第125話 文化祭当日、謎の電話
そして今週の土曜日。文化祭当日。
今朝の起床時間は普段よりも早い六時三十分だった。気持ちが逸っているのか、目がかなり早く覚めてしまった。
俺はとりあえず二度寝を敢行してみたが、全然寝られないな。心の底まで覚醒してしまったようだ。
「まだ早いけど、仕方ないか」
薄っぺらいタオルケットを捲って気だるい身体を起こす。首と右の肩の境い目に肉体的な痛みを感じる。寝違えたのだろうか。
ダイニングに移動して、冷蔵庫から牛乳を取り出す。棚から取り出したコップに注いで、牛乳をひと口に飲み干した。
リビングに移動してカーテンを開ける。眩しい陽の光が燦々と差し込んでくる。今日もハンカチが手放せなくなるほどいい天気になりそうだ。
ソファに腰かけて、テーブルに置いているテレビのリモコンを手にとる。リモコンのとなりにスマートフォンが置かれていた。
「うわ、やべえ」
スマートフォンのアラーム機能を目覚まし時計の替わりにしているので、これがないと俺は起きられないのだ。いつも寝る前にスマートフォンを寝室に持っていくんだけどな。
昨夜はスマートフォンを忘れるほど興奮してたんだな。もし目が覚めていなかったら、俺は文化祭の当日に大遅刻をかましていたかもしれない。
思わぬ奇跡に胸を撫で下ろしつつ、俺はスマートフォンの液晶画面を確認する。ライトのついた画面の真ん中に、着信を示すアイコンが表示されている。
「ん、だれからだ?」
電話されたのは昨夜だろうか。友達の少ない俺に電話してきた物好きは一体だれだ?
着信のアイコンを押下して着信履歴を表示する。履歴の最上部に表示されていたのは、あの謎の電話番号だった。
俺の背中に悍ましい寒気が走る。
またこの電話番号からかかってきたのかよ。買い出しのときから通算すると、三度目の着信だぞ。
着信のあった時間は、昨夜の十一時四十分。――俺が寝室に入って間もない時間だ。
なんて嫌なタイミングだ。幽霊とかオカルト系の類いは信じる方じゃないけど、夜に知らない番号から電話が来るのってなんだか怖いぞ。
今日は楽しい文化祭なんだから、縁起でもないことはやめてほしいよな。
いやそれ以前に、この電話番号はどの業者からかかってきているのだろうか。如何わしいサイトを見たりしていないんだけどな。
* * *
八時前のかなり早い時間に着くと、学校は文化祭一色に染まっていた。
学校の正門は赤や白の色とりどりの花紙で飾られた入場ゲートがこしらえてあった。ゲートにはポップな文字体で大きく『早高祭』と書かれている。
正門から何本ものアーチをくぐって学校の昇降口へと向かう。花壇の近くにブルーの見慣れないステージまで用意されていた。
まだ一般人の入れる時間じゃないし、登校する生徒の姿もまばらだけど、これでもかっていうほどの文化祭オーラを感じるな。入場ゲートを担当したのは二年生だと思ったけど、かなり張り切って用意したんだろうな。
校舎の前でうろうろしていないで教室へ向かおう。
「ちはーっす」
教室の扉をがらがらと押し開ける。まだ八時前なのに、俺より前に登校しているクラスメイトがいたようだ。教室から挨拶が返ってくる。
登校しているのは、六人か。女子が四人と、男子が二人。その中に妹原の姿もあった。
「よう」
「八神くん。おはよう」
妹原がにこっと微笑んで挨拶してくれる。毎朝この杏の花のような笑顔が見られるだけで幸せだぜ。
教室はカフェの店内に様変わりしているので、机と椅子は必要な分しか並べられていない。いらないものは教室の脇に積み重ねられている。
妹原は窓際で所在なげに立ち尽くしていた。他のクラスメイトたちも同じように、その辺をうろうろしたり立ち話をしている。
「今日は妹原よりも早く来れると思ったんだけどな。今日も負けちまったか」
冗談交じりに言ってみると妹原が苦笑した。
「昨日は興奮してたから、あまり寝付けなくて、今朝はいつもより早く目が覚めちゃったの」
妹原も今日の文化祭を楽しみにしてたんだな。これは共通の話題になるぞ。
俺はひと差し指で自分の顔を指した。
「それ、俺も同じ。昨日は全然寝られなかった」
「そうだよね。だって楽しみだもん」
それはもう。明日の後夜祭では、もしかしたらあなたとフォークダンスを踊れるかもしれないからな。
しかしこんな告白じみた言葉は絶対にかけられないので、俺はどきどきする胸を深呼吸で押さえ込む。
「そういえば妹原は、明日の後夜祭には出るのか?」
顔に熱いものを感じながら尋ねると、妹原は唇を結んでしばらく考え込んだ。
「どうしようかな。麻友ちゃんや未玖ちゃんが出るんだったら、わたしも出たいんだけど、お父さんが許してくれるかな」
やはり音楽のレッスンがネックになってるんだな。
妹原の家の都合はあるけど、明日の後夜祭には出てもらわないと、せっかくのフォークダンスが無駄になってしまう。こんなときじゃないと手なんてにぎれないんだぞ。
「だったら、最初のちょっとだけでも顔を出したらどうだ? せっかくの後夜祭だし、早く帰ったらもったいないだろ?」
とっさに思いついたので妹原に提案してみた。顔が真っ赤になっていなければいいが。
妹原は俺をまじまじと見上げて、ぽかんと口を半開きにしていた。まずい、俺の好意が気づかれちまったか。
だがすぐに妹原がうなずいて、
「うん! そうだよねっ。お父さんに後で確認してみるね」
やった! 俺の提案を前向きに検討してくれたぜっ。
八時をすぎて弓坂がふわふわと綿飴みたいな感じで登校してきた。それから数分遅れて木田も間抜けな面で登校してきた。
来るのが遅い山野と上月も朝のホームルームの開始時間の直前に顔を出した。上月はだいぶ眠そうだが、昨日はだらだら夜更かしでもしてたのか?
あいつにはまだ魔王の役をやらせると告知していないはずだけど、聞いた瞬間に発狂して帰ったりしないだろうな。
もしそうなったら、かったるいけど俺が責任をもって魔王の役をやるしかないのか。
それに魔王のイエなんとかはたしか、設定上の性別が女なんだよな。まああくまで設定上の性別だから、見た目が男でも客にはわからないか。
客からクレームがきたら、山野にでも役を替わってもらおう。そんなことを考えていると、扉の向こうから担任の松山さんの気持ち悪い顔が見えた。




