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第144話 山野に、すべて言うしかない

 ホームルームで担任の松山さんがやってきて、教室の荒れ果てた状態に年甲斐もなく絶叫していたけど、すぐに事態を察知して「教頭先生には内緒よぉ」ということにしてくれた。


 松山さんの無駄にくねくねした動きはいつ見ても気持ち悪いが、やはり生徒思いのいい人だ。喧嘩の件はさらりと水に流してくれた。


 だが元気のない弓坂に話しかけようとしたら、上月に遮られてしまった。「あんたが未玖に近づくとまた誤解されるでしょ」というのが、その理由だった。


「未玖のことは、あたしと雫でなんとかするから、あんたは向こうに行ってなさい」

「そうだよ。わたしたちにまかせて!」


 妹原も上月のとなりで小さくガッツポーズしてくれる。ふたりの厚意が、虚しさで空っぽになっていた俺の気持ちを優しく埋めてくれた。


 ふたりに感謝して俺はひとりで文化祭の片付けをはじめた。


 今日は文化祭の片付けをするだけで、幸いにも授業は一時間もない。しかも午前中で終わるから、三時間がんばれば解放されるのだ。


 片付けなんてやりたくないけど、昨日さぼってしまった分を取り返さないといけない。俺は面倒なダンボールの処分などを率先して引き受けることにした。


 木田はあれから姿を見せていない。切れて家に帰ってしまったのだろうか。


 居られても話すことなんてないし、今は顔すら見たくないから、居なくてもかまわないけどな。殴られた頬がずきずき痛むぜ。


 桂はどうしたらいいのかわからないのか、俺をちらちら見ては、話しかけづらそうにしょげていた。


 あいつは何も悪くないから、独りにさせるのはかわいそうだ。けど今は、あいつに笑顔で話しかける余裕なんてない。桂、すまないな。


 だれとも会話せずに黙々と作業していると、家に独りでいるような感覚に襲われる。


 ここは学校で、まわりにはクラスメイトがたくさんいるのに、俺は独り。――突然辺りが暗闇になって、心に静寂が訪れるような気分になるのはなぜだろう。


 独り暮らしをはじめてから、時折襲ってくる、静寂。忙殺される毎日を忘れさせてくれる好意的なものであると捉えているけど、同時に底知れぬ虚しさを俺に与えていく。


 虚しさに支配されると、とてつもない虚脱感に襲われる。何かをする気が急速に失われて、何もかもがどうでもいい気分になってくるのだ。


 なぜこんなものが俺の心にあらわれるようになったのか、よくわからない。俺は独りでいることに慣れていると思っているけど、実情はそうではなくて、人とのつながりを求めているのだろうか。


「八神」


 背後から肩を叩かれて俺は、心臓が止まりそうなくらいに驚いてしまった。


 振り返ると山野がそこに立っていた。


「あ、山野か」

「だいぶお疲れのようだが、少し休んだ方がいいんじゃないのか?」


 山野は普段の興味なさげな顔で言う。そう言われると、なんだか疲れているような気がしてきた。


 俺は紙花や紙の輪が入ったダンボールの箱を床に置いた。


「片付けなんて、やっぱりめんどくせえな。早く終わりにして家に帰りたいぜ」

「そうだな。清掃業者に丸投げできればいいが、俺たち学生に大人を使う権限なんて、保守的な日本社会において認められていないからな」


 山野が腕組みして微妙に哲学じみた言葉を放つ。俺はついさっき教室で乱闘をかました危険人物だっていうのに、お前の達観した態度には本当に敬服するよ。


「ところでお前に聞きたいことがあるんだが、上月がさっき言っていたことは本当なのか?」


 山野が歯に衣を着せない聞き方で詰問する。お前はまだ俺を信じてくれていないのか。


「俺を、疑っているのか?」

「疑うも何も、状況がわからなければ疑いようがないだろう」


 山野が腰に手をついて嘆息した。


「お前と弓坂に妙な噂が立っているみたいだが、そうなっちまった原因は俺にあるんじゃないのか?」


 お前――弓坂の気持ちに気づいていたのか?


