第六章:偽りの影
彼女がここに来て数日が過ぎていた。彼女の剣の腕は私闘騒ぎとショーネル卿の言葉もあって屋敷の者に広く知られ、領主の身辺を警護する一員を任されることとなった。今のところ、“影の騎士” の襲撃もなく、皆緊張の面持ちを崩していない――
シェアナはその日、久しぶりに愛馬の世話に厩舎に立ち寄っていた。偽装された物とは言え、その装甲を洗ってやり、薬液を飲ませてやると、嬉しそうに首を揺らした。もっとも、ただのドールに化けている必要から、ほんの微かにではあったが……
「……伺ってはいましたが、ドールホールをお持ちだったんですね。」
振り返った彼女の視界にショーネル卿の顔が映り、思わずそっぽを向く。顔が知らず知らずのうちに紅潮していたのを悟る。そんなシェアナの様子に気付きもせず、ショーネルは彼女の傍らに立ち、その鋼馬を眺め見る。
「……幾つかの付加装飾が見られますが、VM-13型のドールホースですね。」
「えっ……えぇ、その通りです。」
VM-13型とは、シャーフィールと同型のドールホース群を指した呼び名だ。それと一見して解らぬようにと擬装用の装甲を取り付けた筈が、彼は一目でそれを見抜いてしまったのだ。彼女の顔から一瞬、血の気が引く。
しかし、そんな彼女の様子を気付くことなく、彼は懐かしげな表情で呟きを漏らす。
「私の友人の一人が、この型のドールホースを乗機としていましたよ……今はもう――あ、失礼、詮のないことを……」
「…………」
ショーネルの言葉に、シェアナは黙したままだった。彼の話に出た友人こそ自分のことであり、その乗機こそ目前のこの鋼馬なのだ。しかし、そうと悟られる訳にもいかない。彼女は、何も知らぬ気に話題を振る。
「と……ところで、ドールホースの機種番号を一目見て当てられるとは、余程ドールについての造詣が深いのですね。やはり、正規の騎士としての嗜み……ですか?」
「……いえ、幾ら魔法機械を扱うとは言え、これは私の趣味――と言うか、道楽でしてね。ドールの各機種の詳細な分類等を調べたりしていますからね……」
少しの自慢と気恥ずかしさの混じった表情で語る彼の言葉を、シェアナは聞かずとも解っていた……こう答えるであろうと予め知っていた。彼女が彼女でなかった頃、こう言った話は、こんな表情をした彼に良く聞かされたものであった。しかし、少々照れながら語る彼の姿に、シェアナは何か新鮮な感覚を抱いていた……
その日の夜、シェアナは領主の寝室の前に立っていた。彼女の他に三名ばかりがここで不寝番をし、室内にはショーネルが剣を傍らに置いて待機しているいる筈だ。しかし、彼女の愛馬は厩舎に繋がれたままである。“ただのドールホース” の出番はここにないからである。
「…………」
「あ、姐さん…… “彼奴” は、今日こそ来るかな……?」
瞑目し、黙したまま周囲の気配を窺う彼女の耳に、少し怯えた男の声が聞こえた。彼女が目を開き、その声の主を見遣る。それはかつて私闘を行ったジェッドと言う名の男だ。腕はかなり立つが、実戦経験はやや不足していると、彼女は見ていた。
少しばかりの怯えを見せる男に、シェアナは素っ気無い様子で口を開いた。
「……さあな。私に判る訳がある――」
「あ、姐さん?」
急に黙り込み、暗い廊下の先をじっと凝視してる様子に、ジェッドは狼狽した様子を晒す。
「その心配は、無用に終わりそうだぞ……」
シェアナはその手の剣を、凝視する方向へと構える。廊下の先より、夜の薄闇と異なる黒色の影と、鋼の持つ白い光が彼女の視界に捕らえられた。それは即ち、件の“騎士” である筈――
その場のジェッドを含む三人の傭兵が得物を構えきる頃には、“影” の姿が彼等の目にも明確な姿を顕わしていた。それは漆黒の甲冑に身を包み、長大な剣を手にした偉丈夫の姿だった。彼等の腕に力が籠もる。しかし、その中で例外的に力を抜いている人物がいる……シェアナだ。
「どうやら、アルバート卿の時に感じた慄れも感じない……幽霊という訳ではなさそうだが……」
彼女のつぶやきは、幸いにも緊張した傭兵たちに聞き咎められはしなかった。“影の騎士” の噂を伝え聞く傭兵たちが踏鞴を踏んでいるうちに、シェアナが旋風の如き踏み込みで、この黒き “騎士” へと斬撃を繰り出した。しかし、この斬撃は易々と受け止め、無造作に彼女の剣と彼女自身を打ち払う。彼女は騎士が打ち払いを放つ前に飛び退き、素早く体勢を整える。
「この膂力、単調な動き……やはりドールか?」
彼女は、これが戦闘用ドールに漆黒の騎士鎧を着せたものだと推測した。しかし、彼女が推測を進める間にも、黒き敵の歩みは着実に部屋へと辿り着こうとしていた。
「しかし、命令者は何処にいるか……まさか!?」
シェアナを含む四人の傭兵が足止めをする中、扉は内側より開けられた。
「何事……!? まさか――」
剣を手に扉を開けたショーネルは、そこにいた黒き敵に目を瞠る。
「ショーネル! アルサームの方を放っておくな!」
シェアナの怒声でショーネルもはっとなる。すぐさまアルサームの元に戻り、彼の傍らで守りを固める。その間にも、近付く “騎士” の歩みを鈍らすべく、四人の傭兵が奮闘するも、徐々にではあるが室内への進入を許しつつあった。
しかし、そこに敵側の隙が見えた。敵の油断にシェアナは辛うじて気付くことが出来た……それは “騎士” ではなく、もう一人の存在だった……
「……! 何者っ!?」
シェアナは、“騎士” に牽制するように見せて予備武器の短剣を投げた。短剣は在らぬ方へと飛び去ったが、その先にこそ、もう一つの影が潜んでいたのだ。陰は巧みに短剣を避けたが、その姿を彼女の視界の端に現れた……その姿は、彼女にとって忘れられない者であった。
「……お前は、ボルラの館の――!」
しかし、彼女のつぶやきが響き渡るまでに、もうひとつの影――女密偵は素早く退き、他者にその存在を悟らせぬまま窓の外へと逃れた。“騎士” もまた歩みを止め、館の壁を破り、屋敷の外へ逃れた。
「逃がすか!」
シェアナの叫びも虚しく、ドールホースの足音が響く。
「……ちっ!」
彼女は舌打ちする。厩舎は遠く、シャーフィールをここで呼び寄せる訳にもいかない。
その翌々日、アルサームは不慮の死と遂げる。……毒殺であった。しかし、その事実は何故か伏せられ、市民たちは “影の騎士” によって呪殺されたのだと噂しあった。
それから暫くの後、上級騎士の殺戮者としての “影の騎士” の噂が、王都を周辺に流れることとなるのである――
今回にて第六部“其は何者か”は終了となります。次回より第七部“影を討つ影”が始まります。




