第五章:漆黒の魔鎧
あれから二日ほど経った朝、シャーフィールのいる工房横の厩で愛馬を世話している時、シェアナは背後から声をかけられた。
「……シェアナよ。儂に着いて来てくれんかね」
「ファルト老……?」
老は、何も答えず、ただ工房の片隅へと歩いていく。彼女はただ訳も分からず、その後に続くしかなかった。
その片隅には一つの扉があり、老はその扉を開いた。その見掛けにあった重量感のある響きを伴って横へ滑るようにして扉は開く。その先にあったのは、薄暗い中に色々な物が乱雑に積み上がった部屋だった。そこに入ってファルトは口を開いた。
「シェアナよ、お前はフォーサイトに行くつもりか……?」
「……」
老の不意の問いに、シェアナはただ口を閉ざす。その様子を気にすることなく、老は部屋に足を踏み入れた。
「答えずとも良い。自身の不名誉を雪ぐのは、騎士の行動としては当然の事じゃしな。……この部屋は古代の魔法機械技術の粋を極めた品々がある。それの一つをお前さんにやる、気に入った物を選ぶが良い……」
シェアナは驚いた。老は自分がここから出るのは不本意のようだったはずだ。それがこんな秘蔵の物を渡そうとしている事に――
しかし、そんな驚きに関わりなく、彼女の足は部屋の中へと歩き回り、そして、そのうち彼女の瞳はある一つの品に釘付けになっていた。漆黒の色に染められた重厚な装甲、緻密な造りの関節部……見事な造りのそれは、精巧なドールとも精密な全身甲冑とも見えた。
漆黒の機体を凝視する彼女に歩み寄りながら、老は声をかけた。
「それが良いかね。まぁ、こいつはお前さんに似合っておるかもしれんなぁ……」
「…………」
シェアナはファルト老に返事をするのも忘れ、それに見入っている。
「こいつは “影色の魔鎧” と言ってな、アティスの武具でもちと面白い品じゃ。お前さんはこれが最初は何に見えた。」
「……ドールかと、思いました……」
シェアナの小さな返事に軽い頷きを返しながら、老は説明を続けた。
「そうかね。これはな、ドールを動かす仕組みを応用してな、女子どもでも男と同等かそれ以上の力で戦えるように動きを助ける働きをしおる。まぁ、それだけの物ならざらではないが、珍しくもない。……だが、こやつにはそれの加えて闇を見通し、魔法の技から守る力もあるんじゃよ。良ければ、ここで着てみるかね。」
「……はい」
老の問いに虚ろ気に答え、その鎧の漂わせる異様な気と強靱さ、そして妖気を纏わぬばかりの美しさに彼女は見惚れていた。
そんな姿の彼女を見つつ、ファルトは台座に据えられた魔鎧を外す。鎧を何某か弄ったかと思えば、蒸気を吐きながら、その胴が大きく開き、兜が跳ね上がる。
そして魔鎧の内側が晒される。その中には幾本もの鋼線やその影に見える歯車、血とも銀とも見える不可思議な薬液の流れる幾らかの細管があり、そこには小柄な者一人入れる隙間があった。目を見張るシェアナに向けて、ファルトは声を掛ける。
「さぁ、ここに入るんじゃよ。」
やや戸惑い気味に鎧を纏う……いや、鎧の中に入るシェアナ、袖や脚を通し終わると、兜が下り、胸甲が閉じる。
「どうじゃね。着心地は」
魔鎧の中に微かに響く脈動と、魔鎧の耳目を通した見慣れぬ感覚の中で、老の言葉を聞いた。
「……そう、ですね。不思議な気分ですが……悪くは、ないです。」
「そうかね、そうかね。それならこいつを持っていくがいい。」
ファルト老はそう言って、寂しげに頷いていた。
それから、更に数日、愛馬も調子を取り戻し、魔鎧の扱いもある程度は心得て、彼女はホルトの谷を出ることとなった。
シェアナは愛馬シャーフィールに小さな荷馬車を引かせた。その中にはファルト老より贈られた “漆黒の魔鎧”、セラーより譲られた幾らかの衣類や路銀等が入っている。
小屋の前で皆が見送る中、シェアナはファルトに黙って頭を下げ、谷の外へと旅立っていった。
遠ざかっていく騎影を眺めながら、遠い目をしたセラーが呟く。
「……行ってしまいましたね。」
「そうじゃな……」
「ポルは来ませんでしたね。あの子はシェアナさんに一番に懐いていましたから――」
そう感慨に耽る二人に、ブルクルが上を指差しつつ、声を上げた。
「あ、あれば……ポルだ。」
「……あ、ホント……」
「あの子はシェアナについて行くつもりなんじゃろうが…………まぁ、仕方ない。」
谷の差程広くはない空間に、翼は騎影の後を追っていった。
これが後の世、時に畏れられ、時に崇められる事となる “影の騎士” の伝説の始まりであった。
今回にて第一部“全ての始まり”は終了となります。次回より第二部“幽霊騎士”が始まります。