第三章:もう一人の影の活躍
それから一日経った夜半も過ぎ、王城の上空を過ぎる影があった。その影は城の様子を暫し窺いながら、人々の監視の薄い窓に取り付き、隙を見て城内へと忍び込んだ。
忍び込んだ部屋に、人気が無いことを確認して、ポル=ポリーはフゥと一息ついた。その背後より、姿無き声がかかる。
「ポル嬢ちゃん、これからが大変だよ……」
その声に少女は振り返り、素早く石墨を走らせた文字の書かれた石版を、声を発した者に突き付ける。
-解ってるよっ! クリック小父さん。-
この有翼の少女は、先日のシェアナたちの会話を聞き、密かに王都の下町に宿を取っていたクリックを訪ねた。彼女の頼みに、クリックはそれとなくショーネル等から城内の間取りを聞き出した。
そうして彼女等は、この夜半に城内にあるクルレム卿の私室への侵入を試みたのだった。
誰もいない部屋でクリックは、一旦自らに掛けた “姿隠し” を解き、彼女と共に王城の間取りを確認した。そして、廊下に人の気配が無い事を確かめ、再び “姿隠し”の魔法を掛けると、二人は扉を開いた。
二人は、王城の入り組んだ廊下に戸惑いながらも、どうにか上級騎士たちの私室区画へと辿り着く。
「さて、どの部屋がクルレム卿の私室なのか……」
ここまで来たクリックは、もう一度王城の間取りを再確認しようと、廊下の隅に潜みながら呟いた。考え事をする時に身を潜めたのは、集中を失うと効果が消える “姿隠し” の予防策でもある。これは、精霊魔法の使い手にして密偵たる彼の習い性だったが、そういった心得はポル=ポリーには乏しかった。
廊下の中央で、同様の事を思い悩んでいた彼女は、不覚にも “姿隠し” が解けてしまう……人気の無い廊下とは言え、その薄暗い翼を曝すことになったのだった。
次の瞬間、少女は殺気を感じて飛び退る。彼女の傍、髪一筋程の間をおいて、刃風が通り過ぎる。
「……!!」
刃風の先を見据えるポルの視界には、壮年の精悍な騎士の姿があった。彼の騎士は、振り下ろした剣をゆっくりと上段に構え直す。
その間、彼女は微動だに出来ずにいた……騎士の殺気の圧力と隙の無さに圧倒されていたのだ。怯えを堪える少女に向け、騎士が問いを発する。
「そなたが、“影の騎士” に仕えているという妖魔かな?」
ポルは思わず身構える。その様子を見、騎士は上段に構えた剣を無造作に下ろした。
「その様子では、図星か……私やクルレムの部屋でも調べに来たか? まぁよい、クルレムの部屋はその先を進んだ三つ目の部屋だ。鍵は、そこに潜んでいる者にでも頼むがよかろうしな――」
そう言うと騎士は彼女の脇を通り過ぎ、クルレムの部屋の更に奥にある大きな扉の部屋へと消えていった。
急に感じていた圧迫が消え、ポルは腰砕けに座り込んだ。そんな彼女の傍らに、姿を消したまま気配が近づき、呟きを漏らした。
「……あの剣の腕……多分、フォーサイトの大将軍、フォルタス=ゲルシュトルム。……フォーサイト一の剣の腕って聞いたけど、僕のことまで御見通しとは、いやはや……」
そう言いながらポルを立たせたクリックは、フォルタス卿の示した部屋へと彼女の手を引いていった。クリックは既に姿を消すのを諦め、術を解いて扉の様子を窺い、軽く小鉤を鍵穴に差し込むと、瞬く間に錠を開ける。
二人の妖精は、クルレムの私室に入った。そこは、貴族趣味の豪奢な造りの部屋だった、それは彼の尊大さの表れだったのかもしれない。
「……さて、どれだけの収穫があるかな?」
そのクリックの呟きとともに、部屋の捜索が始まった。
暫しの時が過ぎた後、クルレムの部屋にぼやきにも似た呟きが漏れる。
「ん~~やっぱり、こんな王城の一室に密書の類なんか置いておかないよな。普通……」
暫くクルレムの部屋を物色していた二人だが、残念ながら、未だ目ぼしいものは見付けだせずにいる。巡回の衛視等が来るまでに、と彼女たちに焦りの色が帯び始める。
「……みぃ!」
その時、ポルは書棚に無造作に置かれた一通の封書を見付け、声をあげた。
「どうした? ポル嬢…………こ、これは……っ」
ポルから封書を受け取り、その内容を流し読んだクリックの顔が愕然としたものに変わっていく。……その書面に書かれていたのは、驚くべき内容であった。
しかし、そのことに驚く間も有らばこそ、二人は背後からの誰何の叫びを聞くとこととなる。
「だ、誰だ!?」
振り向く彼女等の目には、数名の衛視が扉の向こうに立っている姿が映った。
「……ゲッ、まずい……っ!」
ポルとクリックは、反射的に扉と反対側の窓へと足を掛ける。その様子に、部屋の外にいた衛視は、声を上げて部屋に駆け込む。
「待て!」
その掛け声に構わず、二人の風の妖精は外に飛び出そうとする。そうはさせじと、衛視たちは部屋を駆けた……が、二人の逃亡を阻止することは適わなかった。
「「……うわっ!?」」
彼女たちの足を掴もうとした衛視たちの手は、突如起こった微かな地震に足を取られ、空を切る。その間に、ポルたちは夜の闇の中へと消えていったのだった。
その頃、王城外壁近くにある路地の片隅で、黒鱗の老婆が大きく息を吐いた。
「お婆様……ご苦労さま。」
「……ふぅ……鱗の色も褪せたこの婆に、こんな大きな御力を振るわせるとはねぇ――」
黒鱗のお婆は、傍に立つ青年に少々揶揄めいた呟きを漏らす。青年――リュッセルはそれを聞き、暫し困った顔をしてから笑みを浮かべた。
「ハハハ……でも、流石は、お婆……伊達に竜戦士の号を貰ってないね。」
「ふぅ……まぁ、妾もあのお嬢さんを、気に入ってしまったからねぇ……」
青年の賛辞に、老婆は別の呟きを漏らした。
“闇” と “大地” の力を司る黒竜王の眷属である黒鱗のお婆は、王城に忍び入ってから、衛視達に追われて窓へ逃げるまでの妖精たちを “見詰め”、折を見て、その逃走に密かに尽力したのである。
「さて……この先、どうなされるのかねぇ……」
「それは、僕がちゃんと見届けてみせるさ。」
逃れた二人を “見詰め” つつ呟いた老婆の言葉に、リュッセルが請合った。




