第133話 立ち直れない……
三人でのんびりと夕食を楽しみながら話をしていると、学校や文化祭の話に花が咲いた。
ドリンクバーを食事といっしょに注文していたから、早く帰る気にもなれず、結局二時間くらいファミレスで時間をつぶしてしまった。
あんまり夜遅くになると、たしか県の条例に引っかかるんだよな。未成年は深夜に外出しちゃいけないという理由で。
なので、夜の九時をすぎた頃に俺たちはファミレスを後にした。
途中でコンビニに寄って、ジュースや菓子まで買ったから、自宅のマンションに戻ったときには九時四十分をすぎていた。
「あ、未玖のパジャマをもってこなくちゃ」
マンションのエントランスに着くや上月が口を開いた。
そういえば弓坂に着させるパジャマがないな。上月の私服で寝るのは寝苦しそうだし。
「あたしのパジャマと未玖のジャージをもってくるから、あんたたちは先に戻ってて」
「ああ」
「えっ、い、いいよぅ。そんな、悪いし」
弓坂はオートロックの扉の前で遠慮するが、上月が首を横に振った。
「だめだめ。こんなときでもちゃんとお風呂に入って、ぐっすり寝なきゃ。ストレスと不眠は美容の大敵よ」
上月はそんな名言を残して、六階でエレベーターを降りていった。お前は美容なんて気にしてるんだな。知らなかったよ。
七階に到着して自宅の鍵を開ける。なんとなく思いついてファミレスに行ったけど、こんなに夜遅くになるなんて思わなかったな。
照明をつけてリビングへと移動する。ジュースと菓子の入ったビニール袋をテーブルに置いた。
リビングの床に腰を降ろすと、肩に重いなにかが圧し掛かったような感覚がした。ファミレスにいたときは気づいていなかったけど、身体はかなり疲れているみたいだった。
弓坂は後ろからすたすたと歩いてきて、リビングのソファに座った。
「ジュース飲むか?」
コンビニでせっかくオレンジジュースを買ったので聞いてみると、
「あっ、うん」
弓坂は力なく返事した。弓坂もきっと疲れてるんだな。
重い身体を持ち上げて、ダイニングの食器棚からコップを取り出す。上月もじきに帰ってくるから、三つ用意しておこう。
コップを手に戻ると弓坂は長い足を上げて三角座りをしていた。
三角座りだと膝から足のつま先までまっすぐに伸びるから、足の長さがよくわかる。弓坂は足のラインがきれいで、そしてかなり長い。
こんなにも流麗で魅惑的な美脚があればモデルや女優になれそうな気がするけど、その俺の発想は幼稚だろうか。
オレンジジュースのキャップを開けてコップに注ぐ。弓坂は膝を抱えて顔を埋めた。
「あたし、ヤマノンに、嫌われちゃったかなぁ」
急におとなしくなったと思ったら、あいつのことを考えていたのか。
「なんで、そう思うんだ?」
「だって、ヤマノンの前で、いっぱい泣いちゃったから」
俺の脳裏に教室の光景が映し出されていく。
俺たちが教室でせっせとはたらいているときに、あいつはあらわれた。元カノの雪村旺花を連れて。
弓坂にだけは会わせまいと思っていたのに、まさかうちのクラスで、上月や妹原が見ている前で会わせることになるなんて、思いもしなかった。
あのときの記憶は考えまいと、俺もずっと背を向けていた。それが地べたからずるずると這い上がってきて、俺の脳裏にしつこくまとわりついてくる。苦い――いや息苦しさを感じさせるほどに。
山野は、あいつはどうして雪村を弓坂に会わせてしまったんだ。あいつが柄にないことを思いつかなければ、弓坂が苦しむことはなかったのに。
「あいつは、そんなことで人を嫌うやつじゃない。それは、お前が一番よくわかってるだろ」
俺の唇が気持ちに反した言葉を放つ。
「だいじょうぶだ。お前と山野は、また仲良くなれる。だから、心配するな」
もっと的確で温かい言葉で慰めてやりたいが、こんなつらい気持ちで的確な言葉なんて思いつかない。これだけ言うのがやっとだった。
弓坂は手をにぎりしめて肩をわずかにふるわせる。
「もう、話せないよぅ。……ヤマノンの、顔も、もう見れないよぅ」
弓坂の悲痛な言葉が俺の胸を抉る。
好きな人にまだ振られたわけじゃない。けど、それに匹敵するようなものを目にしてしまったんだ。
弓坂が何度も落ち込んでしまうのは、仕方がないんだ。俺だって、妹原の彼氏をもし目撃してしまったら、どうなってしまうかわからない。
俺も弓坂みたいに何度も落ち込むのだろうか。いくら考えても解決しない悩みを延々と考えて、死ぬよりつらい苦しみを浴びつづけるのか。
リビングの静寂でしくしくと涙を流す弓坂に、なんて声をかければいいのか、わからない。俺は弓坂のよき理解者でなければならないのに、声すらかけることもできなかった。
「なに、やってんの?」
知らぬ間に上月が廊下に立っていて、不安げに俺たちを見ていた。だがすぐに状況を察して、俺のとなりに座った。
あんな衝撃的な光景を見てしまった直後なんだ。すぐに元気になんてなれるわけがない。
今の俺にできることは、弓坂のそばにいてやることだけだ。情けないけど、少しでもこいつの不安や苦しみを和らげてやりたいんだ。
上月も俺と同じことを考えていたのか、弓坂に声をかけずにじっとしていた。三角座りをして、テーブルに置いているコップを茫然とながめている。
上月も今の俺みたいに考えごとをしているのだろうか。
沈黙の時間がそのまま五分くらいつづいていたのだろうか、
「透矢。お湯、沸かしていい?」
上月が突然口を開いた。
「ん? あ、ああ。風呂に入るのか?」
「うん。今日も暑かったから、身体が汗ばんでて気持ち悪いの」
そういえば俺もかなり汗をかいたから身体が気持ち悪いな。明日も学校があるんだから風呂に入って身体を流そう。
「お湯の張り方はわかるか? 給湯器の電源をつけてお湯張りボタンを押すんだぞ」
「わかってるわよ。うちとおんなじ給湯器じゃない」
「そうだったな。じゃあ頼んだぞ」
上月は呆れ口調で言い放つ。廊下へと消えていくあいつの背中を静かに見送った。




