第13話 妹原と透矢の距離
それでも妹原がすごい女子であることに変わりはないらしい。
妹原の同中から得た情報によると、音楽の才能は紛れもなく超一流で、前に中学の合唱コンクールでピアノを弾いたことがあったらしいが、そのときも圧巻だったらしい。
中学の全校生徒はもちろん、父兄の方々、さらには音楽の先生までもが白目を剥くほどうまかったようだ。
笛つながりでアルトリコーダーなんかもうまいらしいから、音楽の通信簿は十段階でいつも十だったんじゃないか? という話だった。
他の成績も優秀。テストの結果も常に学年トップ。学校での態度も模範的だから、先生からの内申評価もばっちりという、絵に描いたような秀才。運動だけは苦手なので、体育を除けばほぼパーフェクトという正真正銘のスーパー高校生なのだ。
学校の後は家で音楽のレッスンを受けないといけないので、生徒会などには入っていなかったらしいが、もし入っていたら生徒会長になっていてもおかしくないのではないか、とまで言っていた。
聞けば聞くほど、妹原のすごさが身にしみてくる。これでしかもテレビにまで出演したことがあるから、アイドルのようにもて囃されるのもうなずける。
「なんか、住む世界が全然違うな」
学校が終わったので山野とだらだらと帰路につく。今日は初めて妹原と会話できたのに、口からため息しか出てこない。
「なんだ、もうギブアップか?」
山野がすかさずメガネのブリッジを押し上げるが、そりゃ弱音だって吐きたくなるさ。
「だって妹原は正真正銘のアイドルなんだぞ。音楽ができて、勉強ができて、しかもテレビにまで出たことがあるんだぞ。そんなやつを彼女にできるなんて、普通は思わないだろ」
「だから最初に忠告したのだが」
「それなのに、高校卒業後に音大に入るために、有名なオーケストラ奏者を家庭教師に頼んで毎日レッスンしてるんだろ? 俺たちとは住む世界が全然違うよ」
もう少し情報を整理しておきたいので、通りがかった店を指さすと山野もついてきた。
夕飯前なのでジュースだけを頼んで席に着くと、山野がカップのストローを銜えてコーラを飲んだ。
「音大に入るのはかなり難しいらしいからな。プロに家庭教師をやってもらって、さらに毎日練習しないと受からないという話だぞ」
「そうなのか? 妹原のレベルだったら、音大なんて余裕で受かるんじゃないのか?」
そう返すと山野がカップをトレイに置いて言った。
「それが、そうでもないらしい。音大は受験枠が少ないから倍率がすさまじい上に、受験者は妹原レベルの天才ばかりという話だから、妹原でもきっと苦戦するだろうな」
だからうまいのに毎日レッスンしているのか。
「と俺の姉貴が言っていた」
「また姉貴が言ってたのかよ!」
正確には姉貴の友人の情報だが、と山野がつけくわえたが、それはどっちでもいいよ。
山野が「その友人の情報によると」と前置きして言葉を続ける。
「オーケストラの奏者になる場合、高校――通常は音大の付属高校に入るらしいが、その高校を卒業してから、音大に入学して、大学院を出た後はヨーロッパに留学して向こうの楽団に入ってさらに腕を磨いて――という風に、大体のレールが決まっているらしい」
そんな音楽まみれの人生になるのか。俺だったら高校入試の時点で確実に諦めているだろうな。
「だから妹原が部活に入れないと言っているのは、あながち嘘でもないようだ。この辺をいかに邪魔しないようにできるかが、勝負の分かれ道になると思うぞ」
そうだな。調子に乗って妹原の邪魔をしないように注意しないといけないな。
「しかし八神、F1はさすがにないと思うぞ」
「うっ」
あまりに唐突だったので、俺は飲んでいたアイスコーヒーを噴き出してしまった。
「ちょっと待て。ていうか、あんなの当初の打ち合わせになかったぞ。どさくさにまぎれて原稿書き換えんなよな」
「いや、それはすまないが。……でも、もうちょっとあるだろ。F1って、お前」
あのF1発言は露骨にため息をつかれるほどダメだったのか。俺としては、まずまずの返答だと思っていたのだが。
「せめて、俺もドラマ観てる、ぐらい言えないと、ふたりきりで会話するときに苦しくなるぞ」
「そんなこと言ったって、そのサンだかなんだかのドラマ事情のことなんて、俺は知らねえし」
「なら今日放送するから、観ておくんだな。好きな子の趣味をチェックするのは常識だぞ」
くっ、痛いところを突かれてしまった。
でも山野の言う通りだ。全部こいつにまかせっきりにしないで、俺も妹原の研究をしないといけないな。
* * *
駅で山野と別れた後、電車の中でスマートフォンをチェックしていたら上月から怒りのメールが来ていたので、また全力疾走で駅の改札を抜けた。
今日はスーパーに行く日だったから、帰宅後にマンションの前で待ち合わせる約束をしていたが、すっかり忘れていた。妹原のことで朝から頭がいっぱいだったからな。
「あんたねえ。もしかしてそれ、わざとやってるの?」
駅前のタクシー乗り場で待ってくれていた心の広い上月は、すでに私服に着替えていた。
今日はフリルのついた長袖のシャツにジーパンのようなズボンを穿いている。靴はピンクのおしゃれサンダル――名称は知らない――と呑気にナレーションしている場合ではない。
「すまん。いや、わざとじゃない。山野と話をしてたんだ」
「話?」
上月は怒り心頭とばかりに眉尻を吊りあげていたが、
「それだったら、連絡くらいしなさいよ。そうしたらあたしだって、うちで待ってたのに」
顔を少し紅潮させるだけで許してくれた。
しかし何もしないのは悪いから、帰り際にコンビニでデザートでも買ってやろう。
もう夕方なので俺は制服のままスーパーへ。しかし途中であがる会話は当然、
「まったく何がF1よ。あんたが変なこと言うから、思わず吹き出しちゃったじゃないのよ」
「うるせえな。しょうがねえだろ。緊張してたんだから」
俺がF1を観るのがそんなにおかしいのかよ。いいじゃないかF1。俺は好きだぞ。
「あんたがアホ丸出しな発言するから、雫だって引いてたじゃない。最初からマイナスイメージを植えつけてどうすんのよ」
「せ、妹原は、そんなことで嫌うやつじゃねえ」
「どうだか。あたしだったら、とっさにF1なんて言う男子とは付き合いたくないけどねえ」
くっ、わざとらしく肩なんかすくめやがって。
「お前、本当に可愛くねえな」
ぼそりとつぶやくと、突然腹部に衝撃が走り、上月が俺の腹を思いっきり殴りやがった。
「うるさい! 下らないこと言ってないでさっさとついて来いこのF1男!」
だからそれが可愛くねえって言ってるんだよ。全力で鳩尾にきめやがって。
「あんたが下らない発言したから、今日の晩ご飯はハンバーグとエビフライから、冷凍餃子と肉じゃがに格下げよ」
はいはい。ハンバーグなんて、どうせ端からつくる気なかったんだろ?
そんなわけで、いつものスーパーでじゃが芋とその他の食材を購入して家に帰った。デザート? そんなものは買うわけないだろ。