第122話 雪村旺花と再会
妹原と並んで校門の外に出る。放課後の校庭は部活動で汗を流す生徒たちの姿が見える。
文化祭が近くても、部活のあるやつは準備作業に参加できない。やる気のない部は文化祭の準備を優先するみたいだけど、サッカー部なんかは熱心に練習しているようだ。
「運動部の人たち、みんな練習してるね」
「そうだな」
学校沿いの道路を妹原と歩きながら、フェンス越しに校庭を眺める。ノックをしている野球部のコートから、金属バットの軽快な音が聞こえてくる。
向こうのバスケットコートでは、バスケ部が五対五のミニゲームをしている。今日は体育館がつかえないから外で練習してるんだな。
「そういえば妹原。今日は音楽のレッスンは休みなのか?」
ふと気がついたので尋ねると、妹原は首を横に振った。
「ううん。うちに帰ったら、夕食の後に練習するの」
そうだったのか。文化祭が近くても練習を休めないなんて、妹原は忙しいんだな。
「文化祭の準備には、わたしからお願いして許してもらったんだけど、レッスンは休んじゃダメって言われちゃったから」
「妹原の親父さんは、相変わらず厳しいんだな」
俺の脳裏に妹原の親父が甦って、背筋に冷たい何かを感じた。
そんな様子を見上げて、妹原が苦笑いして、
「仕方ないよ。わたしはそういう星の下に生まれてきたんだから」
うつむき加減で両手をにぎりしめた。
「音楽ばかりの生活は、大変だけど、大変なのはわたしだけじゃないし。麻友ちゃんだって、未玖ちゃんだって、みんな悩んだり、つらい思いをしてるんだと思うもん。……八神くんだってそうでしょ?」
妹原は苦しそうな顔をしないで、俺にいつも優しく微笑んでくれる。でも、音楽のことや対人関係で悩んでるんだよな。
音楽は親にやらされているのか、それとも自分の意思で選択したのか、俺にはよくわからないけど、妹原はきっとクラスのみんなと同じように学園生活を楽しみたいんだと思う。
自分の気持ちを抑圧している妹原とくらべたら、俺の境遇は不幸せなのだろうか。
「俺は、どうかな。妹原みたいに毎日が忙しいわけじゃないし、食っちゃ寝のぐうたらな生活を送ってるからな」
「えっ、でも、八神くんだって、ご両親が――」
妹原の静かな声に耳をそばだてながら、何気なく顔を上げる。校庭と道路が見えるだけの穏やかな通学路から歪な存在が飛び込んできて、俺は言葉を失った。
「八神くん?」
そこにあってはならない存在に、俺の足が固まる。となりで足を止める妹原の声が遠く感じる。
これまで妹原のことでいっぱいだった俺の思考が、一瞬のうちにクリアになる。目もきっと飛び出そうになるくらいに見開いていたのだろう。
歩行者のいない歩道のわきに立っていたのは、ひとりの女だった。手入れしていない黒髪のボブヘアに大きなメガネをかけて、右手にベージュの大きなスケッチブックを抱えている。
左の肩には真っ黄色のトートバッグをかけて、フェンス越しに校庭をながめている。左右になぜか落ち着きなく動きながら。
その女がふらっとバランスをくずして、後ろにたおれそうになる。向こうから近づいてきた自転車とぶつかりそうになって、「すっ、すみません!」と金切り声のような音を発した。
山野の元カノ――雪村、旺花。
「雪村さん、でしたっけ?」
声をかけようかどうか迷ったけど、微妙に顔見知りなので素通りはできなかった。
俺が呼ぶと、雪村は身体を小さくしてがたがたとふるえだした。
……名前を呼んだだけで殺人犯に脅されている人みたいになってるけど、これが鋼の心をもった女なのか? 山野。
「あの、びびらないでほし――」
「すす、すみませんすみません! ただちょっと、ババ、バスケットボールのっ、練習を、見たかった、だけですからっ!」
雪村は俺が通報すると思っているのか、両手を突き出して必死に弁解している。――いやだから、不審者だなんて思ってないから。
このまま放置しておくと、きっと一生俺のことに気づいてもらえないので、俺はかまわずに言葉をつづけた。
「この前、そこの川で会いましたよね。山野の同中の、ええと雪村さんだっけ」
この人の名前は本当はするりと出てくるが、不必要に警戒されないように、あまり覚えていない体で話を切り出す。
すると雪村は、ずり落ちたメガネの位置を戻して、目を何度もしばたいて、
「あ、そういえば、どこかで、お会いしたような」
間の抜けた声でつぶやいた。やっと気づいたか。
この人、かっこ悪いメガネなんてかけているから、まったく美人じゃないと思っていたけど、よく見るときれいな顔してるな。
顔にはそばかすが多いけど、メガネをはずして上月みたいに薄いメイクでもしたら、もしかしたら化けるかもしれないぞ。
いや、この人の外見を観察している場合じゃない。俺はこほんと咳払いした。
「山野のクラスメイトの八神だ。八神透矢」
「あ、あわわっ! すすすすっ、すみません!」
いやだから、名前を言っただけなのになぜ謝る?
雪村は謝罪するロボットみたいに頭を高速で上げ下げして、
「ああ、あの、あのっ、わたし、名前をおぼえるのが、苦手ですので」
「いや、別にそんなこと――」
「あわわ! すみませんすみません!」
あんたは何を言っても謝るんだな。……俺、やっぱりこの人苦手だなあ。
こんな挙動不審な対人恐怖症が、あの山野と付き合ってたんだもんな。
アホの桂ですら覚えているくらいだから、あいつの中学では有名なカップルだったんだろうけど、この人の姿や挙動を見ているとどうも信じられなくなってくる。
「山野くんの友達?」
妹原が雪村を見て首をかしげている。そっか、妹原は何も知らないんだよな。
「ああ。この人は山野の昔の友達の雪村さんだ。雪村旺花」
「そうなんだ」
妹原が口に手をあててくすりと笑った。
雪村は口を半開きにして茫然としてるな。
「えっと、こいつは妹原だ」
「初めまして。山野くんのクラスメイトの妹原って言います」
「は、はあ」
行儀よく挨拶する妹原を見て、雪村の口からため息のような声が漏れた。
「で、何やってるんだ? こんなところで」
話の流れで尋ねると、雪村がまたそわそわとスマートフォンのバイブみたいに動き出した。
「ああっ、その、あのっ」
「あ、山野に会いに来たのか? あいつだったら教室にいるぞ。呼んで――」
「い、いえっ! だだだ、だいじょ、ぶ、です」
雪村が全身から汗を吹き出すような勢いで拒絶する。口を早く動かしすぎて唇を噛んだみたいだけど、それ、かなり痛いんじゃないか?
雪村は噛んだ唇をおさえて、しばらく絶句していたが、
「だいじょうぶ、ですから。しゅ、柊ニくんの、邪魔はしたくないので」
やがて「すみませんでした」と頭を下げて、とぼとぼと帰っていった。
「なんか、変わった人だね」
雪村の遠くなった背中を見て妹原がつぶやいた。
「大きなスケッチブックをもってたから、絵を描くのかな」
「さあな」
あの人が実は山野の前の彼女で、さらに絵画の天才だって言ったら、妹原も驚くかな。口が裂けても言えないが。
「山野くんに用事があったみたいだけど、山野くんに伝えた方がいいのかな」
「そうだな。じゃあ俺から伝えておくよ」
時間が気になったのでスマートフォンで確認すると、案の定かなり時間が経っていた。俺は妹原を促して近くのコンビニへと向かった。




