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第114話 山野を中心に動き出すなにか

 帰りのホームルームの後にかったるい教室の掃除を済まして、今日という一日が音を立てずに過ぎ去ろうとしている。


 机のフックにかけていた鞄を取り出して、机に無造作に置く。机の中にしまっていた筆記用具とノートを取り出して、鞄に適当に入れる。教科書を入れると重いので、机に入れたままだ。


 それぞれのペースで帰宅していく教室の放課後で、妹原もとなりで帰宅の準備をしている。妹原は机に入れていた教科書をすべて鞄につめているから、全部持って帰るみたいだ。


 クラス中の生徒のほとんどが置き勉をしているのに、妹原はえらいよな。置き勉すれば鞄は重くならないし、教科書の忘れ物も減るから、いいこと尽くめだっていうのに。


 置き勉のことはともかく、ここで妹原を遊びに誘えたら最高に幸せだ。ふたりでファストフード店なんかに入って、ハンバーガーを食べながら恋の話なんかすれば、初々しいカップルみたいじゃないか。


 ああ、ちょっと想像しただけで胸がきゅんきゅんしてきた。でもこんなだらしない顔を妹原に見られたら、せっかく貯まってきた好感ポイントが一気になくなるな。


 妹原が教科書をすべて鞄に詰めて、鞄のチャックを静かに閉めた。声をかけるなら、今がチャンスだ。


 どうする。八神透矢。勇気を振り絞って遊びに誘うのか!? 失敗したら一巻の終わりだぞ。


 俺は生唾を呑み込んだ。心臓の鼓動の早さが通常から一気に最高潮まで高まる。


「せ、妹は――」

「未玖ちゃん。いっしょに帰ろう」


 妹原が立ち上がって声をかけたのは、俺の後ろにいる弓坂だった。俺の声は、どうやらまったく聞こえていないらしい。


 弓坂は急な申し出だったのか、「へぇっ」と力ない声を漏らしたが、すぐにほんわかとした笑顔になった。


「うん! 帰ろう帰ろう!」


 俺の邪な気持ちが妹原に気づかれなかったのは幸いだったが、くっ、弓坂め。いいなあ。


「今日は麻友ちゃんもいっしょだよ!」

「えっ、そうなのぉ? やったぁ!」


 なにっ、上月もいっしょに帰るのか。――いや、それは別にどうでもいいか。


 上月がさして中身の入っていない鞄を肩にかけて、つかつかと歩いてきた。


「雫。早く帰ろう」

「うん」

「未玖も。エロメガネの面白い情報をつかんだんだから」


 おいおい。雪村さんのことは話すなって昨日釘をさしたはずだろ。妹原と弓坂に話すんじゃねえよ。


 妹原はともかく、弓坂にあのことを話したらまずいだろ。弓坂は山野のことが好きなんだから。


 俺が堪えきれなくなって上月に目を向けると、上月は眉間にシワを寄せてにらんできた。


「なにエロい顔でじろじろ見てんのよ。相当きもいんですけど」

「み、見てねえよ」

「うそばっか。さっきのホームルームだって、下心丸出しのきったない目であたしのことを視姦してたでしょ。また蹴られたいの?」


 下心丸出しの顔なんてしてねえよ。それ以前にお前のことなんて見てねえし。


 でも反論するとまたうだうだと意味不明なクレームをつけてくるので、俺は頬杖をついてそっぽ向いてやった。


「わかったわかった。そういうことにしといてやるから、さっさと帰れよ。それと、人のことを嫌らしく詮索したり吹聴するのはやめろよな。だれにだって、他人に触れられなくないことがあるんだからな」


 俺が右手でしっしと追い払う素振りを見せると、「ふんっ」と悪態をついていそうな上月の声が返ってきた。


 妹原と弓坂がくすくすと笑って、


「じゃあね。八神くん」

「ばいばぁい」


 上月を連れて教室を出ていった。「駅前においしいアイスのお店があるんだって」と、女子らしい会話が廊下の向こうへと消えていく。


 妹原といっしょに帰れないのはとても残念だったけど、上月はほんと性格の悪いやつだ。


 自分にだって触れられたくない過去があるっていうのに、友人の山野のことをおもちゃみたいに扱ってやがるのだ。


 雪村さんのことをクラス中に言いふらされたら、いろいろと面倒なことになるんだぞ。木田や桂だって、面白半分でからんでくるかもしれない。


 そんなことになったら、山野と弓坂がかわいそうだ。せっかくいい感じに仲良くなっているっていうのに、すべてが悪くなる。


 まったく、上月は何を考えてるんだかなと無駄な老婆心で心配していると、


「八神」


 後ろから山野が声をかけてきたので、びくっと背筋が伸びてしまった。


 振り返ると、山野はいつもの無表情で俺を見下ろしている。


「あっ、山野か。どうした?」

「いや、どうもしていないが、なにひとりでたそがれてるんだ? 早く帰らないのか?」


 上月のせいでぼんやりしてしまった。教室に残っている生徒は、俺たちを除いて四人くらいしかいない。


 いつまでもこんなところにいても意味はないから、早く家に帰ろう。


「お前、今日はバイトじゃないのか?」

「ああ。今日は姉貴の買い物に付き合わされるから、バイトは休みなんだ」


 そういえばお前の姉貴はお前にぞっこんなんだったっけな。血のつながった異性と買い物に行くのって、どんな気持ちになるのだろうか。俺には一生わからない感覚だ。


「それは、お疲れだな」

「まったくだ。もういい歳なんだから、いい加減に弟離れしてほしいんだがな」


 山野が右手で頭の後ろをわしわしと掻く。山野もやっぱりうんざりしてるんだな。


「まあでも、あいつが美容室を紹介してくれたおかげで俺はバイトできているわけだけだから、一応感謝はしているけどな」

「へえ。そうなのか? 知らなかったな」

「言わなかったか? うちの店の美容師があいつの知り合いだったから、履歴書を書いただけで俺を採用してくれたんだよ」


 そうだったのか。姉貴って意外と便利なんだな。


「あんなでも一応は年頃の女だから、恋愛の相談なんかもそれなりにできるからな。まあ、いてくれてよかったとは思うな」


 山野が聞き分けの悪い子どもの愚痴を言う感じでつぶやいた。


 俺には血のつながった兄弟や姉妹がいないから、山野が姉貴に対してどんな感情を抱いているのか、よくわからない。姉貴という存在は、面倒でうざったいものなのだろうか。


 血がつながっているとはいえ、年頃の異性と同居なんてしていたら、意識したくなくてもいろいろと考えちまいそうだけどな。性的な何かを。


 でも上月みたいなうるさい女と同居したら、疲れるだろうな。――ああ、そういう感じなのか。山野が姉貴に対して感じているものっていうのは。


「はは。なるほどな」

「ん、何がなるほどなんだ?」


 山野が訝しいジト目で俺を見てくる。


「いや、なんでもねえよ。そろそろ担任の松山さんが見回りにくるから、俺たちもさっさと帰ろうぜ」

「そうだな」


 俺は山野をつれて教室を後にした。


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