好きだったんだな。かける言葉が見つからない。


「弓坂の気持ちには応えてやりたい。しかし自分の気持ちが整理できていない今は、あいつの気持ちに応えることなんてできない」


 ああ、やっぱりダメだ。このままだと弓坂が振られてしまう。なんとかしなければ。


「先にお前に確認しておきたいんだが、弓坂のことは嫌じゃないのか?」


 根本的なことを確かめようと思って切り出してみたが、山野に目を細められてしまった。


「どういう意味だ」

「深い意味はねえよ。元カノのことは抜きにして、単純に弓坂のことをどう思っているのか聞いてみたいだけだ」

「友達思いのお前にしては妙なことを聞くんだな。俺が弓坂を嫌っているわけがないだろう?」


 友達としてお前が弓坂を嫌っていないことはわかっているんだが。――質問の仕方を間違えたかな。


「なら、弓坂から付き合ってくれと言われたら、どうするんだ? 首を縦に振れるのか?」


 当たり障りのない言い回しができなかったので素直に問うと、山野がまた口を噤んだ。


「弓坂は、きっと玉砕するつもりで告白しに来るぞ。そのときにお前はなんて応えるんだ? 言っておくが、元カノと二股をかけるような選択をしたら俺が許さないぞ」


 こいつが弓坂をたぶらかすことはないだろうが、強めの言葉がするりと口から出てしまった。


 この期に及んでこいつを責め立てるようなことはしたくない。しかし、しっかりと注意しておかなければ、弓坂が不幸になってしまうかもしれない。


 俺は弓坂の気持ちを知っているし、山野の元カノへの想いも理解しているつもりだ。だから、どちらか一方に気持ちを諦めさせるようなことは薦められない。


 だが弓坂の気持ちを優先すれば、山野の気持ちが犠牲になる。しかし山野の想いを優先したら、弓坂がまた悲しむことになるのだ。


 ――ああ、どうして片方を望むと、もう片方が不幸せになるんだろうな。現実は時に不条理だ。


 ハッピーエンドが約束されたゲームや漫画だったら、ふたりがあっさり結ばれて幸せになれるはずなのに。恋はつらいな。


 晴天から降り注ぐじりじりとした日差しが公園の土を照りつける。もうすぐ九月が終わって十月になろうとしているのに、夏の残暑は未だになくなる気配を見せない。


 公園のベンチには屋根が設置されているから、猛暑の容赦のない日差しを受けていないけど、日陰でもじっとしているだけでシャツの内側がだんだんと汗ばんでくる。


 山野はベンチに置いたペットボトルで給水することを忘れて、茫然と公園を眺めていた。遠くのブランコを見つめながら、弓坂への返答を考えているのだろうか。


 山野がなんて返答するのか、俺でも予想することができない。弓坂にひどいことはしないだろうが、それ故にきっぱりと断るかもしれない。


 こいつが弓坂を振ったら、もう三人で昼休みに食堂に行くことはできないのだ。それどころか、夏休みのときみたいに妹原や上月を含めた五人で遊びに行くこともできなくなるんだろうな。


 それが嫌だったから、俺はふたりの陰で微力を尽くしていたが、その程度の理由で問題が回避できたら、世の中の男女が失恋して不幸になることはないのだ。


「八神は、俺が弓坂と付き合ってほしいって思ってるんだよな」


 山野がいつもの無感情な横顔で口を開いた。


「俺が断れば、弓坂と仲良くすることはできなくなる。そうすると、当然お前や上月たちにも影響が出るからな」


 こいつもどうやら同じことで頭を悩ませているんだな。――やれやれ。


「俺たちのために自分が犠牲になろうとするなよ。そんなこと、俺や上月たちは少しも望んでいないからな」


 本音を言えば、今までの人間関係に傷をつけたくないんだが、個人的な都合を押し付けてはいけない。


 俺がきっぱりと言い切ると、山野はなぜか俺を見出した。そしてメガネの縁を右手でつまんで、


「今日のお前は、やけに厳しいんだな。ヘタレのお前に厳しくされるとは思ってもいなかったが」


 ヘタレで悪かったな。


「お前がいつも俺に厳しくしてくるからだろ。そのお返しだ」

「お返しか。なるほど」


 山野は何かに納得して視線をブランコへと戻した。


 日差しの強い公園の入り口に人影が見えて、目を向けると五歳くらいの女の子と母親らしき人が入ってくるのが見えた。


 その後ろには同じくらいの歳の男の子がいる。こんな暑い時間に公園で遊ぶのだろうか。


「雪村と再会したときから、もうひとつ、漠然と思っていたことがあるんだ」


 子どもたちがブランコではしゃいでいるのを見ていると、山野がまた口を開いた。


「なんだ?」

「あいつにはもう関わってはいけないということだ」


 山野が下を向いてわずかに肩を落とした。


「俺がどう思っていようとも、あいつの夢が変わることない。俺の存在は、むしろあいつの足枷あしかせになるだけなんだ。だからあの時、俺はあいつと再会して、自分の軽挙に後悔した」


 山野が言っているのは、土手で再会した時のことだな。あの時、お前はそこまで考えていたんだな。


「それでも、これは俺と雪村の問題でしかないから、仕方のないことなのだと自分に言い聞かせていた。雪村が帰ってきた今だけ再会して、あいつが帰ったら俺もまた忘れる。それならあいつの邪魔にならないし、俺の下らない未練を慰めることもできる」


 下らない未練だなんて、そんな自虐の仕方があるだろうか。


「でも、状況はそんなに単純じゃなかった。文化祭のあの日、弓坂は俺を見て豹変し、お前や上月たちにまで影響を及ぼしてしまった。俺が雪村に近づいたことで、これほど大きな問題が起きてしまうなんて、とても予測できなかった」


 そんなことはないと山野に反論したいが、すべて現実で起きてしまったことだから、反論の余地はなかった。


 山野がベンチに置いていた鞄を肩にかける。立ち上がって俺を見下ろした。


「お前から話を聞いて、それがやっとわかった。俺たちは今のままではいけない。過去を清算して、新しい一歩を踏み出さなければいけないんだ」


 俺たちというのは、俺や弓坂のことを指しているのだろうか。俺も鞄を持って立ち上がった。


「そろそろ行くのか?」

「ああ。ここにずっといたら熱中症でたおれそうだからな。話も大体まとまっただろ?」


 日陰にいても暑いことには変わりないし、ずっと留まっていたら間違いなく熱中症で病院へと搬送されちまうからな。


 しかし、ひとつだけ、山野にどうしても伝えておきたい。俺は言うかどうか迷ったが、意を決して山野に頭を下げた。


「山野、頼む。どうか、弓坂のことを振らないでくれ。あいつはいいやつだし、お前のことが本当に好きなんだ。お前が複雑な人間関係の渦中にあることは知っているけど、俺は……あいつが泣いているところをもう見たくないんだ」


 脳裏に弓坂の泣き顔が映し出される。あいつのあんな姿は、俺は見たくない。


「身勝手な希望だっていうのは重々承知しているつもりだ。だが、頼むよ」


 もっと理論的で説得力のある言葉で伝えたかったが、混乱や恥ずかしい気持ちなどがごっちゃになって、しゃべる文章が頭で整理できなかった。


 それでも山野は、いつもの無表情な面で俺の言葉をじっと聞き届けてくれた。


「わかった」


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