第132話 弓坂と上月の三人で夜のファミレスへ
弓坂の家から無事に外泊の許可が下りたようだ。
上月が弓坂の家に電話すると、執事の松尾さんが電話に出たらしい。そして外泊の理由をざっくりと話すと、松尾さんはすぐに事情を察してくれたようだ。
お父様とお母様には私めからうまく伝えておきますと、ダンディズム溢れる回答までしてくれたみたいだし。さすが松尾さんだぜ。できる大人は心構えから違うぜ。
上月のおばさんからも外泊の許可が二つ返事で下りたらしい。滞りなく話が進んでくれるのは嬉しいが、滞りがなさすぎるのは、それはそれでどうなのだろうか。思わず長考してしまうくらいに深い問題だった。
ファミレスで夕食をとろうと上月に提案したら、目を輝かせて賛成した。しかし制服のまま行きたくないそうなので、うちで着替えてから行くことにした。
弓坂には上月が服を貸してやるようだ。俺の着てるスウェットなんて着させられないもんな。
「えへへぇ、麻友ちゃんから、お洋服借りちゃったぁ」
住宅街の静かな道を弓坂がほんわかとした笑顔で歩いている。紫色の首もとの大きく開いたカットソーに黒のショートパンツを穿いている。
袖口はだぼだぼしたタイプで、ダーク系で統一されたファッションにフェミニンの要素を取り入れているところが、なんとも憎い。
ショートパンツから伸びる素足は外人のモデルのようで、黒子がひとつも見当たらないな。
クラスでは妹原と上月ばかり注目されているけど、弓坂もふたりに勝るほど可愛いんだよな。さらに髪はブロンドで、白人みたい顔立ちだからな。
木田がこいつに惚れる気持ちは、よくわかるぜ。俺だって妹原がいなかったら惚れてたかもしれないもんな。
「サイズが少し小さいと思うけど、苦しいところはない?」
弓坂に訊ねる上月もおしゃれな私服に着替えている。
こいつの今日のコーディネートは、襟のついたシャツに茶色地のチェックスカートだ。
シャツは襟の真ん中にリボンがついた可愛いデザインだが、こいつの描写はもういらないか。
「うん。だいじょうぶだよぅ」
「未玖はあたしより少し背が高いけど、だいじょうぶそうね。うん、すごく似合ってるよ!」
「ふふっ、麻友ちゃんもぅ、そのお洋服、可愛いよぅ」
弓坂が上月と目を見合わせて、くすくすと笑う。弓坂に笑顔が戻ってよかった。
ファミレスは駅から遠い、俺と上月が人目を忍んで通っているところにした。その店は自宅からも遠いので、うちの高校の生徒や同中の友達にばったり会う可能性が低いのだ。
住宅街の静かな道を十分くらい歩いて、目的地のファミレスに到着した。
コンクリートで舗装された外階段を上がって店内へと入る。夕食の時間だから少し混んでるな。
キッチンからトレイを抱えた女性の店員が姿をあらわす。年齢は二十代の後半くらいだろうか。
「いらっしゃいませ。三名様でよろしいですか?」
「あ、はい」
「では店内へご案内いたします」
店員がディナーナイフやフォークの入った籠を持って客席へと歩いていく。窓際の席がちょうど空いたみたいだ。
客のほとんどは子連れの家族のようだ。三歳児くらいの小さい子を連れた若奥様たちが、食事を忘れて話に夢中になっている。
私服の高校生っぽいやつらも何組かいるが、いずれも俺の知らないやつらだった。
「未玖、今日は透矢が奢ってくれるから、高いものをいっぱい注文した方がいいわよ」
「ええっ、そうなのぉ?」
「んなわけねえだろ」
向かいのソファに座るなり上月が意味不明なことを口走ったので、俺はすかさず突っ込みを入れた。
すると上月が肘をついて悪態をつきやがった。
「なによ、ケチ。ハンバーグのひとつくらい奢りなさいよ」
「なんで俺がお前に奢らないといけないんだよ。自分が食べる分は自分で払え」
ふざけたことを抜かすやつには死んでも奢らねえぞ。俺がかまわずに返答すると、弓坂は口に手をあてて笑った。
テーブルの端に立てかけてあったふたつのメニューブックを取り出す。文化祭でエネルギーが切れるまではたらいたから、腹が減って死にそうだ。
片方のメニューブックを上月に渡して、残りをテーブルに広げる。
金銭的に余裕はないが、せっかく弓坂と来たんだから、がっつりと肉を食べたいよな。ハンバーグの写真を見ていると腹が鳴ってきた。
「未玖は何にする?」
「あっ、ええとねぇ、どれにしようかな。どれも、おいしそうだからぁ、迷っちゃう」
正面に座る弓坂は注文する料理を選びかねているようだ。いつものことだが。
「じゃあさ、このサラダとスパゲッティをたのんで半分こしようよ」
上月が海老とアボカドの乗っかったヘルシーサラダを指すと、弓坂の顔がぱあっと明るくなった。
「うん! 半分こしようっ」
どうやら半分こというフレーズが弓坂の心にクリティカルヒットしたみたいだ。弓坂はほんとに変わってるよな。
上月も弓坂にそんなに喜ばれると思っていなかったのか、気の抜けた顔で生返事を返していた。
そして非常にどうでもいい話だが、アボカドを日本人の食べ物として未だに認めていないのは俺だけだろうか。
アサイーも同様に俺は認めていないぞ。あの名称は日本人の苗字であって、間違ってもトロピカル・ジュースにつかわれるような果物の名称じゃないのだ。――そんな心底どうでもいい愚痴はテーブルの下に落として、俺もさっさと注文するものを決めよう。
「俺はどれにすっかな」
メニューブックをぱらぱらとめくっていると、弓坂が向こうから覗き込んできた。
「ヤガミンはぁ、何をたのむのぉ?」
「うーん、そうだな。じゃあ無難にハンバーグにしようかな」
来店する前から肉が食べたかったからな。
上月が頬杖をついて口を挟んできた。
「あんたもアボカド食べなさいよ。おいしいわよ」
「死んでも食うか。あんなもん」
アボカドを食べるくらいだったら、普通のシーザーサラダを食べた方がましだ。
俺が口をへの字に曲げると、弓坂がまた声を出して笑った。
「麻友ちゃんとぅ、ヤガミンといっしょにいると、楽しいね。楽しくて、うきうきしてきちゃう」
「そ、そうか?」
「うんっ。今もぅ、三人で仲良くおしゃべりができて、すっごく楽しいよっ」
俺と上月は普通に会話しているだけなんだけどな。俺と上月の間抜けなやりとりが弓坂の心にさらにヒットしたみたいだ。
弓坂はやっぱり変わったやつだな。お金持ちのお嬢様なのに、俺たちみたいな一般庶民とファミレスに来ただけで喜んでるんだもんな。
泣き腫らした目は痛々しくて、さらに我慢して気丈に振舞う姿は悲愴ですらあるけど、弓坂は眠くなるような遅口でにこにこ笑っている姿が似合うと思う。
俺は上月と顔を見合わせて苦笑した。




