第131話 弓坂をうちに泊めるしかない
上月と弓坂の三人で並んで座りながら最寄り駅へと向かう。
他にいい方法がなかったから、上月の提案をうっかり了承しちまったけど、上月と弓坂をうちに泊めても本当にだいじょうぶなのだろうか。
だってこのふたりが俺の家に泊まりに来るんだぞ。ちょっとイメージしただけで、邪なこととか、いけない行為がたくさん頭を過ぎっちゃうじゃないか。
ふたりは静かに電車に揺られているけど、とても冷静でいられないぜ。
何かの節に精神的なたががはずれて、間違いを起こすような事態になったらどうするんだ? 俺はもう責任とれないぞ。――そんなことを考えながらどぎまぎしていると、
「ごめんなさい」
真ん中に座る弓坂がまたぽつりと口を開いた。
「あたしのわがままで、ヤガミンと、麻友ちゃんに、迷惑をかけて、ごめんなさい」
弓坂は悲哀に満ちた表情で鞄を抱えていた。その腕は肩から力が入っていて、上下にかすかにふるえている。
弓坂の顔にいつもの柔らかい雰囲気はない。替わりにあったのは、きびしい現実に耐えるしかないつらさと、俺たちに迷惑をかけていることへの自責の念なのだと、俺は思った。
弓坂がぎりぎりのところまで追い詰められているっていうのに、俺はとなりで何を考えているんだ。こいつの苦しみを少しでも和らげてあげないといけないじゃんか。
俺は弓坂に言った。
「気にすんなよ。友達だろ、俺たちは」
「そうよ。たまにはいいんじゃない? こういうのも」
上月も優しく微笑んで、そっと言葉を添えてくれた。妹原に負けない天使のような笑顔で。
「ありがとう」
弓坂が鞄に顔を埋めて、消え入りそうな声でつぶやく。ふるえる背中を上月がさすった。
ほどなくして自宅のマンションに到着した。駅前でうちの高校の生徒を何人か見たが、いずれも俺たちの知り合いではなかった。
今日も住人の姿が見えないマンションのロビーからエレベーターをつかって七階へと向かう。
そして七階に着いて家の玄関を開けると、
「わぁ、ヤガミンのおうちだぁ」
目を赤く腫らせた弓坂が喜びの声をあげた。
「なに喜んでるんだよ。弓坂は前にも来たことあるだろ」
「うふふ。そうだよねぇ」
たくさん泣いて少しは気持ちの整理ができたのかな。弓坂に笑顔が戻った。
「あれっ、未玖って、透矢んちにあがったことあるの?」
一方の上月は何も知らないのか、間の抜けた顔で訊ねてきた。
「お前を宮代と会わせるときに、弓坂がどうしても行きたいっていうから、うちに連れてきたんだよ。その後は大変だったけどな」
「ああ、あのとき――」
耳をかたむけながら六月の出来事を思い出したのか、上月は聞き流すように相づちを打ったが、
「そういえば、あんた。あのとき、あたしを騙したのよね」
急に眉根を寄せてそんなことを言い出した。
「はあ? 騙した? そんなことするわけねえだろ」
「しらばっくれるんじゃないわよ。あのとき、あんたが買い物に行きたいって言うから、仕方なく下の公園で待っててあげたのに、あたしに嘘ついて栞と示し合わせてたんでしょ」
げっ。そういえば、そんなこともしたんだったな。必要のない記憶だから、海馬だか扁桃体の片隅に追いやられていたぞ。
「そういえば、そうね。あのとき、あんたんちに未玖がいたわね」
「いや、あれは、宮代に頼まれたから、いろいろとあって――」
「あのときのことを考えたら、なんだかすっごいむかついてきた」
上月が右手を固くにぎりしめて、わなわなと震えさせる。
「未玖、こいつを今すぐ殴ってもいいかしら」
「殴るな!」
俺がとっさに弓坂を盾にすると、上月が「ちっ」と閻魔大王を射殺しそうな顔で舌打ちした。その姿を見て弓坂が楽しそうに笑った。
玄関に入ると、脱ぎ捨てられたスニーカーがそのまま放置されているのが見えた。スニーカーを端にどけてふたりを部屋へ案内する。
先頭で部屋にあがって廊下を抜けるが、廊下の隅に埃がたまっているぞ。リビングの床にもいらないチラシや部屋着のシャツがそのまま散らかっていた。
先週から文化祭の準備で帰りが遅かったから、掃除していなかったんだよな。
「人を呼ぶ準備なんてしてなかったから、あんまり片付いてないぞ」
後ろのふたりに注意してみると、上月が廊下を見まわして顔をしかめた。
「ほんと汚い部屋ね」
「うるせえ」
そんなにはっきり言うな。むかついたので突っ込みを入れると、弓坂がまた声を出して笑った。
ふたりをリビングのソファーに案内して、俺はその辺を少し片付けるか。床に散らかっているものを適当に端へ寄せる。
うちに来てくれたんだからお茶くらい出すか。そのままダイニングに移動して、三つのコップにお茶を注いでもっていった。
「あら、気が利くわね」
「ヤガミン、ありがとぅ」
ふたりはテレビをつけることを忘れて女子トークに夢中だった。
あとは買い置きのクッキーと煎餅をお菓子入れに詰めてもっていった。
上月は弓坂と文化祭の話などで盛り上がっていたが、話が一段落したころにすっくと立ち上がって、
「じゃあ、ちょっと電話してくるね」
そう言って廊下の奥へ消えていった。弓坂の家に電話するんだな。
弓坂はひとりになると所在なげにそわそわしだした。窓から空を眺めたり壁掛け時計の秒針をじっと見つめたりしている。
この前にうちに来たときは、子どもみたいにはしゃぎまわっていたのにな。今日の弓坂は落ち着きがなかった。
「せっかく来たんだから、くつろげよ」
「えっ、あ……」
「って言っても、こんなに狭くて汚い部屋じゃくつろげないか。弓坂んちはもっと凄そうだもんな」
アーキテクトの社長宅と比較されても困るけどな。
冗談交じりに返してみたら、弓坂がまた大人しくなってしまった。笑えない冗談だったか。
「ヤガミン、ごめんねえ。やっぱり、迷惑だよねえ。急に、押しかけたりして」
らしくないわがままを言ったことをまだ気にしていたのか。
「麻友ちゃんにも、迷惑かけて。……あたし、ひどいよねぇ」
膝の上に置いた手がふるふるとふるえている。弓坂はまた泣きそうだ。
俺も上月も、もう大して気にしていないっていうのに、弓坂は繊細だな。――やれやれ。
「俺はなんとも思ってないから、謝られても困るぜ。あいつだって、たぶん気にしてないと思うけどな」
「で、でもぅ」
「むしろ弓坂と泊まれるのを心待ちにしてるんじゃないか? 俺たちはお前と違って、育ちがあんまりよくないからな」
俺は少し強がって白い歯を見せた。
「学校にはばれないから、平気だ。弓坂のうちとあいつのうちにも電話してもらっているから、何も心配することはない。――あ、そうだ。今晩は三人でファミレスに行こうぜ! 試験勉強とかで夜にファミレスに行くと、楽しいんだぜぇ」
夜にファミレスに行くことがぱっと思いついたので提案してみた。弓坂を連れていったら、きっと興奮するぞ。
弓坂はまた泣き出しそうな顔をしていたが、俺の提案を聞いたらにっこりと微笑んだ。
「ヤガミン。……ありがとうね」




