第五章:影、王城に立つ
翌朝となっても、城内の混乱は余り収拾されたものにはなっていなかった。それは、賊の追跡と、その前後処理に意外に多くの者が梃子摺っていたことを示していたろう。
その混乱に乗じて、“彼等” は城内にある “もの” を運び込むことに成功していた。
その頃、クルレムは自身の迂闊さを呪いながら、その日の御前会議に出席した。
彼の荒らされた王城の部屋より、密偵に命じて密かに回収していたボルラへの密書が紛失していた。だが、これを口にする訳には行かない。それは、ひいては身の破滅を導くやも知れないだけに……
その内心は知らずとも、鉄騎騎団団長の不機嫌な雰囲気を察し、周囲の者は彼を避けて通っていた。
その日の御前会議は、昨夜の賊侵入の件についての議題を行っている。
それは最初、ある意味茶番と言えたのかも知れない。会議序盤、その場にいる高位の文武官は、断片的ながらも事情を知っているに関わらず、その事を口に出さずにいた……それは、事情を知らぬ衛兵や官吏たちを安堵のさせる方便だったのだろう。衛兵たちが事の顛末を語り、幾人かが確認の質問を投げ掛ける……会議は定型的な手順を踏んで進行して行く。
衛兵の巡回の目を潜って王城に侵入した曲者たちは、高位武官の私室として用意された区画へ侵入、そのうちの鉄騎騎団長の部屋へと入り、室内を荒らしていた所を衛兵に目撃された。衛兵は捕縛を試みたが、その時突発した地震と曲者が窓から飛び去った為もあって失敗する。その為、宿直の空戦騎士に応援を要請し、曲者たちの追跡を依頼するも、発見することは叶わなかったらしい。もっとも、彼等が風の妖精族であるらしいので、彼らを恐れた空戦騎士たちの足が鈍っていた、という見方も出来そうだが……
報告は澱みなく進み、ある一つの確認事項の時になった。それを問う為に、ドレイルはクルレムに問うた。
「……さて、賊は一巻の書簡を持ち去ったとあるが、その書簡とは一体、何が書かれていた物なのかな?」
その問いに、クルレムの顔が一瞬引きつる……が、一瞬のことだ。
「それを親衛騎士団の貴方に話す必要は無い、これは鉄騎騎団の問題だ!」
やや強気に問いを振り退けたクルレムに、今度は違う質問者が現れた……フォルタスである。
「だが……それは、私や国王陛下にも話せぬことかなのか?」
「……そ、それは……いえ……、そのような……訳……では……」
言い澱むクルレムの様子から、宰相のオーボル老は親衛騎士団の者や下級騎士・官吏等を下がらせる。彼等が去ったことを確かめた後、老は再び問うた。
「どうじゃ、この場におる者なら幾らかなりと信が置けよう、話して貰えるかな……?」
「……あれは個人的な物、陛下や閣下に聞かせるような内容の物では――」
「では、差し障りが無ければ話して構うまいが?」
ドレイルの言葉が、言い澱む彼に突き刺さる。
「ぐっ……」
彼、クルレム=シェインは追い詰められていた。少なくとも、彼はそう感じていた。ドレイルの執拗な追及に、王を始めとして周囲の者たちが一斉に追究の目を向けている。これでは、部下の暗殺を命じた密書の事の存在を隠し通すのは難しい――クルレムの額に冷たい物が流れた。
鉄騎騎団長の緊張が最高潮を迎える寸前に、親衛騎士団の老将は王の方を振り返る。
「……ところで陛下、この件に関し、ここにいる皆に逢わせたい者がおります。」
先程までとは打って変わった老将の言葉に、一同が彼に目を向ける。その場の意を代弁するように若き王は、老将に問いかけを発した。
「それは……何者か?」
その王の言葉から、老は諾の色を察して、ジョーナルに合図を送った。
ジョーナルは静かに杖を振り、短く古代語を唱えた。すると、謁見の間の窓と言う窓が閉ざされる。……そして、謁見の間は、予備の明かりにと灯されていた数十本の蝋燭の明かりを残して、薄闇に包まれた。
そして、闇の中より、周囲の薄闇よりなお暗い一人の影が姿を現す。その人物を指し示し、老将は言葉を紡いだ。
「始めてまみえる者も多いので、紹介しておこう……この者が、“影の騎士” だ。」
その老将の言葉に、一同が息を呑んだ。
闇に融ける様にして浮かぶ漆黒の巨躯、闇の中に爛々と光る真紅の瞳――それは確かに、見る者に幽鬼を連想させるにたる異形の騎士であった。
息を呑む一同を意にも返さず、“影の騎士” は謁見の間の中央へ進み、王の前で跪く。
「市井の者たちに、“影の騎士” と呼ばれている者に御座います。本日、故あって陛下の前に推参致しました。」
そのくぐもった声は、人ならぬ妖の声とも、騎士シェユラスの声とも聞こえた。
「うむ……先の戦では、世の命を救ってくれたな。礼を言うぞ。……で、推参の理由とは何か?」
“影の騎士” の言葉を受け、若きトラム王は、やや引き攣った気配はありつつも、鷹揚に声をかける。その言葉に、畏まっていた “影の騎士” が立ち上がり、鉄騎騎団長を指差し、弾劾を始める。
「ここにおられる。鉄騎騎団団長クルレム卿に、私――いや、シェユラス=ロフトの死の真相についてお尋ねしたいことがある。卿が私の……シェユラスの死を示唆した、その訳を――」
その言葉に、場に立つ多くの文武官達が色めき立つ……シェユラスの死が単なる戦死でなく、謀殺であった……しかも、それを指図したのが直属の上官たる鉄騎騎団長だとは……!
