其の一:影の知らぬ地にて……
“影の騎士” が王城で暗躍している頃、そこより遥か北東の地――ホルト渓谷にある一人の隠者の隠れ家では、その玄関の前に一人の老人と数十人の子供たちが集まっていた。それは、その屋の住人たち……ファルト老とその養い子たちであった。
その子たちは、混血の者、迫害を受ける種族の者、異形に生まれた者等様々だが、皆一様に悲哀に満ちた顔を浮かべている。そんな子供たちの中で最も年長にあたる女性――セラーは、彼女等の前に立つ養父に声をかけた。
「本当に、行ってしまうのですか……?」
老は、沈痛な表情を浮かべながらも、答える。
「……うむ…………」
「私たちを――私たちを置いて……?」
「……すまぬ」
「…………」
目に涙を浮かばせた彼女をあやすように、老は手で彼女の頭を撫でる。
「じゃが、分かってもくれ……儂は、人の世にいたずらに関わってはならぬ、神術士の身じゃ――」
「…………」
「シェアナ殿は、もういるべき所を見出しつつあるようじゃ。それは誠喜ばしいことじゃ……」
「…………」
「……じゃが、これで、儂のことが多くの者たちに、知られてしもうたやもしれん――それは、儂にとっては、困ること……お前なら、分かってくれよう……?」
「…………ですが……ですが――」
涙を止め得ずに駆け寄る子たちの頭を撫ぜながら、その中で老はセラーに一つの鍵束を渡した。
「……ファルト様、これは?」
「これは、谷近くの町の郊外にある屋敷の鍵じゃ。この間の内に手に入れておいた……」
「……!」
老の言葉に、彼女は驚きを隠さず老を見詰めた。そんな彼女を優しく見詰めながら、諭すように老は言葉を続けた。
「そこに皆で暮らしてほしいのじゃ。お前たちが暮らし易いように手を加えておる……この子等を頼みたいのじゃ、セラーよ」
「…………はい、分かりました。」
老の言葉を聞き、セラーは哀しみの色を帯びながらも、その鍵束を受け取った。
老は暫しの間、養い子たちとの別れを惜しみ、子等に自らの持ち物を幾つか与えた。そして、自らの屋へと向き直った……
「……では皆、達者に暮らせよ――」
「「ファー爺!」」
「「ファルト様!」」
「ファルト様、これから何処へ!?」
老は別れを惜しむ子たちを振り返り、呟いた。
「そうじゃな、東の地にでも行くとしようかの……」
その言葉の後、老は右手を一振りし、一陣の風と共に消え去った……その隠れ家と伴に……そこに、人が住んでいたと言う痕跡すら残さずに――
老が去った後、最初にセラーは涙を拭った。そして、残された馬車の手綱を取った。更に、無理に微笑を浮かべて、子たちを振り返った。
「さあ、行きましょう。ファルト様が用意してくださった屋敷に――」
ファルトの養い子たちは、あるいは徒歩で、あるいは馬車に乗り、ゆっくりと谷を抜けていった。
ミゲラスの名を冠する孤児院が、この谷の近郊に興ったのは、それから間もなくのことである――
フォースフォート西方某所――
王城への “影の騎士” 出現の直後、王都を機鳥で西進する者があった。
(……これで、この策は失敗したか――)
彼女はそう心奥で呟き、密かに舌打ちした。
彼女は、“アティス王国の後継”――誇り高き大国センタサイトより、このフォーサイトに潜入していた。この国の武官の下で国力を衰えさせる――それが彼女の使命であった。彼女は、この国の主力を預かる鉄騎騎団の長に雇われ、密偵として仕えながら、徐々にその心根を狂わせ、有望な騎士をさり気無く危地へと送らせる等を示唆して、国力を削ぎ落としていった。
(……策敗れたのは、やはり、あの者の所為か……)
彼女の策に誤算が起こったのは、そうして葬った筈の騎士の一人が、“影の騎士” として復活したことだ。そして、彼の者に対抗して騎団長が彼女の制御を離れつつあった。
さらに、“影の騎士” は彼女の存在に次第に感付き始めたようだった。その時が引き時だったのかもしれない。……だが、彼女は自分のことが騎士に知られるのと比例するように、一つの事実を感じ取っていた……すなわち、彼の騎士の正体を――
故に、彼女は自国への帰還を急いだ。この騎士の秘密を知らせんとして……。だが、そんな彼女に、虚空から不意の声がかけられた。
「何処に行こうと言うんです?」
「……!」
彼女は声の方に首を廻らす。その先には、機鳥の翼に立つフェアリーの姿があった。悪戯っぽい笑みを浮かべながら……
「こいづかァ? クリックよゥ……」
「……そうみたいですよ。ゲリュールさん」
背後よりかけられた妖魔訛りな声に、彼女は反対側を振り返る。そこには、“空の悪魔” たちが並び飛んでいる。
「……そうか」
長らしきグレムリンはそう呟き、ニヤリと牙を剥いて笑った。彼女に背に冷たいものが走る。そして、乾いた口から言葉がこぼれる。
「……な、何故こんな所で――」
「それは、僕が教えたからですよ。」
翼に立つ妖精の言葉だった。彼女の目は大きく開かれる。
「……何故だっ!? お前たちは仇敵同士の筈――」
かすれた彼女の問いに、両者は答えた。
「別に、私たち平民種には関係ありませんし――」
「……グレムリンにも変わり者はいるのさァ……」
しかし、彼女が彼等の答えを、正確に聞き取れたかは定かではない。その時、ゲリュールの配下たちが、彼女の機鳥を地に墜しめたからである…………