「弓坂は、一昨日に俺を見て様子がおかしくなった。違うか?」


 お前の言う通りだが、公然とそうだとは言えない。俺は黙ってうなずいた。


「俺はあいつに何もしていないはずだが、一昨日のことがずっと気になっていたんだ。そうしたら、昨日はお前と弓坂がそろって学校を休んだ。……木田やまわりのやつらは妙な勘繰りをしているみたいだが、お前と弓坂の関係はよくわかっているつもりだ。まわりのやつらの言っていることは、核心を突いていないと思った」


 お前はそこまで見抜いていたのか。


 クラスの連中がこぞって噂を囃し立てているんだから、その意見に流れてしまってもおかしくないのに、すごいな。


 こいつの芯の強さと、俺と弓坂を信じてくれる気持ちの強さに本気で脱帽してしまった。


「お前たちに迷惑をかけているのなら、俺も事態の収拾に向けて何かしてやりたい。だから、お前の知っていることを俺に教えてほしいんだ」


 山野はやはり友達思いのいいやつだった。見かけによらずに健気な姿勢が俺の胸を打った。


 しかし山野の知らない真実を話すということは、弓坂の恋を終わらせるということだ。それを俺の手で下してしまうのか。


 一方で俺はさっき木田と殴り合いの大喧嘩をして、クラスのみんなにも多大な迷惑をかけてしまった。こうなってしまった以上、いつまでも事実を秘匿するわけにはいかない。


 通学するのがやっとの弓坂では、真実を伝えることはきっとできない。俺があいつの代わりに真実を話すしかないのか。


 どうするのが正しい判断なのか、今の俺にはわからなかった。


「すまないが、ここでは話せない。後で時間とれるか?」

「今日は夕方からバイトがあるから、それまでなら問題ない。川の向こうに人の来ない公園があるから、そこで話を聞こう」


 山野は迷いのない目で即答した。



  * * *



 文化祭の片付けが終わって、俺は山野についていった。


 途中にコンビニで昼食用のおにぎりとコーヒーを買ったが、この後のことを考えると食欲はとても沸かなかった。


「なんということだ……」


 公園のベンチに腰かける山野が愕然と脱力する。表情の乏しい顔で。


 山野が言っていた公園で俺は知っているかぎりのことを話した。一昨日から昨日までの経緯に、親父が急にあらわれたこと。――そして、弓坂の気持ちを。


 山野はやはり弓坂の想いに気づいていなかった。唖然と言葉をなくして空を見上げている。


「お前たちの問題に俺がそこまで密接に関与していたとは、思いもしなかったな」

「気づけなかったのは仕方ねえよ。俺だってあいつに言われるまで全然気づかなかったからな」

「そうだったのか」


 山野がベンチの背もたれに頭をつけて長嘆する。


「お前のことをこれまで鈍感だと言ってきたが、そんなことはもう言えなくなっちまったな」


 俺はだれからも好意なんてもたれていないから、鈍感ではないと思うが、そんな言葉のあやなんてどうでもいい。


「入学したころは好意なんて少しも感じなかったが、いつからあいつの心が変わったんだ?」

「さあな。正確な時期はよくわかんねえけど、俺があいつから聞いたのは夏休みの旅行のときだ。少なくとも、それより前から気になり出したんじゃないのか?」

「そんなに前からだったのか」


 山野が茫然とつぶやいた。


「俺は、雪村と再会できたことに舞い上がっていたんだな。あいつに好意を持たれているなんて、考えたこともなかった」

「いや、仕方ねえよ。好きな女に会えたら、だれだって舞い上がっちまうんだから。お前は何も悪くない」

「しかし弓坂は、俺みたいなやつのどこがいいのだろうか。俺にはまったく理解できん」


 そう言って山野が真顔で首をかしげる。お前は女から見て、かなり性的な魅力で溢れていると思うけどな。


 けれども、無表情で考え込んでいるところを見ると、本気で理解しかねているらしい。そんな姿が実に滑稽だった。


「そればっかりは俺もよくわからねえな。あいつから直接聞き出すしかないだろ」

「そうだな」


 山野が向こうの滑り台を見やる。人のいない公園は静かで話しやすいが、寂れた商店街のような印象を受ける。


 中学生のときはこんな場所でしみじみと恋愛の話なんてしたことなかったな。高校に入学して成長したのか、それとも根暗な性格がより強くなってしまったのだろうか。


 そんなことを無駄に思案しながら、山野の次の言葉を待った。


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