「……な、何を馬鹿な! 証拠……証拠があるというのかっ!?」
城内の騒然とした空気を吹き飛ばさんばかりにクルレムは激昂した……が、彼は自らの言葉に声を喪う。
「証拠ならここにある。……昨夜、貴方の部屋で見付けられた物だ。」
そう言って、“影の騎士” は何処より書状を取り出し、その書状を読み始めた。朗々と響くその書の内容――シェユラス暗殺にかかる密約――に、多くの者達が声を失う……勿論、クルレム自身も……
そして、騎士はその書状を近くに立っていたジョーナルに渡した。魔導技術師団の長は、その書を一読してオーボル老に、老宰相は国王にその書を渡す。
「……確かに、この書の書名はクルレムの物に間違いない――」
「に、贋物だ! ……そんな物……知らんぞっ!」
愕然とした王の呟きを聞き、狼狽慌しくもそう呟いたクルレムの言葉は、むしろその書状の信憑性を高める結果に終わった。場内に満ちた不信の目が、彼に突き刺さる。
「……クルレム卿……いや、クルレム! ……訳を聞かせて貰おう。何故、シェユラスを殺めよと命じたのかを……そして、あの黒いドールを使い、私を騙って殺戮を繰り返した訳を!!」
「う、うるさいっ!!!!」
詰め寄る “影の騎士” に、恐慌をきたしたクルレムはその身に佩く剣を抜き、斬りかかった。しかし、鋼の擦り合う鈍い音と共に、クルレムの動きが止まる。“影の騎士” が彼の剣を掴み取ったのだ。その紅き妖瞳が、彼を睥睨する。
不気味なその紅瞳に睥睨され、クルレムは狂ったように言葉を漏らし始めた。
「……フフフ……目障りだったのだ! その若さで武勲を立てるお前が! 団長や王にすら注目された貴様が! ……貴様は家柄も、階位も、戦歴も、私の下だと言うのに!! ……だから、貶めてやるのだ。貴様を貴様の仲間を……!! …………ハハハハハハハハハ――」
うめくように呪うように紡がれるその言葉に、“影の騎士” の腕が腰にかかる。
「…………そんな、そんなことの為に……私は……ボルラは……そして多くの騎士たちが殺されたとでも言うのかっ!」
その声を発した刹那、クルレムの右腕は宙に舞った。傍らには、血塗られた魔剣を手にする “影の騎士” の姿があった。
「陛下、御前での無礼をお許し戴きたい……」
苦悶を挙げるクルレムを背に “影の騎士” は、王に向け拝跪した。
「……“影の騎士” よ。そなたは、やはり、シェユラス=ロフトなのか――?」
「恐れながら陛下、シェユラス=ロフトは死んだのです。今の私は、ただの幽鬼に過ぎません……」
拝跪する “影の騎士” に、トラム王は問いかけた。しかし、騎士が返した答えは、王の望むものではなかった。
「……では、“影の騎士” よ。其方を我が騎士としよう――」
「陛下、先程も申しました。私はただの幽鬼に過ぎません。」
「そうか……」
頑なな “影の騎士” の言葉に、王は諦めの呟きを漏らした。そこに、“影の騎士” からの言葉がかけられる。
「ですが、私はフォーサイトに忠誠を誓っております……では、陛下、失礼致します。」
その後、どうなったかをはっきりと覚えている者は少ない……気が付くと謁見の間は元の明るさを取り戻しており、その場に “影の騎士” の姿は無かった。
翌日、クルレム=シェインは急な病にて病死した――との発表がなされた。そして、“影の騎士” を騙った惨殺事件は他国の謀略によるものとの見解が出された後、深く追究されぬままに終わった。




