第五章:曙光の下で
その夜明け近く、その戦場にいたフォーサイトの騎士たち、そしてトルヴシティ軍の陸戦騎士たちは、同じ希望を抱き戦を続けていた。
即ち、“夜さえ明ければ……” という想いだ。
前者は、朝となれは闇に乗じた奇襲もなくなり、幾分か不利が埋められると信じ、後者は、朝となれは不条理な亡者の影に脅えずに済むと信じるが故に――
戦局は、トルヴシティの絶対的優位から、トルヴシティ優位に変わりつつある。それは、トルヴシティの陸戦騎士たちの間に流れる不穏な噂が、彼等の動きを鈍らせていた故だ。
その噂とは、戦場を駆ける漆黒の幽鬼の存在である。
「着いたかァ……」
ゲリュール=ダーキッシュブラストは、リラーズ渓谷の遥か高々空からその戦を眺めやった。下では森に入ったフォーサイト軍が、無惨にもて遊ばれている様子が見て取れた。しかし、そんなことは、“風の妖魔” たる彼の関心をさして引くことではなかった。同じく眼下の情景を見下ろす彼の片腕の者の一人が声をかける。
「……長よ。どうされます?」
「フン! 決まった事をォ……」
グレムリン族は、風の妖精の誇りとして “風に乗る者” 以外が空にあることを嫌う。ゲリュール率いる風の妖魔の一団は、“翼の長” の号令により、憎むべき輩に向け、急降下を開始した。
「……あれは!?」
戦場の制空権の掌握を確信した空戦騎士は、その視界に一団の悪夢を捕らえた。
『風の精霊よ! この不遜な者どもに報いを!』
空戦騎士とその仲間たちは、意味の計れぬ言葉の後に来た横殴りの風に、騎鳥のドールホークの操機を失った。
グレムリンは、空戦騎士たちに “空の悪魔” と恐れられている。彼等はドールバードや空飛ぶ物に騎乗した者を襲う故に……精霊魔法と邪霊魔法により、空戦騎士達に恐怖を与え、地に叩き衝けんと襲いいかかるが故に……
その夜半過ぎ、トルヴシティの空戦隊はその事実を否と言う程思い知らされた……たった百人程の “空の悪魔” によって……トルヴシティの空戦騎士たちはその隊列を瓦解させていったのだった。
そして、夜明け間近になった時、一人の妖魔がゲリュールに声をかけた。
「長ァ! 北から何か来やがる。どうしやす?」
確かに北の方から数十機のドールバードらしき機影が見えた。
「……今日の所は存分に暴れたろゥ……退くぞォ……」
配下の者たちにそう号令をかけながら、彼は心中で先に託けを送ってきた者のことを思い浮かべた。
(……ポール……お前の頼みを聞くのはシャクだが、ポルの泣き顔は、見たくないからなァ……)
そうして、“空の悪魔” 達は夜の風の中に消えていった。
グレムリンたちに知られながらも襲われずに済んだ幸運な者たち――彼等は “陰の騎士の遺跡” より発見されたドールフェックス、ドールレイヴンにより緊急に編成されたフォーサイト側の援軍であった。率いるは魔導技術師団長ジョーナルである。
彼等は、上空よりドールフェニックスの翼に備わる魔導砲や、ドールレイヴン等で増幅した魔法攻撃により、地上の味方を囲む敵を討ち、進撃の為の道を開いた。形勢は徐々にフォーサイトの側へと傾き始めていた。
「……何故だ? 何故こうなってしまったのだ!?」
トルヴシティ軍の将軍はそう呻かずにはおれなかった。作戦は図に当たり、圧倒的勝利となる筈だった……夜半までは。そこから陸戦隊が幽霊の影に脅え出し、空戦隊が “空の悪魔” に出会う。……そして、この不意の空襲だ。
「どこで、歯車が噛み合わなくなったんだ……」
次々と訪れる不測の事態に、将軍は呆然と言葉を漏らす。そのつぶやきに答える声がかかった。
「私の存在を計算にいれていなかったからではないかな……」
不意に返された言葉に、将軍は声のした方に身を翻す。
そこには、一つの騎影があった。その姿は闇に溶け込み、その真紅の双瞳と白刃の輝きだけが鮮明に見えた。
「……!!」
「退却しろ……トルヴの者たちよ……さもなくば――」
その場にいた者は、その生気の微塵も感じられぬ声に恐怖した。近くからは敵の迫る蹄の響きも聞こえる……
「て…………撤退するっ!!」
迫り来る敵の蹄の響きで我に返った将軍の叫びに、周囲の騎士たちが一斉に駆け去る。駆け去りつつ撃った撤退を示す信号弾は、各所で恐慌に襲われていたトルヴシティ軍を潰走させるに至った。
かくして、“リラーズ渓谷の会戦” はフォーサイトの辛勝という形で幕を下ろした……
「終わった……」
そうシェアナは呟くと、魔鎧の中で一つ大きく息を吐いた。
周囲には殲滅戦に向かった友軍のお陰で、人はいない。周囲に人気がないことで一息吐いたシェアナはは、愛馬に労わりを含む声をかけた。
「……もうすぐ夜明けだ……帰ろう、シャーフィール――」
「待てっ!」
戦場を去ろうとした “影の騎士” に向け、不意にかけられる叫びがあった。振り向く騎士の視界の先には、一人の親衛騎士が現れていた。二騎は暫し無言で見詰め合った。
「…………ショーネル――」
「何処へ行くと言うんだ。シェユラス!」
ショーネルのかけた言葉に、“影の騎士” ――シェアナは動きを止められてしまった。
そんな重苦しい雰囲気の中、光神竜の掲げる光――太陽が空を照らし出す。その光は森の中へも射し込み始めた。
「うっ!」
“影の騎士” は、焼けつくような光に目を覆う。
「シェユラス……? ……!!」
苦悶する騎士の姿に、ショーネルが近寄ろうとした時、次の変化が襲った。“影の騎士” の体を包み隠していた闇色の霞が、陽光に触れて急速に消え去っていったのだ。
そこに残ったのは苦悶する一機の黒き鎧であった。その左手や所々に見える傷跡から覗くのは、機械仕掛けの配線や歯車等で、血や肉ではなかった。それは、ドールに見えた――
「……シェ、ユ、ラス?」
困惑するショーネルを無視して、“影の騎士”はよろめきながら森の中へと消え去っていった。
今回にて第五部“影と鋼達の戦場”は一応の終了となります。




