第三章:宿場町にて
ここはフォーサイト国の辺境域のさる宿場町ユッフェント。ここの領主はつい最近交代したばかりである。嘗ての領主はシェユラス=ロフト……今の領主をボルラ=ホズボーンと言う。
その街のとある酒場。その一隅にあるテーブルに、たった一人で果実酒を飲む美女がいる。彼女は目を伏せ、物思いに耽っている様子であった。そんな彼女のたたずまいは、周囲に者に軽い気持ちで声を掛ける事を躊躇わせる程の雰囲気を醸し出していた。
しかし、彼女に近付く勇気ある……というか、無謀な青年がいた。彼の身なりは品よく適度に華美な衣装を着、その手には竪琴を抱えていた。
「お嬢さん、お一人で酒を飲むとはお寂しい……よろしければ、私が話のお相手を致しましょうか?」
「……お構いなく。」
女性は上目遣いにその男を見て、すげなく言い捨てる。
「そんな味気ない。どうぞ、お相手をさせて下さいよ。」
彼女は再び目を伏せる。
「いらない。だが、この席に座るのは構わない。」
「おぉ……ありがとうございます。私はリュッセルと言う吟遊詩人を生業としています。以後お見知り置きの程を――」
「私は……シェアナと呼んでくれたらいい。」
大仰なリュッセルのもの言いに、些かうんざりしつつも彼女は答える。
「おぉ、なんと美しい名ではありませんか。シェアナ――何という響きでありましょうか。……ところで、シェアナさんはこの地の方で?」
「いや、あなたと同じ旅の者だ。」
「では、ここへは何故、訪れたのですか?」
「……あなたは何故?」
リュッセルの問いに、彼女は問いの答えではなく、同じ問いかけを返した。
「私ですか? 私は “影の騎士” を追っていましてね……私の勘では上手くいけば、ここに彼の騎士が現れると踏んでいるんですよ。……で、シェアナさんは?」
返された問いに答えた彼は、再び彼女に問いかけた。
「ん、私か? ……私は、知人に会いにな――」
少しばかり言い難そうな様子でを見せながら、彼女は答えた。
「知人? それはもしや恋人とか……」
「……いや、ただの古い友人だ。」
そうつぶやく彼女の表情が苦いものになっていることに、彼は気付かなかった。
その後も饒舌なリュッセルの語りは続いていたが、果実酒を静かに傾ける彼女の心の奥は、異なることをつぶやいていた。
『あの男、見たことがあると思ったが、いつか野盗どもから助けてやったあの男じゃないか。……あの時は魔鎧の目を通していたから解らなかったが……やけに派手な男だ。』
そう、彼女こそ、ホルトの谷より出た “影の騎士” ――シェアナである。
彼女はこの数ヶ月間、フォーサイトの各地で、先の自分が死んだとされる戦についての情報を聞き集めていた。そして、魔鎧の試運転も兼ね、危難に会う人々や村を “影の騎士” として助けていたのだ。
彼女としては、魔鎧の能力が陽光の下では制限される為に夕暮れ時に活動し、正体を悟られぬ為にあえて名乗りを上げるのを控えていたと言うだけだった。しかし、何時の間にやら “影の騎士” なぞと言う大仰な名を貰い、しかも、「自分の」幽霊だと言われる状況に、些か憮然とせざるを得なかった。
『……なるほど。やけに私の事が騒がれると思ったら、こいつのせいか。予想外……だったな。』
リュッセルの熱弁を聞くとはなしに聞いていたシェアナは、密かに溜息を付く。
あの時、人気の無い郊外で、彼女の耳が賊に襲われる彼の悲鳴を聞き取れたのは、魔鎧の力ゆえである。そして思わず駆け寄り、賊を討ったのは、騎士としての性だ。そして、それ以降、ことある毎に魔鎧を纏って、人々の前に現れるようになったのは、自身の性分というものだろう。だから、ある程度は、自分という存在を知る者が出ても仕方がない……とは思っていた。
しかし、ここまで爆発的に自分の活躍が広まるとは予想だにしていなかった。最初に助けた男が、自分のことを詩にし、自分を追いつつ噂を広めていたとは、本当に予想外の出来事である。
シェアナは杯が空になるのを機に酒場を後にした。リュッセルが付き纏おうとしていたが、素っ気なく追い払い、宿に向かって街路を歩いていく。
『……変わったな、ここも――』
街の様子を見渡し、彼はそう心の中でつぶやく。彼女の目には、街が以前より活気が無いように見えたのだ。
かつて、この街は小さいながらも活気ある場所だった。若くして武勲を上げた彼が、この街と周囲の数村を拝領した際、この地の住人に対する第一印象がそれだった。彼女、いや彼はこの住民の活気を支え、街を盛り立てるように、彼なりに努力し、幾らか街も大きくなった。住民も彼が領主であることを喜び、ここの暮らしに満足をしているようであった。
しかし、先程の酒場で人々の言葉を漏れ聞くに、住民達が領主にさほど敬意を示さず、以前に比べ、暮らしに不満を持っているように見受けられた。新領主となり、税制が不当ではないまでも、以前からと比するに格段に跳ね上がっているようだ。更に、この領主はこの地の統治そのものに、さして関心を示してはいるように見えなかった。
『……ボルラめ、何をしているのだ。これでは……』
そこまで思って、シェアナは考えるのを中断した。
『……いかん、いかん。まず、ボルラにあの時のことを問い詰めるのが先だ』
そうして、彼女は歩みを早めた。
シェアナは泊まっている宿に帰り、部屋に戻った。扉を開けると、褐色の翼が目に入ってきた。口の利けない旅の相手――有翼の少女ポルだ。
彼女はいきなりシェアナの胸元に抱きついてくる。
「ゅ~みゅみゅみゅみゅ~!」
そして、その胸に顔を埋めて、頭を激しく振るようにして頬摺りをする。シェアナは狼狽えて、彼女の名を呼ぶ。
「あ、あの……ポル――」
「にゅにゅにゅにゅにゅ~!」
そんなシェアナの様子に構うことなく、ポルは力一杯彼女に抱き付き、その顔を彼女の胸に埋めるようにして懐いてくる。
「……や、やめて……くれな、あぁっ……くれない……、はぁっ……」
シェアナは顔を上気させながら声を上げる。
「ぅみゅみゅにゅみゅにゅぅぅぅ!」
「……っ。――」
しかし、彼女の願いは少女の耳には届いていないようであった。ポルにしてみれば、それは、その姿の為においそれと外に出歩けない自分の寂しい思いを、シェアナに構って貰うことで埋めたい――と訴える為の、一種の愛情表現なのだ。
しかし、女になって間もないシェアナにとって、二人きりになれた途端に行われるこの儀式は、とても精神を消耗する代物だと言えそうだ。旅に出た最初の頃はさほどでもなかったが、女性として敏感な箇所の一つである乳房を弄られているのだから、感じない訳がない。そして、弄っているのは可憐……とまではいかなくとも、可愛い少女であり、元男の彼女にしてみれば、それが快感を助長する。しかし、理性は騎士として振る舞わせ、自分は同じ「女」であると言い聞かせ、そこで生まれた衝動を抑制しようとする。その鬩ぎ合いこそが、彼女を疲労させることなのだが――
この儀式も一応の終了を見、ポルはシェアナの胸から顔を上げた。シェアナは上気した顔を悟られぬように上を見上げ、自身の身体を鎮めることを試みていたのだった。